8.周りから、固まる
「えっ?」
「来週末だけどね?」
お母さんが柿を剥きながら、わたしの退院が決まったことを言った。
昨日先生に大部屋を申し込んだ翌日に退院が決まるの…?確かに来週なら足の炎症も治まるのかもしれない、だけど急すぎて頭が付いていかない…。
リハビリのこともあるから、しばらく通院ということは変わらないけれど、急な展開な事にも変わりない。
「急なんだね…」
「そーう?でも先生は生活に支障のないくらいまで回復したって仰ってたわよ。」
「…お母さん、いつ聞いたの?」
「あんたの部屋に行く前に呼び止められて、話しされたのよ。」
確かに入院費の事もある。…家に迷惑もかけられない。それによく考えたら家に戻れば
…総司さんの監視から逃れられる…。
よぎった不明瞭だった感情。やっぱりわたしは総司さんとは…。
「おかあさん…」
「なに?」
「わたし、ほんとうに総司さんと…その…」
「何言ってるの?あんたが了承したことでしょ?」
「………りょう、しょう…?」
“了承”という言葉が妙に引っかかる。
そして、その言葉にわたしが反応したことに気づいたお母さんは、なぜか畳み掛けるようにして婚約の経緯を話した。
「まだ歳若いからって不安がってたけど、総司さんの熱意に負けたんじゃない。そこまで忘れちゃったの?」
「……そう、なの…?」
全く持って覚えていない。だけど、そうまで言われてしまうと、わたしは何も言えない。
だけどまだまだ引っかかることはたくさんある。今、総司さんは居ない。聞きたいことを聞けるチャンスだと、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「わたし、携帯持ってた?」
「持ってたけど…、それがどうかしたの?」
「携帯の履歴とか見れば、なにか思い出せるかと思って」
「そうねぇ…」
「ユイちゃんの携帯は、事故の時落ちて壊れちゃったでしょ?」
「……っ!!」
突然総司さんが現れた。
……やっぱり、にこやかな笑顔をたたえて赤い花を持って。
「あら、総司さんいらっしゃい。…じゃあ、お母さんはお邪魔になるからもう帰るわね。総司さん、良かったから柿どうぞ。ユイ、また明日ね。」
「えっ、もう帰るの!?」
「ありがとうございます。美味しそうだね、ユイちゃん。」
三人になることを拒否するように、お母さんはいそいそと病室を出て行ってしまった。にこやかに二人お辞儀をしあい、閉じられたドアのパタンという音を最後に、この部屋の音がいっときなくなった。
さっきの言葉といい、やっぱり引っかかっていたものは、抜けない棘のようにジクジクと痛み、わたしの中の疑問を広げていく…。
コツン、コツンと静寂を壊すように総司さんの靴音が病室に響く。
総司さんは徐に古くなった赤い花を花瓶から引っこ抜いて、そのままゴミ箱に勢い良く投げ捨てた。バサッと乾いた音を立て、打ち捨てられた赤い花は一部が折れ、見るも無残。
そしてその花を捨てる姿は、わたしにとってものすごく恐ろしく映った。
新しく活けられた花はもちろんみずみずしくて綺麗。それに、いつもいろいろな種類の花を持ってきてくれる…。なんだけど、全てが赤い色で、その全てがなんとも毒々しい。
総司さんなりのメッセージか何か込められてるのかと思い、わたしはいつも持ってきてくれる花の色のことを聞いてみた。
「そ、総司さんは…、あの、い、いつも、赤い、花を持ってきてくれますね…。どうして、赤い…」
「君に似合うと思ったからだよ。」
「………っ」
緊張から吃音になってしまってゆく言葉を遮られ、また身体が固まる。なんだろう、この威圧感は…。
本当に息苦しい…。
身体を起こし、虚ろな気持ちで外の方へ目をやった。秋の澄み切った空は、わたしの気持ちと反して清々しく広がっている。
ため息を小さくはいて、総司さんがベッドの傍らに腰掛ける。お母さんの剥いた柿の乗ったお皿を手に持ち、実の一つを楊枝で刺してわたしに向けた。
「はい」
「あ、ありがとう、ごさいます…」
差し出された柿を手に取ろうとしたら、何故かその手は少し引っ込む。
「…?」
なんで…?と顔を上げれば、総司さんは読めないほほ笑みをたたえながら、あー、と声を出し薄く口を開けた。意図がわかったわたしはとっさに自分の口を塞いで首を横に振る。
「あいかわらず、恥ずかしがり屋さんだね。……はい。」
「…………っ」
口を塞いだままうつむくわたしの視界に楊枝の刺さった柿が入り込む。開いている方の手で、震えながらそれを受け取った…。
わたしが拒否をすると、必ずと言っていいほど“恥ずかしがっている”と言うけれど、どうして拒否だと気付かないのか…。
気付いてないふりをしているのか、私の意思なんて認めようとしないのか…
とにかく気持ちが受け取ってもらえない事に、わたしはだんだんと苛立ちを感じていた。
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2016/01/05
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