冷たい音色と相対した心
好きだ、と言いたかった。
たとえこの声が届かないものだとわかっていても、それでもわたしはあなたが好きで、ただわかっていてほしかった、理解してほしかった。なんてエゴ。これが最後だと意気込む声も涙も、溢れるほどあなたには見られたくない自分だった。


「おまえ、馬鹿だな」
「…うっさい」
「そんななくくらい好きなら早く言っちまえばいーのに」
「言っても受け入れてくれない、から」


昼下がり。特別日課だった今日はさっさとみんな学校を出てしまった。がらんとした教室に男女2人。突っ伏したわたしに大きなため息をついた目の前の大男は、いままで弄っていた携帯から視線をわたしに変えて口を開く。ばかか、と。


「お前いつからそんな弱気キャラになったの」
「は、女の子はいつでもか弱いですうー」
「そうかそうか女の子な。ごめんなさい、気づかなかったですうー」
「うっざ!女の子やってきて18年目なんですけど」
「へええ。知らなかったわ。誰だったけなー、パンツ一丁で俺の部屋で漫画読んだりアイス食ったりしてたのは」
「誰デショウカ」
「ちなみに水色パンツな」
「なに?覚えてんの?!きも、きもいい!」


にやり、とこちらをみるクロの寝癖をこの手でぐっしゃぐしゃにしてやりたいと思う。つり目の奥で何を考えているのかわからなくていつもいらいらする。いつもそうだ。幼馴染みという腐れ縁のせいでアホみたいに時間を共に費やす男友達。それだけなのに。彼ーーやっくんは絶対勘違いをしている。こんな黒猫みたいな大男を、誰が好きになるもんか。


「きもいは褒め言葉なんでねー。」
「黙って。わたしはそれどころじゃないの」
「ま、なまえがその気なら俺はいつでも?いいですけどお」
「 だ ま れ 」
「うわ、怖いわあー。夜久にその顔見せてやりてーわー」
「そんなことしたらもう秋刀魚の塩焼き、家で作っても絶対呼ばないからね」
「なめんな。俺とお前んちの母ちゃんのパイプは思いの外きっちり繋がってますんで。連絡くるし?ばっちりだわ」
「お母さん最低。クロはもう嫌い」


やっくんを初めて見たのは高1の夏。クロの練習を見に行った時にいた、小さい男の子。同級生ってことを知ったのはその後で、2年生からは同じクラスになってどんどん仲良くなっていった。

好き、と言葉が飛び出たのは1年前から。でも、やっくんは焦ることも驚いた素振りもみせず、はいはいと笑ってわたしの暴走した口から出た言葉を軽くあしらったのだった。優しいやっくんはわたしの言葉を信じなかった。
ーーいや、信じられなかったんだ。

やっくんは、わたしはクロが好きだと思い込んでいるから。


「ほんっと迷惑、」
「?、まあまあ落ち着け」
「やっくんって天然?ていうかわたしのことをそういう目で見れないのかな」
「…どーだかな。いずれにせよ天然ではねーな」
「じゃあわたしに何か問題があるの」
「女じゃねーって思われてんじゃね?」
「…クロなんて死ねばいい」
「なんでだよ、正論だろうがよ」


クロがいう正論に耳を塞ぎたくなる。やっくんはいつもわたしに笑ってくれる。わたしの頭に手をやって優しく撫でてくれたり、みんなで帰る時も自然と歩幅を私に合わせてくれたり。こんなので甘い期待を膨らませてしまうわたしが惨めったらしい。確かに彼の前ではいつも女の子だった。勝手に、だがわたしはいつも彼の前では一番でいるんだ。


「クロのこと好きって思われてる、」
「…まじか」
「うん。大マジ」
「そいつは痛えな」
「…クロからなんか言ってよ、」


外は灰色で埋め尽くされてそれはそれは不気味な夕方で。見ると心がさらに曇ってしまいそうで、再び机に顔を伏せた。弱々しく出た「好き、なのになあ」という言葉は本当に痛々しくて、思わず鼻がつんとした。それを知ってか知らずか、大きな手が頭の上に触れた。やっくんじゃないクロの手だった。


「俺も好きだ、って?」


予想外の言葉に耳を疑う。からかわれているのか。依然として頭に乗った手は一定のリズムで髪の毛を梳く。やめて欲しいと思った。やっくんの思い出をクロで上乗せされてしまうような気がして怖くなる。でもクロを断ち切れるほどわたしが強くないことを、わたしは痛いほど知っていた。


「そーゆー冗談きつい」
「…あ、やっぱり?」
「うんやっぱり」
「ほら。雨降りそうだし、もう帰るか」


クロの後ろ姿はやっくんとは全然違う。髪の毛もあんなつんつんしてないし、黒くもないし、背もこんなに大きくない。でも、安心感は一緒だった。側にいて心地よいとか、甘えられるとか、いつの間にかそんなところを重ねてクロに漬け込んでいたのは私の方じゃないのか。クロが振り向いて、いくぞと手を差し出す。それを抵抗なく握ってしまうのは幼馴染みという以上に、ただの慰めになってしまったのはいつだろうか。


「…クロ、」
「ん?」
「いつもごめんね」
「なんだ急に。お前のわがままには慣れてますー」


クロの手は大きい。どう考えてもやっくんとは被ることはないのに、クロの優しさが心地よくて、甘えているわたしは多分すごくずるい。こういうところをまた見られて、わたしが好きなのはクロだって言われるんだろう。ごめん、と言った言葉のなかにはどれだけの意味が孕んでいるのだろう。自分のことなのに考えられなくて、ただただクロの左手に縋ることしかできなかった。


「(おまえはいつまでもこのままでいーんだよ、)」


雨雲の夕暮れに消えてしまいたかった。

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