08
「こけこっこー。鶏娘が起こしに来てあげましたよー。」
ノックもなしにアヤナミさんの自室へ入り、彼を布団越しに揺さぶる。
確か昨晩『明日は会議だからな、7時には起きる予定だ。』とか言ってたのを覚えていた私が、7時10分になった時点でこうしてご丁寧にお越しに来てあげているのに、彼は不機嫌そうに片目だけを開けて「今何時だ」と問うた。
「7時12分35秒だよ。久しぶりの仕事なんだから気合入れて行きなよ。」
「逆だ名前。久しぶりの仕事だから行きたくないのだ。」
そういって布団に潜りなおそうとするアヤナミさんに私は目を丸くした。
この人もこんな人間染みたことを言ったりするのかと新たな一面を垣間見た気がする。
「最悪後30分は寝られる。寝かせろ。」
「いいけど、私お腹空いたよ。ご飯……」
「私はお前の母親か。」
心底嫌そうな顔をした彼の眉間にはいつもより皺が寄っている気がする。
低血圧なのか、それとも私との会話のせいなのか。
いつもは『おそよう』とか『いつまで寝ているつもりなんだ』とか、私の方が遅く起きて嫌味を言われるせいか、寝起きの彼を見るのは初めてなので妙に気分がいい。
寝起きの彼は若干幼い気もする。
「ママン!鶏娘はお腹が空いたよ!」
「やけに根に持つのだな。新聞の勧誘から数日経っているが。」
「やだなー。何の話かわからないわーおほほ。」
あからさまな高笑いをして、私は「早く起きなよ。」と布団越しに彼の肩を叩いて部屋を出た。
私だって大学の準備とか、洗濯とかで忙しいんだい。
***
今朝、アヤナミさんが作ってくれたパンケーキを消化しきった私のお腹が、グ~と音を立てて更なる食料を求めている。
しかし講義室の時計は11時ぴったりで、私はこの後のファミレスでのバイトに行くために腰を上げた。
「あれ、名前今日もバイトだったっけ?学食に行かないの?」
「ごめん、今日はファミレスのバイト!じゃぁまた明日ね!」
仲の良い友人と昼食を取っている私だが、今日はバイトが入っているため泣く泣く大学を後にする。
更衣室で食べようと、途中でおかかとシーチキンのおにぎりと、飴を買って未だ鳴りおさまらないお腹を撫でていると、向かい側から歩いてきていたピンクの髪をおさげにしている子どもがちょうど私の目の前でこけた。
それも勢いよく、顔から。
「……」
あまりの盛大なるこけっぷりに私は『えぇえぇ!すっごい転び方したよこの子!』と内心叫びながらもすぐに気を取り直して子どもに駆け寄った。
他に駆け寄ってくる人がいないところを見ると、家族は近くにいないようだ。
「大丈夫?怪我してない?」
しゃがんで起き上がった子どもの顔を覗き込むと、顔からこけたのにもかかわらずどこも怪我をしているようではなかった。
「平気。」
顔を上げた子どもは髪に髑髏がついていたりと、中二病には若干早いのに、それはもうまさしく中二病に見える。
見えるのに、どこか可愛らしさを感じるのはこの歳ならではなのか、それともこのプリティーな顔のせいなのか。
「君一人?お父さんとかお母さんは?」
「いない。」
「えっと…じゃぁ一人で遊んでるの?」
「うん。それよりさ、お前名前なんていうの。」
お前って…。
ちょっとーこの子のご両親!
再教育してください!
まだ小さいから教育したら治りますから!
アヤナミさんみたいになる前に早く!!
