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***大腸癌発覚までの経緯***

 ▼急な激しい腹痛と嘔吐

暮れも押し迫った2014年12月27日夜、私はよく行くお店でパチスロをしていた。
店内にある食堂で夕食に「しょうが焼き定食」を食べたわずか5分後、急にお腹が痛み出し、トイレへ向かう。
その間にも、痛みは急激に強さを増していく。

トイレで用を足すが、痛みの割にはほんの少ししか出ない。

あまりの痛さに、貧血のような症状が出始める。
目が回り、耳鳴りがして、まるで頭から血が流れてくるような音が聴こえる、ような気がする。

座っていることも辛く、脂汗が流れる。

そして床に降りた瞬間、激しい嘔吐が始まる。

もう、立ち上がることもできず、意識がなくなりそうな気がした。
パチンコ店のトイレの中の話しで、中から鍵をかけている、でも自分ではあけられない。
とても危機感が出てきて、意識を失う前に、どうにかドアの下の隙間から手を出しておいた。
きっと、誰かが見つけてくれる…。

やがて発見され、店員さん達が助けてくれた。救急車も手配してくれて、まさに命の恩人です。



 ▼市外の大きな総合病院へ救急搬送

最初は地元の市立病院へ搬送されました。

実は、このあたりの記憶が途切れ途切れになっていますが、家族と、一緒に病院に来てくれた連れの話しを元に描きますね。


市立病院でCT、血液などの一通りの検査を受けました。

そして
「膵炎の可能性があるので、この病院では対処できないから、市外の大きな病院に、これから救急車で行きますね」
と言われました。

膵炎…?たいへんなコトじゃないの?

と、思ったのは覚えています。


市立病院では、痛み止めの注射をしてくれたのですが、
まったく効きませんでした。

それどころか、痛みはますます強くなり、
一瞬痛くなくなるのを波のように繰返して
まるで産まれる間際の陣痛みたいでした。


紙オムツを付けられ、看護師さんと連れが同乗して再び救急車に乗りました。

搬送先までは車で30〜40分の距離ですが、
モーレツに苦痛でした!

北海道の冬、年末は雪が積もっていて、
いくら国道がキレイに除雪されていても、
いくら救急車が丁寧な運転をしてくれても、
どうしても揺れてしまう。

そのたびにお腹が激しく痛み、そして嘔吐の繰返しで、血圧も低下していったようです。


救急車の中では
「お腹のどこらへんが一番痛むのか?」
を調べていました。

自分では全然わからず、とにかくお腹が痛くて唸るだけだったのですが、
お腹を押した時の反応から
お腹の左側が痛いことがわかりました。

そうした私(患者)の状況は、
救急車から搬送先へ随時無線で報告されていていました。


搬送先の病院では、お医者さん達が待機してくれていて、
そこからは凄くスピーディーな印象を受けました。

まずはもう一度痛み止めの注射やら点滴やらをしながら、またバタバタとCTなどの検査。

それらをしながら医師からは繰返し
便秘していなかったか?
聞かれました。

CT画像で大腸の左側がパンパンに腫れ上がっている
といいます。
大腸癌の自覚症状


大腸が破裂する寸前で
腸閉塞による虚血性大腸炎
だから、このまま入院するよう言われました。
腸閉塞の危険


2度目の痛み止めもぜんぜん効果ナシだったので、
座薬を使用されました。

その座薬は劇的に効いて、ウソみたいに急速に痛みがひいていき、
同時に下痢しそうな感じが強くなりました。



 ▼HCUに一泊 そして一般病棟へ

結局、そのまま入院することになりました。
HCUではベットから動かないように言われ、
トイレへ行きたい、とお願いしてもそのままするよう指示されました。
物心ついて以来、初の紙オムツ使用(^^;
一晩中、大が出てたような感じです。
HCUの看護士さん達には本当にお世話になってしまいました。

あまりに申し訳なくて、夜中に一度、
「もう痛くないからトイレに行ける」
と言ってみたところ
「虚血性大腸炎を甘くみないほうがいいよ」
とのことで、却下されました。


翌日午前中には、一般病棟に移りました。
消化器内科病棟です。
2014年12月28日。

絶食ですが、水は飲んでも大丈夫でした。

病院で大晦日と元旦を迎えてしまいましたよ(^^;

ただ、6階の東側の窓から見た初日の出は素晴らしかったですね。
元日はとても晴れて穏やかでした。
同室の方と
「家でみかん食べたいねー」
なんて話をしてました。


入院中年末にバタバタと検査しました。
絶食ついでに大腸カメラも行ったのですが、
年末年始の休みに入ってしまったので、結果が出るのはお正月あけになることは伝えられました。
手術前の検査まとめ



入院中には、大腸カメラ終了後から便を軟らかくするお薬酸化マグネシウムと、
貧血が酷すぎるために(ヘモグロビン5.8)鉄剤が処方され、手術が終わるまで飲み続けていました。
⇒#貧血の危険

癌の告知へ続きます。







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