Strangeと危うさは紙一重

萩原研二が12歳の時、なんと妹が生まれた。両親は早婚で、子供を生むのも早かった。研二は21の時の子供だ。33になるまで、どうにかもうひとり欲しくて頑張っていたそう。それが実って、しかも母が望んでいた女の子だった。

これだけ年が離れてると不思議な気分だが、テレビでよく見る喧嘩なんてしないだろう。それは平和で良いことだし、小さい子は好きなので進んでお世話を手伝った。少なくとも研二はじきに中学生、身勝手な感情だけで動いて泣かせるなんてことはなかった。

苞羽に最初に違和感を感じたのは中学生になってから。泣きやまなくなってしまった。お腹が空いたわけでも、おむつが汚れたわけでもなく。何に泣いているのか分からなくて、母も父も困っていた。しかし、何故か研二の顔を見ると一瞬泣きやんだ。苞羽は内心、あ、萩原さん生きてると安心していた。
原因がわかったのは、短期出張から帰ってきた父が苞羽を抱き上げたとき。手足をバタバタと暴れさせ、父の腕から逃れようとしていた。父は戸惑いながらも離さなかったため、次の手段使った。苞羽は満足に言葉が喋れない。だから、体で示した。父の腕につけられている時計を紅葉のような手で叩きまくる。

「苞羽!?時計か?時計がどうした!?」
「とーさん。」
「おお、何だ研二?」
「時計嫌なんじゃないか?」
「嫌?………苞羽、時計嫌か?」
「うっ!や!」
「ずっと泣いてたのは時計が理由か?」
「ちょっとあなた、そんなこと苞羽に言っても分からないわよ。」
「そうだよ、まだ1歳だし。」
「そうか……。」
「う!う!」
「時計怖い?音が嫌?」
「う!や!」
「あれ、これ質問の意図が分かってないか?」
「そう、ね。随分と頭の良い子……。」
「苞羽は時計の音が嫌い……。父さん、苞羽貸して。」
「いいけど……。どうかしたのか?」
「時計はやだ。他に何かあるのかなって。父さんたち音がしない時計すぐに探してきたほうが良いんじゃないの?今なら家電屋さん空いてると思うし。俺苞羽と留守番してるから。」
「そうね。苞羽も泣き続けるのは疲れちゃうもの。嫌いなものは取り除いてあげないと。あなた、出張帰りで悪いけど……。」
「気にしなさんな。苞羽の今後の為だし、車出すよ。」

父から苞羽を受け取った研二は財布だけ持って飛び出していった両親を見送った。急ぎすぎて鍵をかけ忘れていたので、内側から一つ鍵を掛け苞羽を抱えなおす。

「他に苞羽の怖いもの〜?まさか指差せちゃったり?」

冗談半分で苞羽に聞いた研二は、やはり質問の意図が理解していると感じた。苞羽が指差したのはキッチン。そのまま近寄れば、逃げるように研二に体を寄せた。

「コンロ?ガス?火?」
「う!」
「それはどれだ……。」
「うーう!」

しきりに指を指すのは五徳。寧ろそれではもっと分からない。

「うーん………。火か?」
「う!」
「火、火な………。分かった。あとは?」
「ん…………んー?」
「思い当たる節はなしってことね。」

部屋中をぐるりと見た苞羽だが、他に何も浮かばずに首を傾げた。それがちゃんと伝わったようだ。

―――苞羽が4歳になった頃。苞羽の心にも研二の心にも変遷が訪れていた。

研二に関しては、それよりもっと前からあったものがより強く主張してきていた。言わずもがな年の離れたたいそう可愛い妹のことだ。これでもかと可愛がっているが、その奥にある異常性には言い表せない気味の悪さを感じていた。
研二ももう高校生。学校という小社会に揉まれていくうちに、結構色々と覚えた。だからこそ、気がつくこともある。苞羽まるで純粋な子供なのに、その目は確かに大人の世界の荒波を知っていたかのように見えた。子供にはないはずの本音と建前も見える。何処かで拵えてきたトラウマも、その理由が分からなかったからなお不気味だった。