「名前=名字だよ。君は?」
「ボク、クロユリ。」
「そう、クロユリ君ね。一人で帰れる?」
頷いたクロユリ君に「そうだ!」と、先ほど買った飴を2,3個手に乗せてあげた。
「飴あげる。」
そういって笑えば、クロユリ君はただただ私を品定めするかのような目で見てきたけれど、私は「じゃぁバイトに遅れるから。」と手を振ってその場を後にした。
***
「ただいまー。」
誰もいない執務室に帰ってきたボクは、名前にもらった飴を一つ口の中に入れた。
リンゴ風味のさわやか味とか袋に書いてあって、何だかあの女そのもののように思える。
「おかえりクロたん♪目的の人には会えた?」
誰もいないと思っていたのに、ヒュウガはいたようだ。
にんまりとした顔で笑っているのが相変わらずムカつく。
「うん。名前=名字っていうんだって。」
この1ヶ月、アヤナミ様にバレないように行動するのはひどく難しかった。
アヤナミ様が自室とは違う所へ帰って行っている家とか、そこに誰かと一緒に住んでいるとか、そこまでは簡単に調べられたけれど、いつアヤナミ様にバレるかとヒヤヒヤしたものだ。
ハルセに調べさせて、女が大学に通っているという情報をゲットしたボクは今日、その女にとりあえず会いに行った。
一先ず品定めに。
もちろん後々痛い目に合わせる方向だったのは言うまでもないと思うけど。
「で?その名前ちゃんってどんな子だったの?」
「大学生で、美人ってわけじゃなかったよ。」
あの顔じゃぁアヤナミ様に色目を使ったとかはないと思う。
「え、アヤたん大学生に手出してんの?!?!未成年?!」
「ハルセが調べた情報だと20歳は過ぎてるよ。」
ヒュウガは「良かった…アヤたんが犯罪者になるところだった…。」と呟いて、心底安心したように息を吐いた。
「で、クロたんは何の嫌がらせしてきたのさ。」
「してない。」
「は?」
「してないよ。わざと目の前でこけたりしてアヤナミ様に相応しいか確かめたけど、ちゃんと駆け寄ってきてくれたし、優しかったよ。美人じゃないけど可愛いし。何より飴くれたんだ。」
「クロたん何餌付けされてんのぉぉぉ?!?!?!」
コロコロと口の中で飴を転がしながら「うるさいよヒュウガ」と言えば、ヒュウガは更に「ミイラ取りがミイラになってどうすんの。」とボクの肩を揺さぶった。
うざい。
「ボクだって名前が無視して通り過ぎようとしたらザイフォンで足攻撃して転ばせようとか考えてたけど、全然想像してた女と違ったし、ヒュウガも会えばわかるよ。」
名前が誑かしたっていう線は薄そうだ。
だけどそしたら疑問が一つ浮かび上がる。
「アヤナミ様、なんで名前と一緒に住んでるんだろ…。」
「実はその女の子…えっと、名前ちゃんだったっけ??その子がものすごく強くて、ブラックホークに勧誘しようとしてるとか?」
「それはないよ。だって鈍臭そうだったよ。」
「クロたん、ミイラになった割にはひどいね。」
「アヤナミ様を取ったのには変わりないからね。」
***
日が暮れて家に帰ると、玄関の扉の前で鍵を忘れたことに気が付いた。
昼間、走り回ってカップを倒したヒュウガの馬鹿のせいでコーヒーが上着にかかったので、一旦自室に戻って脱いだその上着の中に入れっぱなしになっているのだろう。
どうするかと考えたところで、今日は名前のカフェのバイトが休みだということを思いだした。
つまりきっと名前は今家にいるだろう。
チャイムを押せば、案の定中からバタバタと名前の足音が聞こえてきた。
「どちら様ですかー。」
この前の勧誘の件で学んだのか、インターホンを使って問いかけてきた。
鶏娘だと罵ったものの、学んでくれた名前を褒めてやってもいい気持ちになる。
「私だ。鍵を忘れた。」
「…私って誰ですかね。オレオレ詐欺ならぬ私私詐欺ですか?」
「声でわかるだろうが。」
「いやーわかりませんねー。私鶏娘なんで3歩歩いたら忘れちゃうんですよー。」
鶏娘と呼んだことを余程根に持っているらしい。
玄関を蹴りたい衝動に駆られたが、そうしてしまっては近隣住民に迷惑が…とまで考えて、自分が最近所帯じみてきたことに気付き複雑な気分になった。
しかしインターホン越しの抗争は未だ止みそうにない。
「あっ!そうだ!本物のアヤナミさんなら合言葉を知ってるはず!」
「そんなものないだろうが。」
「合言葉をお答えください!『今日の晩御飯は誰が作りますか?』」
「……」
私とでも答えて欲しいのかこいつは。
腹が減っているのならこの扉を早く開ければいいものを。
そうしたら拳骨一発で済ませてやるのに。
「名前だろうが。」
「はい外れー。アヤナミさんの偽物決定ー。」
「いい加減にしろ。この鶏娘が。」
若干声を低くして呟くと、こちらの雰囲気をインターホン越しに悟ったのか名前はインターホンを早々に切って玄関を開けた。
「おかえりなさいアヤナミさ、ぅぎゃっ!」
自分より低い位置にある名前の頭に拳を食らわせると、名前はカエルを踏みつぶしたような声を出して「ちょっとしたお茶目だったのにー」と涙目で見上げてきた。
ちょっとしたお茶目にしては抗争が長い。そしてしつこい。
「どうしよう頭割れてない?!中身出てない?!?!」
「安心しろ、お前の頭の中は空だから出てくるものも出てこない。」
「どういう意味っすかね、それ。」
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