「……更生がそもそもそういうものじゃと認識していたが故に見落としておったわい。
間違いなく23回、記憶は消えておる。…そして、どれだけ共喰いを重ねようとも記憶に干渉しうる能力は持てん。記憶は目には見えず、正確に形が分からないものじゃ。想像できなければ実行できない。
後は思考を読む、要するに考えていることを読み取るエスパーにもなれんな。思考なども形ないものじゃから。
何となくでも想像できればある程度は可能じゃ。明確になれば成功と言えよう。」


「『きおく』のかいざんの『かのうせい』、ということですか…?」
「それは嫌だな。零さんの言いたいことは分かるんだけど。明確に形が思い出せないと作れない、能力を使うなら記憶も同じ要領。これ、能力以外に何かあるってこと?」
「うわ、俺たちが知らなかった未知の領域的な…?」

創の言葉で空気が変わる。前2柱が加わった時点でどうも緊張感のなくなっていた空気が、冷えた。物理的な訳ではなく、久しぶりの緊張。自身らの存在すらも揺るがしかねない事実。
彼ら”硝子”も”破片”である英智も更生とは記憶を消して、と記憶消去が大前提にあった。聞きなれたよく知っていた内容だから見逃していたのだ。その前提がおかしいことに。

「更生の内容に受けているものすらも知らされていない何かがあったってことか?」
「なずなさん、敵方に落ちた時点でその可能性はほぼ確実にあります。なにかと”世界”に優遇されている俺たちが、対”世界”を掲げている”赤服”の更生を受けたとはいえ不安定な―――。」
「っゆう、それじゃない?繰り返し分のやり直し、その間は記憶が完全に消えないって。兄者でも23/28。残り5回なのに今は完全に記憶が戻ってる。若干霞んでてもいいはずなのに。

……最初から、カルマを消す気がないとしたら?俺たちみたいに引き摺りださない限りは思い出すこともない。」

「更生が全く違う意味を持ってくるってことか……。確かにリッツたちみたいにやらなきゃ思い出さない。カルマを重ねてもおれたちの記憶が戻らなければ問題ない。」
「むこうは何が目的じゃろうか。”世界”相手に戦争を起こすことを主な目的としておる。魔力や能力を求めているわけでもあるまい。器の限界を知らないはずないじゃろうし。」
「”赤服”は『戦争に”硝子”は必要なし。”硝子”も皆等しく人間であるべき』だと言っていたね。
彼らの資金源は旧武器の密輸。彼らが多く持つ武器もまた旧武器だ。羽風くんが”赤服”である以上”硝子”を保有する理由がある。」
「羽風先輩は朔間先輩と月永先輩の監視だったんですかね。力づくで思い出させると面倒な相手であることを分かって。」
「あー、あれ薫先輩からの見逃しだったってこと?情報どころかそれ下手したら先輩死ぬよね?つまり監視をつけてでも逃したくはなかった…、まあ2柱だし。更生の最中に何か仕込まれてたとか?」
「『しこみ』……。それがなじむのに『くりかえし』が必要だった……?」
「うわ、奏汰さんそれ笑い話にもならないくらい現実的ですよ!」

「とりあずそれが今のところの結論かな。更生は偽装、監視が付くほど前2柱の更生を終了させたかった。更生には仕込みの可能性あり。」

刹那の言葉に全員が同意の意を示し、英智も「もう少し探ってみるよ。」と難しい話を終えた。
そもそも”硝子”や能力といった解明されていないものが多い中、持っている情報で議論するのには限界がある。迷走しても困ると現3柱は話題に時間制限を設けていた。こんがらがって論点がずれたりすることが多いのだ。これ以上は話す必要はない、無駄になると区切りをつけて。
これが普段からの会議スタイル。

「『世界五分前仮説』?」
「うわ、凛月そこでそれ出すの?世界は実は5分前に始まったかもしれないって?なおさら疑心になりそう……。」
「世界?システムのことですか?」
「あ、聞きなれないか。所謂地球とか宇宙的な解釈でいいよ。私たちの言う世界はイコールでシステムに直結するけど、昔はそういう意味の単語だったんだ。
懐疑主義的思考実験。バートランド・ラッセルが提唱したものだよ。」

