四十話
昨日は焦凍に誘われて行ったケーキ屋でそれなりに食べた後、やっぱり全部は食べきれなかったので残った分は持ち帰らせてもらった。
満足感に溢れ帰った次の日。
私はつっぷして死んでいた。
「あ〜………」
「…………」
「……う〜」
「…………」
「……………庄」
「なんですかさっきから」
隣で本を読んでいて全く聞いてくれない庄左ヱ門に痺れをきらして私から声をかけると、庄左ヱ門は呆れたようにため息をはきながら本を閉じてくれた。
「林間学校行きたくないよ……」
「まだ先でしょう?」
「それでも、今から嫌なんだよ」
苦笑しながらも、つっぷしている私の頭を撫でてくれる庄左ヱ門。
「今日はお休みでしょう?家でのんびり過ごしましょう」
「………うん」
「昨日のケーキでも食べてお茶にしましょう」
「………庄のお茶がいい」
「腕によりをかけていれますよ」
久々の庄左ヱ門とのお茶会は、楽しかった。
***
どうやら先日の休みで緑谷がヴィランに襲われたらしい。それにともなって合宿所も急遽変更。そこで中止にしないのが雄英らしい。相手を侮っているのか、自軍の戦力を過信しているのかは分からないけど、教師関係者全てプロヒーローというのだからその判断も分からなくはない。
周りは林間学校に向けて準備を進めていくなか、私は。
「………」
登下校の最中。よく視線を感じるようになった。チクチクするレベルの小さなもの。さりげなく周りを見ても見つけられない。特に害もなく家までついてこられる事も無い。普通なら気のせいで過ぎ去るもの。だからこそ、不気味だ。
どうするか。
先生に相談する?大事になって相手に逃げられたら意味が無い。
追跡する?そもそも軽く意識を向けただけでいなくなる相手に出来るとは思えない。
だけど、このまま放っておくのも得策ではない。今は害がなくともいずれ庄左ヱ門にまで手を出される可能性だってある。
どうするべきか。そう悩んでいた時。それは来た。
「こんにちは」
帰り道。たまたま庄左ヱ門が軽く体調を崩し一人でいた日。人気の少ない時間帯だった。
黒い靄が目の前に現れたかと思えば、それは言葉を発し人の形をとる。
すぐさま後ろに飛び退き距離をとり、警戒する私を見てそれは感心するように、ほぉと呟く。
「その反応、流石ですね」
「………貴様は、あの襲撃でいた奴か。ここ数日私を監視していたのも貴様らか」
「ああやはり分かっていましたか」
「何の用だ」
「目の前にヴィランがいるというのに、闇雲に攻撃することも狼狽えることもない。やはり、あなたは他の生徒とは少し違うようだ」
何故目の前の奴が私の事を知っているかのように話しているのか。何故今私の目の前に現れたのか。疑問は多くあるが今優先させるべきは、即時撤退。
公共の場で個性の使用は禁止されている。いざとなれば使うが、大っぴらには使えない。体術も。ヤツ相手では分が悪い。個性のワープも厄介。ならば戦って勝てるとは思わない。家も既に突き止められていると考えていい。奴の狙いが何だか分からないうちは、庄左ヱ門を保護して学校に逃げた方がいい。
そう判断し、目の前の奴を警戒しつつも逃げる隙を伺っていると。奴が揺らいだかと思えば、次の瞬間には消えていた。
「あなたとお話がしたい人がいます。こちらに、ご招待しますよ」
背後から聞こえた声と共に、視界は黒一色に覆われた。
***
次に目を開けた時、そこは古びたバーだった。
奴はカウンターの中に入り、グラスを磨いている。
「そんなところで立っているよりも、こちらにお座り下さい」
「………」
示されたのは、奴の目の前のカウンター席。けれど座らず立ったままで警戒していると、ノイズ音がバーとは似つかわしくない画面から聞こえてくる。
「ははは。その警戒心は流石だなぁ」
画面は相変わらず荒れているまま。けれど音声はクリアに届いていた。
「やぁ。初めまして浅間由紀。僕はオールフォーワンと呼ばれている。まあ先生と呼んでくれ」
「……私に何の用だ」
声は、面白そうに笑っている。
「君のことを調べたよ。雄英の試験的な編入生。襲撃の際には個性も使わず一人で切り抜け、体育祭の参加は教師によって止められた。にも関わらず、エンデヴァーから指名を貰う。期末試験では異例の教師5人との戦闘。しかもオールマイトを相手に勝利した。フフフ。調べれば調べるだけ出てくる異常な経歴だ」
「言葉の意味が理解できない。私はそんな戯言に付き合うほど暇じゃないんだが?」
「君が異常なのは、どれも雄英に編入してきてからだ。それ以前の経歴を調べてみてもどこにでもいる普通のもの。君は、何者なんだい?」
