09



あの日から何となくだけどブラックホークに行けずにいる。

研究室から戻ってきてベッドの淵に腰掛ければ、思い出すのは3日前の夜の出来事。
壁に押し付けられて、キスされて、見つめ合ったあの日の事を思い出すだけで今も赤くなってしまう。
勢いよく布団に丸まってギュウッと強く瞳を閉じた。

嬉しいとか、恥ずかしいとか。
そんな色んな感情が心の中で混ざり合う。

『抵抗、しないんだね。ねぇ、どうして?』とヒュウガは聞いたけれど、逆に私がどうしてキスしたのかヒュウガに聞きたいくらいだ。


「勘違いしてしまう…。」


私がヒュウガを好きなように、ヒュウガも私の事を好きなのかもしれないと、都合よく思考が動く。
そんな思考回廊をシャットダウンさせたいのに、暴走しっぱなしで心がざわめくのだ。

会いたいと思う。
会いたいけれど、どんな顔で会ったらいいのかわからないとも思う。
なんて恋心は複雑なものなのか。

私はそっと自分の唇に手を当てて、指でそっと下唇を撫でた。

この唇に触れたのだ。
ヒュウガの薄い唇が。
柔らかくて、温かくて、ドキドキした。
私達の距離が0になったようにも思えた瞬間で、少なくともあの時、私はそう錯覚したのだ。

キスをしただけで想いが100%伝わったとは思えない。
思えないけれど勘の鋭いヒュウガのことだから、少なからず私がヒュウガに好意を寄せていることは悟っているはずだ。
そう思えば余計にヒュウガに会いにくくなった。

弟のことだってしっかりと聞きたいし、あの後平気だったのか、本当に皆無事なのか見たいのに、足が動いてくれない。

もどかしい。

いつまでもこんなことしていられない。
私が恋心にうろたえている間にも参謀長官は弟を探すために動いてくれていて、エレーナは着々とアリスを使う作戦を練っているはずなのだ。
私ばかりがこの場に足踏みをしているわけにはいかない。

私は意を決して、ベッドから起き上がり、大きいクローゼットの中にあるたくさんの服達と睨めっこした後、それに着替えて隠し持っている催眠ガスが入ったビンの蓋を開け、見張りの人達の側にそっと置いた。

甘い匂いがしたと思った頃には彼らはもう夢の中だろう。
ドサリと体が地に沈んだ音を聞いた私は、そっと研究施設から抜け出した。




***




こそこそとしている私は傍からみたら結構な不審者だと思う。
思うのだけれどヒュウガ居ないといいなぁ、なんてちょっぴり思っている私は軍の門から中をキョロキョロ見回している。
エレーナや追っ手に見られないようにしないといけないのに、何故私はヒュウガからも逃げようとしているのか…。

ここは堂々と!
門番の人の視線は警戒態勢中だから痛いけれど、前にヒュウガとここを通った時、私がブラックホークの任務に必要な人物だと適当に言いくるめているし。もう何回もこの門を潜っているから身体検査だけで入ることができる。

軽い身体検査を終えて、私は軍内に足を踏み入れた。
ここからは窓口に私が来ている事をブラックホークの誰かに内線で伝えてもらい、迎えに来てもらわなければいけない。
ブラックホークの執務室までは特別な認証が必要で、勝手には入れないのだ。

お願いだから、お願いだからヒュウガは遠征か何かでいませんように。
いませんように!!

誰に祈るわけでもなく、指を組んで祈った。
私の強い祈りが通じたのか、迎えに来てくれたのはハルセさんだった。
執務室に向かいながら、ヒュウガ同様にハルセさんも皆無事だと言って微笑んでくれた。


「ち、因みに…ヒュウガとか…執務室にいますか?」

「ヒュウガ少佐ですか??いえ、今日はコナツさんと遠征で、夕方まで帰ってこないと思いますが。何か用事でも??」

「いえいえ!そんなまさか!」


用事どころか、顔合わせるのが気まずいんですよ!