「苞羽は何か悩みがあるのか?」

苞羽のトラウマは火、熱、時計のように一定間隔を刻む音、夕日、破裂音、火薬の匂い、雷。幼稚園に入ってから普段は驚くほど泣かないし我儘を言わない苞羽が泣くほど嫌がったのが運動会だ。徒競走などで使われるスターターピストルが原因だった。破裂音、火薬の匂い。それで過呼吸を起こしたこともあったし、雷の日に研二の布団に逃げてきたこともあった。因みに苦手なのは音ではなくピカッと光る方だ。
どう考えても、普通じゃない。

「お前大人っぽいなぁ。お兄ちゃんよりずっと大人だぞ?」

苞羽は、この年の離れた兄が好きだ。明らかに気がついていて、避けようと思えば避けられるのに、態々突っ込んできて地雷を踏んでいく。当然そんなことをすれば苞羽の機嫌を損ねるし、研二にも辛く当たる。なのに、懲りずに地雷は踏むわ、逃げた苞羽を追ってきて捕まえられるわ、散々なのだが。

「お兄ちゃんになにか言いたいことがあるのか?目が訴えてるぞ〜、正直だな。」

なのだが、嫌いにはなれなかった。よく面倒を見てくれる、という理由だけではない。まず何よりも悪意がないこと。確かに探ってくるし、嫌だって言ってるところを執拗に突っついてくる。けどそこにあるのは悪意ではなく理解しようとする意思。だから踏み抜いた地雷で負った傷を丁寧に手当してくる。愛という感情で。兄もそれで傷ついているというのに。

「心配するなよ。お兄ちゃんは苞羽の味方だ。どんな信じ難い事を言っても、お兄ちゃんだけは信じてやる。」

絆されてしまった。完全に。兄が、萩原研二が向ける愛は兄妹のそれじゃない気がした。もしそうなら、逃げ場はあったかもしれないのに。12歳差の妹を女性として恋愛対象にいれていたように思う。それに嫌悪感を持つことはなかった。半ば開き直っていたと言っても過言じゃない。
これで苞羽が大人なら自己犠牲も大概にして!と怒鳴っていたぐらいには献身的で、恐ろしく思うくらい心の怪我に鈍感だった。

でもそれが、この世界で苞羽が最も求めてきた事だ。沢山地雷を踏んで、研二はそこに辿り着いた。仕方なかったというか、そうならざるを得なかったというか。もうこの兄が堪らなく好きだった。

――彼が、後に起こる爆弾事件で解体中に殉職した萩原研二だとしても。

比較的早くにわかった。まず名前。前髪、襟足の長さ、タレ目、手先が器用、まだ若いものの特徴的な声。あれこれ可笑しいなという違和感は、ニュースによって真実だと証明された。聞き覚えがありすぎる、驚異の犯罪発生率を誇る街の名前が流れたからだ。

「頼っていいんだ。それは妹の特権だろ?お兄ちゃんも妹の悩みを聞く兄の特権使いたい。」

苞羽は自分も死ぬかもしれないが、研二が確定で死ぬことになるのが我慢ならなかった。原作は大事だ。きっと今後にも大きく影響してくる。だがそれとこれとじゃワケが違う。一人の犠牲が最大の幸福だとしても、それを喜んでも。その犠牲が大事な人だったら、掌を返すだろう。
それは苞羽も同じ。誰が望んで何れくる死神を正座で素直に待つか。

この時、兄を死なせたくないから介入する。苞羽の中で真っ直ぐな芯が通った。そして、兄を悲しませたくないから、その友人たちも。


そんなこんなしながら、研二にベタ惚れして引っ付きまとっていた。研二も邪険にすることなく、付き合ってくれる。

5歳を迎える頃にも苞羽のトラウマは結局病院に行っても大してわからなかった。要素から考えると爆弾の可能性あるが、もしかしたら前世の記憶みたいなものかもしれないと。やばい、医者凄いと思わず感嘆した。前世爆弾テロで死んでトラウマですとか流石に言えないが。

