朝日が昇る頃にようやく終わりを迎えた報告書を腕に抱え、施設内を歩き回ります。研究室にも自室にもいないとなるとどこにいるのでしょう。廊下を歩きながら思案していると探していた白衣姿の男性。ようやく見つけた、と心の中でほっと息を吐き声を掛けます。

「ミカゲさん」
「なんだ」
「この前の実験結果の報告書です。一度目を通していただいてもよろしいでしょうか」

合点がいったようにああ、と軽く返事をし、私が手渡した書類を一字一句確かめながら目を通しはじめます。徹夜で眠気と戦いながらまとめたのでミスの一つや二つありそうで不安ですが、渡した以上腹を括るしかありません。

黒髪からのぞくのは切れ長のつり上がった桔梗色の瞳。長身に端正な顔立ちは女性団員が黄色い悲鳴をあげるのも頷けます。加えて仕事ができるともあれば女性が放っておくはずもありません。
生憎私は容姿が整っている男性よりも研究の方に魅力を感じる女ですので周囲のように彼に対し恋情を抱いてはいませんですが、様々な分野に通ずるこの方の知識力には尊敬の念を抱いております。

「新しい薬品の開発経過はどうだ?」
「順調です。早くて一週間後には完成するかと」

報告書に視線を落としたまま投げ掛けられた問いに返答をすればミカゲさんはそうか、とだけ零します。目の下にはうっすら隈がありましたが、あまり寝ていないのでしょうか。そういえばこの方は早朝だろうが夜明けだろうがいつも仕事ををしている姿を見かけます。…一体いつ睡眠をとっているのでしょうか。

それまでミカゲさんに寄り添うようにぴったりと控えていたブラッキーがいつ終わるのかといわんばかりにふんふんと鼻を鳴らし、構ってほしそうに頭をすり寄せます。ミカゲさんはそんなブラッキーに少しだけ口角をあげ、宥めるように頭を撫でます。

…正直、驚きました。

いつも拝見する姿は書類を片手に気難しそうな顔をしているか、眉を寄せながらパソコンに向かっているかのどちらかですから。

それに何より、この組織にポケモンに対しこんな優しげな表情をする人がいることに。

(…そういえば、)

ブラッキーはイーブイの進化系ですが、その進化条件はトレーナーに懐いていることが前提です。

ブラッキーに進化しているということは、ブラッキーは彼に懐いているということ。最も、それは先ほどの彼らを見れば分かることですが。

周りも、私も。ポケモンに対し情は持ち合わせていません。道具、実験対象。形は違えど私たちのポケモンに対する認識はその程度。愛情なんて不必要なものだと、ここにきてからより一層その考えが顕著になりました。

(…でも、この人は違う)

そんな人が、どうしてこの場所に?

「報告書はこれでいい。ご苦労だったな」
「あ、は、はい」

思考の海に沈んでいた突如かけられた声に思わず挙動不審になってしまいましたが、ミカゲさんは用は済んだといわんばかりに(実際用は済みましたが)背を向けて歩き出しています。幹部なのですから一研究員の私などとは比べものにならないほどの仕事量なのでしょう。

徹夜明けの疲れと眠気と一気に押し寄せ、我慢できず大きな欠伸をしてしまいましたが誰もいないのでよしとしましょう。

なぜあの方がこの組織にいるのかはわかりません。全く気にならないといえば嘘になりますが、詮索する気は毛頭ありません。

あの方が何を思いここに身を置いているかなんて、私には関係ないことですから。



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