翌朝、予想通り部屋にいなかった凛月は監視塔の最上階にいた。ここは殆ど使うことがなく、物思いに耽るには最高の場所だ。
足を外に放りだしぶらぶらさせながら水を漂わせている。赤い水は凛月の指先と戯れているようで少し楽しそうだ。当の凛月はどこかに思考を飛ばしいるのかぼーっと空を見上げている。なにか決断に揺れているように見えた。
刹那が入ってきたことに気が付かない時点で相当余裕がないようだ。「凛月?」と声を掛け、目が合うように塀から上半身を出して覗き込む。

「刹那じゃん。こんな所でどうしたの〜?」
「いや、昨日の夜から可笑しかったから。創寝かしつけ後すぐになくなって。そのまま帰ってこなかったし。」
「あー。なんて言い表していいか分かんないんだけどねぇ…、”硝子”であることを放棄しようかなって。エデンの統治に最適な人がいないなら、エッちゃんが言ってたように”破片”でも可能だからさぁ。
”世界継承権”が何だか分かんないけど、持ってても良さそうじゃないでしょ〜?寧ろ悪いこと起こりそうだから早々にね。」
「そうだね。”破片”になっても統治は可能だし繰り返しもできる。凛月と一緒にいられるってのは変わらないからね。
まぁでも、”世界継承権”なんていかにも嫌な感じするっていうか、胡散臭い?継承って何を継承するのかな……。”破片”になるのは賛成。」
「他のメンバーにも一通り聞いてみるから、今は保留かなぁ。にしても、”硝子”とか”破片”とかなんでそんな名前になったんだろうねぇ……?」
「珪砂は硝子の材料だよね、未完成品。”硝子”と呼ばれるのは本質は凄く脆いからかもしれないね。だから誰かと溶け合って、また強固にしていく。割れないようにしたくていろいろな”硝子”と溶け混ざり、そして今の私たちなのかな。
エデンは溶融窯なのかもしれないね。ここで溶けて混ざる。」
「元気のない子が元気になるのはじつは誰かの硝子が混ざったり……とかねぇ。
”破片”はその間で壊れてしまって、割れて一つになるのが恐くなったみたいな感じかなぁ。もう一度溶け混ざりたいと願いながらも、割れる恐怖でくっつけないのかもね。」
「だから溶融窯から出て外で暮らす。……何が真実かは分からないけどね。」

何時の間にか、カルマを背負った彼らのことは”硝子”と呼ばれていた。すぐに割れてしまいそうなものをあえて選んだのか。理解は遠く及ばない。

朝焼けが過ぎ去ろうとする。エデン内も静かに活動を始め、大人が朝ご飯の準備をするところだろう。じきに子供たちも目が覚め、食堂で食事をして各々やりたいことをするのだ。遊んだり訓練したり。


―――――唐突に、ひびが入るような音がした。
結界への介入か、エデンに侵入されたのか。少なくとも結界に異常はきたしている。刹那は凛月と目を合わせ軽く頷き、塔の最上階から飛び降りた。階段を使うよりか断然早い。
既に仕事の分担は決まっている。最上位である凛月は玉座の間で構え、刹那は前線へ。3柱全員が前線に立つことはあまり良いとは言えないため、大概はこういう分担になる。創はまだ起きていないだろうから行き際凛月が起こしてくれるはず。
そこで、なずなからの念話が入った。

「<確認!全員動けるな!?>」
「<もんだいありません。>」
「<俺たちも大丈夫です!>」
「<私も平気。今大広場に向かってる。>」
「<は〜くん起こして玉座の間に向かってるよ。>」
「<敵は紛うことなき”赤服”。相当な大群で攻めてきてる。防衛ラインは大広場!そこから先の居住区と王城までは侵入さしぇるらよ!>」
「<分かったよ。奏汰は大広場、双子は監視塔に入って結界の紡ぎなおしを。あと、なずな噛んだよ。>」
「<にゃに!?>」
「<和んだね、なず。>」
「<なずなさんタイミング最高です。>」
「<『きんちょう』、いい感じにゆるみましたね〜。>」
「<おみゃえら!おぼえりょけよ!?>」
「<ふふ、さあ迎え撃とう。一人残らず殲滅する。>」

念話は完全に切れた。監視塔でなずなは既にスタンバイ済みだろうし、双子もすぐに着くだろう。奏汰は寝ずの番で大広場に近いところにいたはずだ。
刹那はエデンにいるすべての”硝子”に念話を繋ぐ。本来力無く受け取れない者にも聞こえているだろう。会話じゃなく、一方的な連絡事項のため力無くともできるのだ

「<3柱”女王”です。これよりエデン内危機レベルを最大まで引き上げます。防衛ラインは大広場。各自準備が整い次第迎撃を始めて下さい。大広場には”女王”と”騎士”が出ます。>」

言葉を終わらせたのと同時に視界が開ける。噴水が目に入り、その前には自動小銃と鞭を構える奏汰。彼の右腕には木の枝のようなものが巻き付き、自動小銃を支えている。両手でどちらも扱えるようにしたようだ。
刹那も武器を発現させる。狂気の鎌と、円月輪。細いピアノ線で繋がった円状をした投擲武器だ。相変わらず圧倒されるような青い炎はいつもより大きくうねっている。