ああ厄介だ。本当に厄介な奴に目をつけられた。画面越しでしかも声だけにも関わらず、相手との力の差は天と地の程もある。オールマイトとはまた違う、いや正反対の威圧感。ただここにいるだけで冷や汗が止まらない。
「ああすまない。質問の仕方を間違えた。__君は、なんだい?」
「……なんだ、とはまるで私が人間ではないと聞いてるようなものだな」
「君をその辺の奴らと一括りにするのはおかしいだろ?」
そもそも、なぜ私の情報をこいつが知っている。指名も、期末試験の話も。全て部外者ならば知りえない情報だ。
そんな私の疑念は、あっさりと答えを得ることになった。
「私の情報網は膨大でね。警察やヒーローの中にも根付いているんだ」
「………そんな奴らを、採用するとは思えないが」
「ヒーロー殺しの思想は、意外にも彼らのような者に広がるものさ」
どうする。どうすればいい。逃げるにしてもワープの奴が邪魔。それ以前に画面の奴の個性が何かわからないうちは何も出来ない。もしそれが画面の向こうからでも影響を及ぼすものならば、逃げ出そうにもあっさり捕まってしまうだろう。
「なぜ……私を?」
「簡単だ。君に興味がある」
オールフォーワンと名乗った声は、あくまでも変わらぬ声色のまま言う。
「君はあきらかにヒーローではないだろう。なのにそこにいる。彼らとは正反対の性質を持った君が。普通の経歴でありながら異常な能力を持った君を、私は興味があるんだよ」
変わらないにも関わらず、絡め取られそうな言葉。そのチグハグさが恐ろしい。
「ねえ、こちらに来ないかい?君はヒーローよりも、こちらの方が合っていると思うよ」
その言葉に、一番最初に脳裏によぎったのは、相澤先生の顔だった。
__なにをどう思うのはそれぞれの自由だ。なにより、お前のそういう考え俺はいいと思うぞ__
あの人は、私の考えを知ってなおそう言ってくれた。弾圧しなかった。認めてくれた。
「断る。確かに私はヒーローにはなれない。あんな偽善的で自己犠牲の塊のような存在には頼まれたってなりたくない。だが、だからといってお前らの方に堕ちる訳でもない。1か0か。それしかないわけじゃないだろ」
第一。お前達のあり方も私とは相容れない__。
そういう彼女は、凛としその歳では有り得ない落ち着きと視野を持っていた。しかしその有り様がヒーローかと言えば否であり、ならばヴィランかといえばそれもまた否だ。ならば何か。
ゾクゾクと何かが背筋を駆け巡る。
__手に入れたい。この高潔な何かを。こちら側に堕としたい。
「__そう言って、このまま帰すとでも?」
嗚呼。意図せず声が喜色になる。意識的に押し殺しても、弾む声が滲み出る。
変わった雰囲気に目の前にいる彼女が怪訝そうな表情をするが、それと同時に警戒心を最大限に引き上げたことがわかる。
ああ本当に、素晴らしい人材だ。その歳で一体どれほどの地獄を見て、屍を築いてきたのか。
「君は、真っ赤だろ?そこは居心地が悪くは無いかい?」
「居心地は悪いさ。けれどどうでもいい。ヒーローとは相容れないと理解している。それに、"私"は一度も血を浴びていないぞ」
「本当に?おかしいな。そんなに血の匂いを纏っているのに。それに君の雰囲気は死を知っている者のものだけどね」
「それこそ調べてみればいい。まあ何か出ることはないがな」
不敵に笑う彼女は、画面越しでも感じる殺気を放ちながらジリジリと逃げる隙を狙っている。
「君が、欲しくなったなぁ__」
「簡単に飼われるほど私は安くはない」
無意識に零れ落ちた独り言にも、彼女には聞こえたらしく言葉が返される。
ああそうだね。君は簡単には堕ちてくれない。きっとその値段は高いのだろう。
「じゃあ心が変わるまでいてもらおうかな」
「それも断る。___私は、帰らせてもらうぞ」
刹那。辺り一面影に覆われ闇に染まる。
それをすぐに打ち払うと、もう彼女はいなかった。
「ははは。"影"かあ……あーあ。惜しいけどまたチャンスを狙うとしよう」
彼女を最初に意識したのは、雄英襲撃の際の報告だ。
実際に対峙した訳ではなく、戦った奴らは既に捕まっている。それでも、一人異様な生徒がいたとの報告は受けていた。
何が異様かは言いようがない。しかし、明らかに他の生徒とは違った。異様、異質としか言いようがない存在。
その報告に、少し興味を持った。だから調べた。そしたら出るわ出るわその経歴。
「さて、君をこちらに堕とすには、どうすればいいのかな」
君自身の心を壊せばいいか。それとも、君の大切にしている子供を壊せばいいか。
ああでも、出来ればあの子供も手元に置いておきたいなあ。そうすれば彼女もこちらに従順になってくれるだろうし、子供自体の価値もある。
とりあえず、林間学校襲撃のリストに彼女の名前も付け加えなければ。