刹那は凛月の言葉に過剰に反応する。あまり好きなものではないようだ。身体を机に伏せながら一応凛月に返していく。

「世界が5分前にできたことを否定できない、過去が存在すると証明できない。」
「5分以上前の記憶はがあるのは証明にならず、偽の記憶が植え付けられて5分前に始まったかもしれない。記憶の話をするとねぇ……。この間の『自我の起源』もだけどそういうの思いつくなぁ。」
「すべての非実在の過去の住民が『覚えていた』状態で出現することに論理的不可能性はないからね。思考実験なら山ほどあるから見る分には好きだけど『世界五分前仮説』だけは嫌。」
「ぼくは『ふかちひそんざいかせつ』がすきでですね〜。」
「あー、自分の見えない領域は存在しない虚空で振り向いて認識した瞬間に存在するが、逆にさっきまであった前方は消失するやつね。『不可知非存在仮説』、空間は認知によって初めて存在する。奏汰にしては意外かも。」
「それは面白いよね。『脳分割問題』は結構好きかな。脳を半分にしたとき自分という意識はどちらにあるのか。」
「刹那、それ脳梁切断のやつ?左目だけで見ても分からないのに、両目両耳使える時は問題ないとかいう。」
「そ。左目は左脳、右目は右脳で物を認識するが理解するのは右脳。そのため左で物が見えても何を見たかは右脳は知らないため分からない。」
「俺『ヘンペルのカラス』の奴好きだぞ!全てのカラスは黒ではないってな!」
「『AならばBである』の真偽は『BでないものはAではない』の真偽と同値ってやつね。『すべてのカラスが黒い』ということは『黒くないものはカラスではない』。一見簡単に証明できそうでも『黒くないもの』の比率が多すぎてすべて調べるのは事実上不可能。」
「ま、既に反証されてるけどな。アルビノのカラス。あと東南アジアのカラス腹が白かったり灰色だったりするんだよな。」
「俺何言ってるか分かんない……。」
「ひなちん、おれも分かんないよ。」
「我輩シュレディンガーの猫くらいしか知らん。」
「僕もそれくらいだよ。」

『世界5分前仮説』から思考実験へと移り変わり凛月と刹那、奏汰が話をしていく中でさり気なくレオも参加している。
凛月の言いたいこと自体は分かるのだが自身の存在が揺るぎかねないような思考実験、とくに記憶の改竄というのはいいものではない。
彼ら”硝子”がその記憶を蓄積しながら生きているのだから。その記憶が己を形作る。
『脳分割問題』にも意識がどちらにある、二つに割って別々の場所に持っていき景色を見たとき正しく理解できるのは?どちらが本当の自分か、持って行った脳を戻したときどちらの記憶があるのか。
目の間に仕切りを入れ左で見たものを右手で取りなさい、その逆といった実験も行われていた。その時、正しくものを取れているにもかかわらず何を見て何を取ったかは理解できない。
それが脳梁という左右の脳を繋ぐ連絡部分を切ったことで発生するのだ。
もはや何語を喋っている、といった感じのひなたとゆうた。自分もだとなずなもそちらによる。
思考実験の話を始めた時点で零と英智は紅茶を飲み参加する気はないらしい。彼等にも知識の少ない分野があるのだろう。創は思考実験すらもメモに書き連ねている。

「さて、思考実験の話はそこそこにしてこの場はお開きにしようか。さすがに夜と言っても差し支えない時間だしね。」
「我輩らはどこかで隠居することにするかのう。薫くんが逃がしてくれたわけじゃし。学院にいて迷惑かけるのもあれじゃからな。」
「こいつと隠居かよ……。ま、妥当か〜。おれらのことは気にせず動いていいぞ。蹴散らせる自信があるからな、わははっ!」
「兄者と王さまはよく分かんないけど仲良さそうだよね。」
「レオ先輩微妙に毒吐いてるけどね。英智さん、私たちも学院は休学にさせてください。あれで終わらないような、薫先輩も不穏なこと言ってましたし。」
「分かったよ。ほんの少し前に言ったけれど、刹那ちゃん呼び捨て敬語なし。深海くんとかには普通に話しているんだからそれで構わないよ。というか、そうじゃないと返事しないからね。」
「我輩もそれに賛成じゃ。やりにくかろう。」
「お!刹那呼び捨てにしてくれるのか!?」
「………逆にやりづらいけど、まぁいいか。私用で絡むことも多くなるわけだし。」

微妙にゴリ押し感が否めないが学校の先輩後輩で関わらない以上構わないだろう。アイドル科の人たちはみな名前呼びを好むらしく、音楽科ではなかった経験だ。
その学院ともしばらくお別れである。今回の襲撃があった以上、巻き込まれる可能性の高い”珪砂”と一緒に過ごすのは危険だ。妥当な判断だろう。
レオと零が心配ではあるが戦闘能力は申し分ない。武器の媒介がないが彼ら自身で生成するようだ。
英智は迎えに来ていた車で帰り、零とレオも互いに軽く言いあいながら裏路地に入って行った。
こうして見れば零とレオの信頼関係が強固な物であると分かる。伊達に一緒に統治していなかったということか。
創は刹那に引かれながら久しぶりのエデンに入って行ったのだった。




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