夜を映したような深い漆黒の髪に、つり上がった目尻。鏡の中の自分は吐き気がするほどあの男に似ていた。反抗すれば容赦なく暴力をふるい、そうでなくとも気まぐれに拳を向ける。平然と、そして心底愉しそうに歪んだ笑みを浮かべながら命を奪うあの男ーーー実の父親に。
唯一違うのは目の色か。差異はあるものの、結局は同じ色彩を有していたことを思い出し眉を寄せる。

血の繋がりがあるのだから容姿が似るのは当然だ。が、自分の中にあの男のおぞましい血が流れているのがひどく憎いと同時に、恐ろしさを感じる。

“お前は俺と同じなんだよ。なんたって血を分けた親子なんだからなあ?”

命を奪う行為に罪悪感と嫌悪感があるも、それはただの仮初めの感情なのだろうか。もしかしたら、心の奥底で俺はーーー…

ふいに来訪者を告げる音に思考の海から抜け出す。ドアを開ければ猫背の飄々とした風貌の男ーーーラムダが姿を現した。

「ミカゲ、親父さんからの言伝だ。実験室に来いってさ」
「…、わかりました」

あの血生臭い部屋に行かなければならないのか、と内心でため息を零す。初めて足を運ぶわけではないが、どれだけ回数を重ねようと向かう足取りは軽くなることは決してない。

充分に、とはいえないがそれなりに優秀な部下があの男には多数ついているはずだ。

あの男が行っている遺伝子操作実験は自分は専門外だが、それでも年端もいかない頃から悪趣味すぎる実験に付き合わされていた結果今では他の研究員より知識、手際の良さを有することになった。全くもって有難くない話だが。

悪事に加担させ、お前の生きる場所は此処にしかないのだと。
組織に、自分に隷属するしか道はないのだと。
そうやって立場を弁えさせるために血の繋がった息子に罪に手を染めさせるのだ、あの男は。

そんなことは、この手で初めて命を奪った瞬間からこの身に刻み込まれているというのに。

実験台に押さえつけられた小さな身体に、処分しろと実の父親に命令され嫌だと反抗をした幼く青かった自分。つり上がった目尻を更につり上げたかと思えば、次の瞬間には髪を掴まれ思いっきり床に叩きつけられ。誇張ではなく、本当に死ぬ寸前まで暴力をふるわれたと他人事のように思い出す。

それからだ。自分が生きるために他の命を奪うしかないと悟ったのは。

初めて命を奪ったあの日。忘れてはないーーーいや、忘れてはならないあの日あの時。虚無感と罪悪感が一気に押し寄せ呆然と立ち尽くしていた自分の隣で、愉しげに口の端をつり上げその様を傍観していた実父の姿まで思い出してしまい、ギリ、と唇を噛む。

「それにしても、ホント親父さんに似てきたなあ。後ろ姿だけじゃ見分けがつかねえぜ」

後ろから投げ掛けられた声にミカゲは準備を進めていた手を止め、桔梗色の切れ長の瞳を更に鋭く細めラムダを見やる。見る、というよりは睨むといった表現が正しいか。下っ端ならば悲鳴を上げそのまま足早に逃げていきそうな迫力だが、ラムダは意に介さず睨むなよと肩をすくめた。

自分が実の父親を忌み嫌っているのを知っていながら、ただの揶揄いではあるがわざと話題に出すこの男はタチが悪い。


「それで、まだ俺に何か用がありますか?」

口調こそ平淡なものの、滲み出る苛立ちはそのままだ。いつの間にか彼のパートナーであるブラッキーがすぐ足元に寄り添い、低い唸り声をあげている。

さっさと退散しないと噛み付かれそうだとラムダは踵を返す。

「はいはい、そんな怖い顔しなくてもすぐに出て行きますよっと。お前も早く行かないと面倒なことになるんじゃないか?」

ひらりと手を振り、去る間際に掛けられた言葉は軽薄な声色とは裏腹に瞳には自分を案じる色が浮かんでいて。

人の触れられたくない部分にわざと触れたかと思えば、こうして自分を気遣ってくれたりもする。飄々としてどうにも思考が読み辛く、自分が苦手とする相手だが決して嫌いではなかった。

実の父親に殴られ顔を腫らした自分に、「派手にやられたらなあ」と軽く笑いながら冷えたペットボトルを渡してくれたことは記憶は新しい。

ラムダの忠告通り早く行かないと“面倒なこと”になるのは火を見るよりも明らかだが、これからする行為を思うと当然気乗りするものではない。自然と準備をする手もゆっくりになる。

椅子にかけてあった白衣を乱暴に掴んで着ようとすれば赤黒い染みがあったことに今さら気付く。日が経っているであろうそれは、きっともう落ちることはないのだろう。自分にお似合いだと思わず自嘲気味に口角が上がる。

突然、くん、と引っ張られる感覚。元凶である黒い肢体ーーーブラッキーが自身のズボンを噛んでいる。行くなという意思表示だろうか。すぐ隣には手持ちの一匹であるグラエナも主人を心配するように見上げている。

「大丈夫だ」

パートナー達に向けた言葉なのか、それとも自分自身に言い聞かせた言葉なのか。いや、きっと双方だろう。

拒否をした代償が自分にだけ降りかかるのならよかった。幼い頃は父親からの暴力に恐怖し、言われるがままに黙って命を屠る実験に身を投じるしかなかったが、成長した今はあの男に対し抵抗する術を身につけた。

けれど。

“やりたくなかったら拒否してもいい。ただ、その場合お前の大事な手持ち達が実験台に上がることになるけどな?”
“元々処分される被験体だったんだ。別に構わねえだろう?何、そいつらを使う実験はお前に一任させてやるよ”

ぐるぐると頭の中でまわる呪詛のような言葉。

最初から拒否権などないのだ。選択肢は一つしかない。

どろりと、どこまでも強烈な悪意を孕んだ鎖。

(…本当に、反吐が出る)

すぐ側に感じる温もりに縋り付くように頭を撫でようとするも、これからこの手で命を奪うのだ。そんな手で触れる気にはなれず、伸ばした手を引っ込めるーーーが、主人を慕う二匹の黒い肢体は構わないというように鳴き、自ら主人の手に頭を押し付ける。そんな二匹にミカゲはふ、と表情を和らげた。

この陰鬱とした場所で命を奪いながら育ち、生きている意味を見出せなかった自分が出逢った唯一無二の存在、希望。

目を伏せ、僅かに逡巡した後に再び開かれた桔梗色の瞳に迷いはない。天秤が傾く方は最初から決まっている。

「…お前らは、アイツなんかに絶対に手出しさせねえよ」

どれだけの業を背負おうと、何を犠牲にしようと、必ず。


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