満月の夜にコンバンハ。2




「…ねぇ、夢衣ちゃん。」

『ん?』



少しばかり、悪戯じみた笑みを浮かべる綾時。


未だ、抱きしめられたままの彼女が、何気無しに耳を傾ける。



「キス、しても良いかな…?」

『……は?』



数秒遅れて返事をしたが、YESともNOとも答えないうちに、彼は彼女の額へ口付けた。


唇が離れると、それに対して文句を言おうと口を開けば、言葉を発する前に口を塞がれる。


すぐに離されたものの、いつの間にか添えられた頬の手は、くっついたままだ。



『あの、綾時…。』

「ごめんね、急にしちゃって。なんだか抑えられなくって…。」

『え…っと、』

「僕ね、何だか今…とても幸せなんだ。だから、君にもっと、触れていたい…。」



抵抗する気など、始めからなかったのか。


綾時から渡される想いを、素直にそのまま受け止める夢衣。



『…ん…っ。』

「…本当、今日の君は素直だね……。」



何度か降ってくる口付けを受けていると、唇が息継ぎで離れた合間に、触れそうなギリギリな距離で言葉を発する綾時。


夢衣が視線だけで「何なんだ…。」と訴えかければ、クスリと笑い、「何でもないよ。」と返した。


再び落とされる口付け。


先程のものよりも、幾分深く、触れ合っている時間が長く感じられた。



『…ん、むぅ…っ…!』

「ん……。…、ぷはっ…。ごめんごめん、苦しかったかい…?」



全く悪びれていない口調と笑顔。


解りきっているくせに…。


そう恨めしそうに、ジト目で投げかけた。


綾時はというと、そんな彼女の様子を見て、苦笑した。



「ごめんてば…。君があんまりにも可愛過ぎるから、ちょっと意地悪したくなっちゃって。」

『よくもまぁ、ぬけぬけと言えるもんだな…っ。』

「だって本当の事だもん。」

『いちいちこっ恥ずかしい事言わんでヨロシねっ!』



顔を赤らめて背けた夢衣。


恥ずかしがる彼女をよそに、彼は愉しそうに微笑んだ。


そっぽを向いた彼女の背後から抱き竦め、うなじに唇を寄せる。



『…!ちょ…っ、りょ、綾時!?』

「なぁに…?」

『なぁにじゃな…、何し……っ!』



制止しようとした声も聞かずに、彼女のうなじへと口付けた。


唇の触れる感触に、背中にゾクリとしたものが駆け抜ける。


思わず、ビクッと肩を跳ねさせた夢衣。


その様子を見ていた綾時は、優しくも愉しげに、彼女の首筋に軽く吸い付いた。



『!……ふ…っ、ぅ…ッ。』



小さく漏れた吐息を噛み殺す彼女。


首周りの弱い夢衣は、ただ触れられたぐらいでも反応してしまうようだ。



「…首、弱いんだね。敏感に反応してて、可愛い…。」



もう一度、ちぅっ、と吸い付くと、唇を離した綾時。


ゾクリとしたものが治まり、一呼吸つけるようになって落ち着きを取り戻す夢衣。


普段にはなく、やや強引だった彼の方を見やると、頬を掻きながら此方を見つめていた。



「…えっと…、嫌だったなら…ごめんね?」

『……そんな顔して言うか…。』

「君が嫌がってないようだったから、つい…。調子に乗ってごめんなさい…っ。」

『あー……。いいよ、別に。怒ってないから…。』



申し訳なさそうに謝ってきた彼に、仕方ないなと内心思いつつ、許しの返事を返した。


怒っていないと聞くと、きょとんとした表情をしたが、安心したのか、ホッと胸を撫で下ろした。



「それにしても、珍しいよね。ここまでしちゃったのに、怒らないどころか、受け入れてくれるなんて…。」

『…なんとなく…だよ。』

「うん、でも嬉しいよ!君の新たな一面が知れてさっ♪」

『言うなそれ…!ハズイ…っ!!』



照れたように笑う綾時が先程の事を言うと、夢衣は恥ずかしさのあまりに顔を覆った。


彼は、その手を取り、隠された顔を覗き込もうとする。


称えられた笑みは、どこかいつもとは違う彼。


覗く瞳は、なんとなく、熱を帯びた様で色っぽい。



「ねぇ、君の顔…もっとよく見せてよ。」

『…だが断わる。』

「えぇ〜…、可愛い表情が見えないでしょ…?」

『私の顔よか、綺麗な月の方でも見てらっしゃい。』

「確かに、赤い満月も綺麗だけれど…。夢衣ちゃんの方が、美しいと思うよ?」

『…口説き文句の常套句だな、おい…。』



自分の方が明らかに身長が高い筈なのに、わざわざ身を屈め、上目遣いで下から覗き込んでくる彼は、恐らく策士で確信犯だと思われる。


一般人が口にするには抵抗のある口説き文句も、彼の口からは平然と流れ出る。


そんな言葉でも、彼が言うと、何故ときめいてしまうのか…。


例え一瞬だとしても、ドキッとしてしまう夢衣なのである。


悔しいが、彼という、望月綾時を好いている事に他ならないのである。


彼自身、その事に気付いている可能性はあるだろう。


が、それを、自ら告げるという事はしない。


言えば、調子に乗るであろう事が目に見えているからだ。


そんな彼女の心情など露知らず、構って欲しげに声をかけ続ける綾時。


うっすら、指の隙間から様子を見ていた夢衣は、溜め息を吐き、手を退けた。



「せっかく素敵な月夜なんだから、もう少し君と楽しみたいな。」

『眺めるだけで…?』

「ううん。それだけじゃつまらないでしょ…?勿論っ、素敵な事と一緒にだよ!」

『……随分へらりとした笑顔ですね。』



それはもう、眩しいくらいに清々しい笑顔である。


下手すると、自分の身がOUTだな…と、しみじみ感じた夢衣。


現に、先程の綾時は、オセオセだった。


そして此処は、二人きりな部屋の中、ベッドの上。


ペースに飲まれれば、確実にヤバイだろう。


―窓の外では、赤い満月が淡く輝き、照らし続けている。


幻想的な空気に飲まれ、特別な月夜に魅せられた二人は、果たして…。


何時に眠りに就くのかは、赤き満つる月のみぞ知る事である。



END

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