閑話休題。

大学に行っても友人と出掛けた話は聞かなかったし、帰りも早かった。自分の為に帰ってきてくれるのかと自惚れる。言葉には出さないが。分かってはいたが警察学校に入学するってなった時には泣きわめいた。近所迷惑レベルで。研二と離れるのもそうだが、「俺、爆発物処理班に入りたいんだ。」って言ってきた兄を止めたくなってしまった。まぁ結局「苞羽が爆弾テロに巻き込まれてもお兄ちゃんが助けてあげる。」って言葉で陥落した。チョロすぎるって自分でも思う。あと微妙に不謹慎だとも。

またまた閑話休題。

研二が5月中頃に外泊をしてきた。その前からちょくちょく帰ってきていたが。苞羽とデート、なんてこともまあまあある。
その日の研二は、どことなく雰囲気が違った。苞羽にアイスココアを作って、研二もアイスコーヒー片手にソファに座る苞羽の隣に腰掛けた。猫を甘やかすかのように顎下を撫でたり、親指で目元を撫でたり。その目は少し落ち着きが無いように思える。

「お兄ちゃんは苞羽のこと愛してる。だから、不安なんかないんだよ。」

そこで言葉を切って、苞羽の瞳を覗きこむ。

「お兄ちゃんは傷つけてること分かってる。分かってるけど、こうしないと分かり合えないだろ?本当はこんなことしたくない。俺の一挙手一投足で苦しむ苞羽は見たくない。でも、知らないふりはもっとしたくないんだ。」

語尾の強さが、感情の高まりを示していた。どこか言い難そうに、でも言葉に迷いはない。笑みが絶えない研二の真剣な顔に、かっこ良すぎるなんて思いは吹っ飛んだ。緩みそうな頬を引き締め、本心を伝える。

「………分かってるよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんが私を愛してくれてるのも、本当は傷つけたくないって思ってるのも、伝わってる。気持ち悪がらないでずっと理解してくれようとして、嬉しい。確かにお兄ちゃんが思うような秘密は沢山ある。どこで拵えてきたかも言えないし、それが何かも言えない。でも、何れお兄ちゃんの役立つことだから。」
「………んー、そっかぁ。じゃあ聞けないね。でも何れの時が来たら教えてくれるの?」
「教えるよ。でも何で?って聞いちゃダメだからね?」
「そーかい。ならお兄ちゃんその時を待ってるよ。」

核心に迫った研二を、躱すことはしなかった。どちらにせよ、明かす時が来る。それまでは待ってくれ、と誤魔化しもせずストレートに言う。嘘をつきたいわけじゃないから。
その苞羽の返答に、研二は満足気に笑った。ただ、いつもと違うのはその瞳に浮かぶ欲の色だ。

あぁ、勘違いではなかった。

苞羽の持つ欲と同じのもが、確かにその瞳に住んでいた。甘い色を持つタレ目は苞羽を捉えている。

「――――愛してる、苞羽。」

少し掠れた色気のある声で、愛の言葉を紡いだ。器用に動く細い指が苞羽の顎を掬い、言葉を消すように唇を落とした。返事を貰わずとも、研二は分かっていたから。その言葉を聞くのは、もう少し先が良い。それくらい、研二にとって苞羽の愛の言葉はごく稀じゃないと耐えられない破壊力があった。さっきの苞羽の言葉でもうノックアウト寸前だ。これ以上は平常心で聞けない。


そんなわけで、こんな特別でも何でもない日に年の差禁断の兄妹カップルが誕生した。

…………この告白の前からどっからどう見ても兄妹より恋人に見えた二人の両親は、一体どこまで知っていて、どこまで了承しているのだろうか。彼らの最初の壁は他ならぬ両親と見た。



『Strange』異様