06
「あれ、おはようございます少佐。珍しく寝坊じゃないんですね。」
一瞬コナツの朝開口一番の挨拶が毒舌にも聞こえたけれど、純粋純情なコナツのことだから日頃の行いが悪いオレのせいだろうと若干返事に詰まりつつも、「まぁね。」とだけ返した。
参謀長官室の電気はまだ点いておらず、どうやらアヤたんはまだ出仕してきていないようだ。
しかしアヤたんを除くブラックホークの皆は揃っている。
眠たそうに眼を擦る者も、すでに書類に取りかかっている者もいる中、オレはイスに座りながら今もなお信じられない昨晩の光景に目を逸らした。
「昨日さ、ホテル街で泣いてる女の子の手を引くアヤたん見ちゃった。」
この一言は破壊力抜群だったようで、それぞれの行動をしていた皆の視線が一斉にこちらへと向いた。
何馬鹿なこといってんの。と言いたげなクロたんを筆頭に、皆あまり信じていないように見えるが、一番信じたくないのはオレ自身だ。
どう見てもあれは嫌がる女の子を無理矢理ホテルに連れ込もうとしてたように見える。
「何、ヒュウガ。その女の子ってのが例のアヤナミ様を誑かした『彼女』だとでも?」
「うーん…あれはどっちかっていうと、女の子がアヤたん誑かしたっていうか…、アヤたんが嫌がる女の子を無理矢理って感じだったよ…。」
オレびっくりしちゃってその場から動けなかったもん。とまでは言わないでおく。
「適当に引っ掛けた女とホテルに入ろうとしたら、」
コナツは何故かオレを冷たい目で見たが特に気にせず話を続ける。
「すぐ近くで号泣する女の声がしてさ、何となく振り返ってみたらアヤたんが……。」
女と2人であんな場所にいたというのでさえビックリなのに、手なんか繋いじゃってるし、なんか気遣ってるし、最終的にはそのまま飲み屋街の方に2人で消えて行ったなんて、一夜明けた今、夢だったのかもしれないと思うほどだ。
「本当にアヤナミ様だったのですか??」
ハルセが信じられないといった表情で再確認してくる。
オレだって信じられないけど、あれはどう見てもアヤたんだったとしか言いようがない。
もしくは双子…とか。
小さく頷き返すと、ずっと黙って聞いていたカツラギさんが止めていたペンを再度動かし始めた。
「アヤナミ様に恋人がいらっしゃっても何らおかしいことではありません。むしろ私たちは祝福して差し上げる立場なのでは?」
大人な発言のカツラギさんに「そうだけど、オレビックリしたんだよ!」と言いながらも内心頷く。
コナツやハルセも同じだったようで、驚いていた表情から一遍して春が来たような顔をしている。
もちろん、クロたんは違うけれど。
「ボク、やっぱり気に入らないなぁ、その女。会いに行ってみようかな。」
小さな口からこぼれ出た言葉はひどく静かでとても冷たい音色だった。
***
「アヤたんって、双子だったりする?」
出仕時間ギリギリに執務室に入ると、やけに真剣な表情をしたヒュウガが寄ってきたが無視を貫いて参謀長官室に入った。
今日みたいな日は、馬鹿な奴は放っておくに限る。
黒色で本革な座り心地抜群のチェアに座れば疲れがどっと押し寄せてくる。
胸いっぱいに吸った空気を細く長く吐き出せば自分の吐き出す息が少しだけ酒臭かった。
いくら飲んでも酔わない上にシャワーを浴びてきたとはいえ、酒臭いのだけはいただけない。
今日は会議がなくてよかったと心底安心していると、参謀長官室と執務室を隔てている壁にはめ込まれている窓にヒュウガがベットリとくっついてこちらを覗きこんできたので、問答無用でカーテンを閉めてやった。
いつもなら鞭の一つでも振り回しているところだが、今日はそんな気も起きない。
もう一つため息を吐きながら昨晩人を財布扱いした女を思い出す。
なけなしの1000ユースを払おうとした気遣いだけは認めてやるが、まさかあれほど酒を飲みたがるくせに下戸だとは思わなかった。
どうせすぐ飲み潰れるだろうとは思っていたが、すぐに酔うくせに人に飲ませようとする挙句歩けなくなるまで飲むし、どうにか宥められたと思った矢先、店先で吐き始めた名前を一瞬女として認識したくなくなったものだ。
普通異性の前で吐くまで飲むだろうか。
少なくとも、私は女が吐く瞬間など初めて見た。
それでも放っておくこともなく家まで連れて帰った私を誰か褒めてくれないものか。
これが惚れた弱みというやつなのだろうか。
もしそうならば私はひどく重症のような気もする。
ベッドに寝かせてきた名前はまだ寝ているのだろう。
後数時間後には起きて、恐らく二日酔いに苛まれているに違いない。
私の中で名前はずっと特別だと思っていたが、本当はそこら辺の女と何ら変わりはないのだ。
酒に弱く、泣くときは子どものように目一杯泣き、何事にも全力全開な名前。
私に惚れられたという点を除いてはただの普通の女だ。
ただ、自分の中で特別だっただけで。
だからうるさくても煩わしくはないし、飯を作れと言われるけれど名前の待つ家に帰りたくなるのか。
苦笑しそうになった瞬間ガチャリと扉が開き、ヒュウガがドアの少しの隙間からあからさまに覗いてきたので、そろそろこちらも相手してやるかと懐から鞭を取り出した。
***
太陽が真上にある時間帯に目が覚めた私は、二日酔いでしばらく布団に潜り込んで唸っていたが、おやつの時間にもなるとさすがにベッドから這いずり出た。
