Memo

2017/05/21

前期黒軍
簡単に、安土坊ちゃんの昔話。



 「安土坊ちゃん」は名家の子息。本邸から離れた別宅で、ばあやと数人の給仕に囲まれて育てられていた。母親の顔は知らず、父親の顔も年に数度見るか見ないか。彼は幼いながらに父親の求めるものが「安土自身」や「家族」といった生ぬるい絆ではなく、「己に見合う駒か否か」「自身の繁栄に繋がるか」だと察していた。

(ーーどうでもいい)

 やがて、安土は文武共に次期当主として申し分ない才能を発揮する。彼には生まれつき上に立つ者の素質があった。それ故に彼は、決められた枠をすぐに満たしてしまい、窮屈な思いをするばかり。なにもたのしくない、つらいことさえなにもない、ただただ無為な毎日を過ごすだけ。自分がここにいる意味など、本当に父親の添え物でしかないとさえ考えていた。
 一方で従者たちは「これなら家は安泰だ」と夢想していた。「坊ちゃんは父親と同じように、いやきっとその上を行くーー強く、立派な主人になるだろう」と。

 だがそれは、父親の懸念でもあった。

 幼くして才能を見せた彼がこのまま成長すればどうなるか。自分の立場などすぐに奪われてしまうのでは、彼自身にその気がなくとも周りがせっつくのではないか、そうなると自分の立場などあってないようなものでーー権力者が、権力者たる由縁の無駄な悩みを、父親はどうにも捨てきれない。何せ今まで邪魔になりそうな芽は早い内に摘んできた身。いくら実力があろうとも、不安の種は次から次へと舞い出るものだ。権力と失墜、そして忠誠と裏切りは常に紙一重でバランスを取っている。

「そうだ。ならいっそのこと、あれも今の内に摘んでしまえばいい」

 息子とは名ばかりで、慈しんだ記憶など欠片もない。なにせ、「あれ」は「手駒」なのだから。管理できないのなら捨ててしまおう。そしてまた新しく動かしやすい駒を手に入れよう。「なあに、私の子供の一人や二人、探せばどこかしこに『いる』はずだ」

 そして、どこからか『弟』が連れてこられた。
 そして、父親は安土を捨てようとした。
 そして、ばあやが安土の背を押した。
 そして、今までの全ての馬鹿馬鹿しさに、安土が笑った。

(どうしてあの男はここまで臆病なんだ?)

(己の所有物すらろくな管理もできず、支配者気取りとは。くだらない)

(ならば、あいつが捨てる全てを俺が奪おう。あいつが捨てる前に全てを奪おう。連なる全ても俺のものにしよう。あいつの手が欠片も触れることが出来ないように、足の踏み場などないように、目に付いたものは全て、全て全て全てーー俺のものだ)

 安土の頬に流れるそれは、果たして本当に返り血のみだったのか。彼自身にさえ、もう分からなくなっていた。

Category : 前期組
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