今の時間は午後2時。
帰ってくるのが夕方と言っていたから、少なくとも4時までに退散できれば会わずに済むだろうか。

執務室に入ると、クロユリくんは執務室のソファの上でお昼寝中だった。
おしゃべりできないのは残念だけど、怪我がないことを確認できただけでも安心した。


「おや、名前さん。いらっしゃい。」

「こんにちは、カツラギさん。お怪我はありませんか??」

「えぇ。名前さんが心配していたとヒュウガくんから聞きましたよ。」


ヒュウガという名前を出されただけでドクンと心臓が高鳴った。
これは会いたくないからなのか、それとも名前を聞くだけでときめいているのか…恋心に疎い私にはわからない。


「そ、そうなんです。アリスもあるし、心配で…」

「ありがとうございます。さ、アヤナミ様がお待ちですよ。」


カツラギさんは変わらない笑顔で私を参謀長官室に通した。


「こんにちは…。」


参謀長官室に入ると、書類にペンを走らせていたアヤナミ様は顔を上げてペンを置いた。


「次の日には来ると思っていたんだが…、遅かったな。」


アヤナミ様はきっと私が悩みに悩んでもどかしさに悶えていた日々のことを言っているんだろう。
その事をアヤナミ様は知らないけれど、少なくとも私が来なかったことを不思議には思っていたはずだ。


「脱走にでも失敗したのか?」

「いや…その、色々ありまして…。」


ヒュウガがあの時キスしなければ次の日にはちゃんと来てたんですよ!
追っ手に捕まらない限りは、だけれど。


「ヒュウガがあの日会いに行ったそうだな。」

「…き、来ましたね。」

「何かあったのかなど聞くつもりはない。それは貴様らの問題だ。だがそのせいで話を進めたいのに進められなかったこの数日間は無駄だな。」

「すみません……。」


ホントすみません。
私も来たかったんですよ!
来たかったのにヒュウガが…。

アヤナミ様は軽く俯いた私を見るなりため息を吐いて、手を机の上で組んだ。


「ヒュウガに弟を見つけられなかったと聞いたな?」


「はい。あ、でもヒュウガはまだ参謀長官とは連絡とってないからって…。」


参謀長官は見つけたかもしれない。
少しだけ希望が見えた気がして、私はジーっと参謀長官を見つめた。


「あまりそう期待されても困る。…と言いたい所だが、私が行った研究施設で見つけた。」


困ると言われて俯こうとした私は即座に参謀長官を見つめた。

今、この人は何と言った??
見つけた??
弟を??


「ほ、ほんと…ですか??」

「あぁ。墓を…だが。」


ぐらりと世界が揺らいだように感じた。
参謀長官の瞳は逸らされていて、この人なりに言葉を選んでくれたのかもしれないと思う。

思っていたよりも平常心を保っている自分がいる。
きっと、心のどこかで弟はもうこの世にいないのだとわかっていたのかもしれない。
エレーナが弟を引き合いにださなくなった時点で私は訝しんだし、弟は無事かと聞けばエレーナは目を逸らしていた。
わかっていたけれど、確証が欲しかった。


「参謀長官…、私を…その場所に連れて行ってくれませんか??」


静かに紡いだ言葉に、参謀長官は小さく頷いた。




***




その場所は研究所から少し離れた場所にあった。
あまり人目に触れるような場所ではなく、見張りもいない静かな場所だった。
夜に見つけるには至難の業だと思う。
それを見つけてくれた参謀長官にはただ感服するばかりだ。

参謀長官は黙っていてばかりの私をつれて見つからないようにこの場所へ来た。
昼間な上、敵地なのに何故こう堂々としているのだろうか、彼は。
人気のない場所といえどいつ見つかるかわからないのに…と嫌なくらい冴えている頭で思った。

弟のお墓はとても綺麗にされていた。
花は最近添えられたようで、枯れておらず活き活きとしている。

薄く真っ白い楕円型の墓石が建てられており、そこにはユキ=名字と彫られていた。
享年16。死亡した日付はエレーナが私に『弟を殺す』と言わなくなった頃とほぼ一致していた。

このお墓を作るように指示したのはエレーナだろうか。
こんなに綺麗なのは誰かが掃除してくれているのだろうか。
お花は誰かが換えてくれているのだろうか。

不思議と涙は出なかった。
お墓を眺めている私に、参謀長官はずっと黙って待っていてくれたけれど、しばらくすると急に私の口を塞いで腕を引いた。

2人して草の茂みに隠れると、遠くから足音が聞こえてきた。
こんな場所に誰が用事なのだろうかと茂みの中からこっそり覗くと、お墓の前にエレーナの姿。
何をしているのかとそのまま見ていると、持ってきた新しい花と入れ替えていた。


「ごめんなさいね、今日は時間がなくて掃除してあげられないの。また名前が脱走しちゃって。」


墓石を撫でるエレーナ。
この角度からはイマイチ表情は見えないけれど、声はとても穏やかだった。


「心配だから探しに行かないと。また明日来るわね。」


それだけ言ってエレーナが帰っていく。
エレーナの姿が見えなくなって私と参謀長官はまたお墓の前へと戻る。
冷たい風とともに、エレーナが置いていった百合の香りが鼻を擽った。

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