ヤドンのしっぽは高級食材で甘くて美味しいのだと聞いたことがあるけれど、私は絶対食べようとは思わない。いや、思えない。
ヤドンの頬を静かに伝う涙を指でそっと拭って、頭を優しく撫でた。
「ヤドンでも、痛みに涙を流すことがあるのですね」
「……当たり前でしょう。生きているんだから」
ヤドンがいくら鈍いからって、痛みを全く感じていないなんてことがあるわけないじゃないか。
背後に立ち、いきなり話し掛けてきた男の気配に全然気が付かなくて、私は一瞬肩を揺らしたが振り返ることはせずそう返答した。
「……そう、ですね。涙を流す程、ヤドンは痛み苦しんでいるのですね」
「ええ。たかが、金儲けの為にしっぽを切られて」
ヤドンは付け根からしっぽがちょん切られていた。いくら血が出ないからといって、また生えてくるからといって、痛まないはずがない。ものすごく痛くて苦しいんだ、ヤドンは。
「ロケット団だか何だか知らないけど、私は許せないな。金に目が眩んでポケモンを大切に出来ない人たちなんて」
「……そう、ですね」
ザッ、と音がして男が立ち去って行くのが分かりようやく私は後ろを振り返った。
先ほどまで私の背後に立っていたその男は身長も高くてスラリとしていたけれど、立ち去るその背中はとても小さく見えた。
私と話していた彼の声は、終始震えていた。
私はてっきり、声が震えていたのは私のようにこのヤドンの有様を見てロケット団に怒りを覚えたからなのだと思った。
でも、それは違った。私は見てしまったのだ。
立ち去る彼の服にプリントされていた赤い「R」の文字を。
彼はどうして此処にいたのだろう。もう用済みである、ヤドンの井戸に。そして何故彼の声が震えていたのだろう。
……なんてこった。
ついさっき許せないと言っていたはずなのに私は興味を持っている、惹かれてしまっている。エメラルドグリーンの髪を持った、ロケット団の彼に。
ふと、先ほどまで涙を流していたヤドンに視線を移すと、私に向かってにこっと笑った。
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ロケット団が壊滅した、ということを私はニュースで知った。
残党は何人か警察に捕まったそうだが、幹部の行方は未だ掴めていないようだ。
思い出すのはあの、ヤドンの井戸での出来事。
あの時のヤドンは今では私のポケモンとなり、いつも私の隣にいてくれる。切られたしっぽは少しずつだが生えてきた。
彼は、あの時私の背後で声を震わせていたあの人はどうしているのだろうか。
いるはずがない、分かっているはずなのに自然と足がヤドンの井戸へと向いていた。
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「あ、」
思わず声を漏らしてしまった。
だって見えたのだ。薄暗い視界の中にエメラルドグリーンのあの時見た彼の、髪が。
彼は優しくヤドンの頭を撫でていた。あの時私が泣いているヤドンにしたように、優しく。
「こんなことで罪滅ぼしになるとも、許されるとも思ってなどいませんよ」
ただ、こうせずにはいられなかったのです。
私が彼の背後に立つと、その気配を感じたのか、振り返らずに彼はぽつりとそう漏らした。
「聞いても、いい?」
「何をです?」
「貴方のこと」
「……は?」
「貴方のことが知りたいの」
彼が振り返って、私は初めて彼の顔を見た。予想以上に整っていて少し驚いたけど、とても悪人の顔には見えなかった。
「私のことを聞いて、どうするつもりですか?警察に通報するのですか?」
「違うよ。私には貴方が悪人にはとても思えなかった。初めて会った時から。私は貴方のことが知りたいの。ただ、それだけ」
馬鹿らしい、そう思われるかもしれない。でもこれが私の本心だ。私は純粋に、彼のことが知りたかった。
「…貴女は随分と変わった人ですね」
そう言って、彼は笑った。
周りにいたヤドンたちも笑っていて、私の隣にいたヤドンも笑っていて、私も、なんだか嬉しくなって笑った。
きっと、ここのヤドンたちが痛みに涙を流すことはもうない。
涙の雫
(2011/09/01)
Snow crystal様に提出しました。