胃の中はすでに空っぽのはずなのに、まだ吐き足りないらしい私の体は壁を伝うようにしながらトイレへと向かう。
便器にしがみついて吐いても胃液しか出なくて、そんな情けない状況に、昨日もアヤナミさんに迷惑かけまくったな…と反省した。
店にいる時までは良かったが店から出れば即座に吐き気を催したし、歩けなくてアヤナミさんにおんぶしてもらったし、とにかく酔った私は碌なことしていない。
せめて1000ユースだけでも払おうとしたが、「いらん。」と突き返されたし、もう何というか……帰ってきたら謝ってお礼を言おうと心に決めてトイレを後にした。
口を濯いでシャワーを浴びれば少しは頭が覚醒してきたのか、自分が何故あんな泥酔状態になったのかを鮮明に思い出す。
ズキンと軋むように痛むのは頭なのかそれともこの胸なのか。
服を着て半乾きの髪をそのままに携帯を取り出し、メールを新規作成してゆく。
『別れよう。』という一言は以外にも簡単に打つことが出来て、不思議と迷うことなくそれを送信できた。
気持ちの整理をアヤナミさんが昨日一緒にしてくれたからかもしれない。
しかし電話でも直接言うわけでもないのはきっと私の弱さなんだろう。
「バイトに行く準備しなきゃ…」
大学は休んでしまったけれど、生活するためにはバイトは欠かせない。
そうだ、バイト行く前にウコン飲んで行こう。
***
『なんで。』
そう返信が返ってきてたのは、私が『別れよう。』とメールを送ってから3時間後のことだったらしく、バイトが終わって気付いた私は二日酔いの残る気だるい体を叱咤して『浮気してたでしょ。』とそれに返す。
裏口からカフェを出れば月が誘うように大きくてまん丸く輝いていた。
今日は満月かと眺め見ながら帰路へとつく。
いつからだっただろう、彼氏が私のバイト先に来なくなったのは。
前はあんなにバイトが終わってから会っていたのに。
アヤナミさんとルームシェアする頃にはもうすでにそうだったから、もう数か月も前の話だ。
彼氏の気持ちが離れていっているのにも薄々気づいていた。
メールの返信が遅くなったり、電話がこなくなったのも同じ時期だ。
昨日あれほど泣いた私は、わかりやすいな…と苦笑した。
『浮気?してねーよ。』
『嘘。昨日ホテルから出てきてキスしてるの見た。』
ここまで言わせるのって結構残酷だよね。
言葉にしたらやけに現実感ありすぎる。
そこまでメールをすると今度は電話がかかってきた。
それに出れば「あれは、」と弁解が始まる。
『俺酔っててさ。名前が本命だって。ホント。今回は許して欲しい。』
「今回のは許せたとしても、次は許せないよ。」
『じゃぁ、』
「んでもって今回より以前にしてた浮気も許せない。」
私、知ってたんだから。
大学の友達からあんたが知らない女と腕組んで歩いてたとか、キスしてたとか、連れてる女がよくコロコロ変わってるとか、色んなことを聞いてて本当はもっと前から知ってたんだから。
ただ、自分の目で見るまではと思っていただけでさ。
少なくとも、あんたは私の前では優しい人だったから。
「『今回のは』許したげるよ。」
アヤナミさんがずっと私の話し聞いてくれて何だか気持ちはさっぱりしてるんだ。
アヤナミさんに感謝しなよ。
「でも、以前のは許せないから。これから先またいつ浮気するんだろうって不安な気持ちになるのももう御免。」
自嘲気味に笑っていると、前方にアヤナミさんの後姿を見つけた。
軍服姿で背の高い彼は非常に目立つ。
電話ではこんな話をしてるというのに自然と口元が緩んだ。
『名前、俺…』
「さよならだよ。いままでありがとう。楽しかった。」
とてもとても好きだった。
一人ぼっちの私を愛してくれてありがとう。
それだけ言いきると、私は電話を切ってアヤナミさんに駆け寄った。
自称参謀長官なのに無防備な背中をしている彼の背中をバシンッと叩いて、「今帰り?」と彼の隣に並ぶ。
「お前は私になんの恨みがあるんだ。手加減しろ。」
「いやいやアヤナミさんの背中が何だか可愛らしくて、気合を入れてあげたのだよ。」
「やけにさっぱりした顔をしているじゃないか。」
「まぁーね。別れたし、肩の荷が下りたって感じ?」
思ってもないことを笑って言えば、アヤナミさんは笑いもせずただ何を思ったのか私の頭をポンポンと撫でた。
「昨日の表情とは大違いだな。」
「うぅ、それ言われると辛いなぁ。昨日は多大なご迷惑をおかけいたしました。」
「帰ったらコーヒーを淹れてもらおうか。」
「それくらいお安いご用ですよ。それにしても今日のバイト散々だったよ。」
二日酔いでさー。とバイトでのことを話しはじめると、アヤナミさんは「だろうな」と少しだけ笑ったように見えた。
吐きそうになるし。と言えば何かを思い出したかのように嫌な顔をされたけど。
不思議に思っていると、ふとアヤナミさんの軍服の上着から覗いている鞭の存在に気付いた。
シェア始めたころはこの鞭の存在に大層驚いたものだが、近頃は見慣れたものだ。
「あれ、ねぇアヤナミさん、なんか鞭に血ついてない?」
「気にするな。」
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