「奏汰。まだ来てない?」
「まだですね〜。もう『かがみ』をとっぱしているようですから、そう『じかん』はかかりませんね。」
「他の子たちも早々に準備を終えて構えてるみたいだね。」

刹那と奏汰は噴水の真ん前に構え、そこから横に広がるように他の”硝子”達が構えている。己が武器の発現も終え、いつ来ても動ける万全の状態で。

「<訓練場を抜けた!>」
「<目視出来たよ。戦闘に入る!>」

なずなの念話と同じタイミングで赤いコートが見えた。刹那は奏汰より数歩前に出て、先制攻撃を仕掛ける。薄い刃の円月輪は速く投擲すればその姿を視認できないまま過ぎ去っていく。何が起こったか分からないまま命を終えるのだ。
二つを繋げるピアノ線もまた骨まで断つほどの凶器。
先頭を走って来ていた3人に当たり、次の瞬間には地面に伏していた。糸が切れた操り人形が如く。他の”赤服”は何事だとそちらを見るが、ただ致命的な切り傷があるだけ。今モーションをしていたのは刹那なのだが、まるで鎌鼬のようにも見えただろう。

「人に家に土足で踏み込んでくるのは戴けないんじゃない?」

その言葉と同時に駆け出し、鎌を大きく薙ぎ払った。―――が、鈍い音を立てて止まる。
両刃の片手剣と若い青年の顔が目に入り、数歩後ろに下がった。周りはもう始めているが、コイツは桁が違う。刹那の本能が大きく警鐘を鳴らす。

「ああ、直接会うのは初めてだな。俺はW。”赤服”の幹部。」
「随分と今回のに力を入れてるのね。幹部を投入するのなんてあまり見ないから。」
「だろうな。これで完全にカタを付けるつもりだ。お前たちはここで終わり。」
「そう?そんな片手剣でどうするのよ。能力も出ないようだし。」
「こっちに集中させれば、能力の扱いもできないだろう?」

Wは自身の言葉を証明するかのように手数で刹那の攻撃を止めている。こういう相手の場合、攻撃を防ぐのに手いっぱいで能力の操作にまで回らないのだ。
よく考えられてる、刹那は短く息を吐き目を細めた。経験の差からいえば繰り返しをしている刹那だろうが、男対女の力の差は絶対だ。

「ところで、もう一人はどうした?」
「”君主”のこと?お生憎様、ここにはいないよ。」
「構わん。後でじっくり仕留めるからな。そうだ、お前はこれで更生するしいい情報をくれてやろう。
それを持って記憶を永遠の闇に屠れ。」
「……嫌な言われようね。私が負ける前提になってるのが気に食わない。」
「負けるさ。能力もまともに出せん女ごときが勝てるわけないだろう。
……月永レオ、朔間零。知っているよな?」
「まぁ、ねぇ。」
「アイツらは既にこちらに落ちている。これから話すのは更生の真実だ。土産には丁度いいだろ?」
「最っ高ーね。」


「更生はカルマを清算するためのものじゃなく、洗脳を行うための計画だ。更生を受けた者は”エピメテウス”を魔力に付与される。やり直しをさせる理由もそれだ。一回に洗脳しきるまで投与したら廃人になるからな。」


Wの話を切るように、刹那が攻撃を仕掛けた。
―――なんだって?洗脳?こいつは何を言っている。動揺させたいのか?

「ははっ、いい顔だな。困惑と憎悪、面白いじゃないか。
水晒しの8年も早く馴染ませるために体を冷やす方がいいからだ。記憶がなくなるのもこの”エピメテウス”の副作用。お前らの能力にはないものだろう?俺たちには嬉しい誤算さ。」
「……あんたたちは”硝子”は戦争に必要ないとか言ってなかった?」
「言ったが、それは建前と言うやつだ。じゃなかったら更生なんて分かりにくい名前を付けないだろう。”世界”を相手にするには”硝子”の能力は必要不可欠。”世界”の主戦力は”硝子”だからな。」
「……元から疑い深い組織だったけど真っ黒じゃん。しかもこのタイミング―――。」

―――待てよ?なぜこいつらは刹那達と零とレオが関わっていることを知っている?こちら側に落ちたのは更生のほとんどを受け切ったからじゃなく、また捕まって―――!?

「頭が回るのが早いな。ここまで情報を詰め込んでもまだ回るのか。攻撃の手が緩んでいるわけでもない。最高の人材じゃないか。
そうだ。お前の考えている通りだ。アイツらは既に俺たちが確保し、更生の準備を始めている。”エピメテウス”の効力も切れていないからな。」

Wの皮肉のような言葉にも反論できないほど酷く動揺していた。
何故捕まった?まだ無事なのか?頭の中で浮かんでは消える疑問に空回りを始める。動揺を悟られないようになどできるものか。目の前のコイツを倒して、早々に迎えに行かなければ。
しかし、既に差が見え始めた。刹那は息が上がり力が緩んできている。ここまで大の大人と重い武器をぶつけあっていたのだ。限界が近い。
重い攻撃を受け止めた所でバランスを崩し、片膝が地面に着く。Wのニヤリとした顔が写り、ここまでかと諦めた。




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