■ ■ ■

「……っ…」

暑い、熱い、あつい、アツイ……!

あまりのあつさで目を開ける。
目に飛び込んできたオレンジに思わずたじろいだ。オレンジと言っても赤に近くて温かさなど微塵も感じない。むしろ禍々しいそれは今にも自分に襲い掛かってきそうだった。


「…ひっ、も、燃えてる…」


どこかの部屋の隅っこに蹲っていたらしい私は呆然と迫り来るそれを見つめた。体の芯は冷えきっていく。
轟々と音を立てて燃えているその火は鎮まることなど知らぬかのように広がっていく。
腰が抜けて立つことが出来ない。また自分の後ろは壁、ほかの方向は炎に妨げられているため逃げ道がなかった。
だが、どこかに逃げ道があったとしてもきっと真白は逃げることなどできない。

彼女は火というものが苦手なのだ。

まだ、コンロなどの火ならば必要なので致し方ないと諦めているのでどうにかなる。
しかし、このような炎は彼女を萎縮させ震え上がらせる。
テレビの火事の報道も教科書に載っている写真も見ることができない。いつかキャンプファイヤーというものを体験したが、あまりの恐ろしさに一瞬思考を停止させ固まった。その数秒後誰かが自分の前をたまたま通った時に視界から火が消えたので、はっと意識を取り戻す。そして1歩、2歩たじろぐどころか数十メートル先にいた友人の背中までダッシュして泣きべそをかいた記憶だってある。
それ程にまで怖い炎が自分の視界いっぱいに映っている。怖い、怖いと膝を抱えて丸まり視界から火を消すために瞳を閉じる。
炎が何もかもを焼き尽くす音が聞こえてきた。ああ、この音…聞いたことがある。それと一緒に誰かの足音が聞こえてきて思わず助けを呼ぼうとする。が、それから発されたと思われる声は人とは思えないほど禍々しい。あれに絶対に気づかれてはいけないと本能が私に言う。耳を塞いでさらに縮こまり凌ぐ。炎も禍々しい何かも全てが恐ろしい。恐ろしくて堪らないのだ。


どれだけそうしていただろう。

いや、実際にはほんの少しも時間が経っていない気がする。たった10秒間に起きたことですら1分くらいそこにいる様な錯覚に陥りそうになるのだ。


「……ぃ!…っ、…!」
「……ぇ…」


誰かに強く揺さぶられている。先程の禍々しい何かかと思い更に耳を抑える手に力をいれた。しかし、音を閉ざすために強く抑えた耳に微かに入ってきた音は誰かの声のようだった。
ゆっくりと目を開けて顔を上げれば、そこには誰かがいた。
曖昧模糊、という表現が良く似合うようにぼんやりとしていて誰か分からない。ゆっくりと耳に当てていた手を下げる。

「…真白、もう大丈夫だ」
「……」

強くそう言われて周りを見回せばそこには先程までの火は存在していなかった。代わりに広がるのは薄暗い空間だ。
ぎゅうぎゅうとその人に力強く抱きしめられて、思わず涙が零れた。その背中に手を回そうとした瞬間、その人が離れていく。
上を見上げれば、その人が立っているためか胸あたりから上は視界に入らない。だから自分も立ってその人を確認しようとしたのだが、その人は後ろを向いて歩き出してしまった。


「あの、…待って…」
「……」

手を伸ばし、追いかけようとしたが1歩踏み出した途端足が絡まって転んでしまった。
それに気づいているのか、いないのかは定かではないがそのまま歩いていくその人に止まってほしいと言う。なのだがその声にその人が反応することはなかった。


ただ何故か伸ばした手に誰かの手が触れた。はっと意識を覚醒させる。薄暗い見知らぬ部屋。そこで私は誰かの手を掴んでいた。


「ああ…、起きたか」
「……え?」


声の聞こえた方を見れば薬研くんがいた。私は彼の手を掴んでしまっているようだ。苦笑している彼を視界に捉えて謝罪とともに慌ててその手を離した。


「ほ、んとにごめん、ね」

喉が痛いためガラガラ声でそうもう一度言えば、首を横に振り大丈夫だと彼は言った。そして私の上に冷たいタオルを置いた。
薄暗くぼんやりとした部屋の中で、彼の紫色の目が優しく輝いている。
彼は私のことを何とも思っていないのだろうか。他の刀のように怒りやら恨みやらといった感情が全く見受けられず、むしろとても暖かい。
あの夢のようなものが本当にあったことならば、恨んでいたって仕方ないとは思うのに。


「あんた3日も寝てるから驚いたよ。意識が戻ってよかった。あとは熱が引くだけだな…」
「はい、…って3日」


え?そ、そんなに私は寝ていたのか。
と驚きのあまり少しだけ大きな声を出した。が、喉が痛くて咳き込む。大丈夫か?と心配の声が降ってきて小さく頷いた。
一通り咳こめばまた眠気が襲ってきた。重たい瞼に逆らおうとするが、寝ていいと薬研くんが言うのでまた小さく頷きその微睡みに身を任せた。



「……ふぅ、…もう出てきていいぜ。いち兄」
「……ああ」

布団をしっかりと直してやりながら薬研がそう口を開けば、ずっとこの部屋の前にいた一期一振が入ってくる。
眠っている新しい審神者を困ったように笑いながら一目見てから薬研は、一期に隣に座るかと尋ねる。それに頷いて薬研の隣に座った一期は眠るその子を見た。


「…幼い、な」
「そうだな、五虎退辺りとあまり変わらない」

何と言葉を発せばいいのかと一瞬だけ戸惑う一期だが、まだ少しある熱に浮かされるその子に自分の弟達を彷彿とさせられていた。

「…10歳くらいかと思っていたが、15歳だと」
「そう、か」

政府から二日前に送られてきた書類を見ていた薬研はそう呟いた。審神者名は星火で性別は女、歳は15歳とのこと。他の刀はあまり彼女に関わりを持とうとはしないためか、見向きもしなかったが。


「大丈夫だよ、いち兄。この人ならきっと」
「………」


大丈夫だ、と言うが一期は何も返さなかった。いや、返すことが出来なかった。審神者が新しくなるたびに、この人ならと心の奥で思う。
しかし、最初は穏やかそうに見えても何故か狂うのだ。それを何回も見てきた一期は自分の淡い期待を振り払おうとする。弟がそう言うから信じたいという気持ちもあるが、もしものことがあるのだ。

だから……、とそこまで考えた一期はその考えに首を振りおもむろに立ち上がると薬研に早く眠るように言ってそのまま部屋を出ようとする。
だが、障子に手をかけて開いた時に入り込んできた冷たい風が彼に踵を返させた。

"先程、自分が退かした布団"を手に取ると掛け直してやった。これ以上寝ていたら弟が心配して付きっきりになり、他の弟と過ごす時間が減ってしまうということを言い訳にすればいい、などと思いながら次こそ部屋を出た。

「いち兄も素直じゃねえな」

残された薬研は呆れたように笑いそう静かに呟いた。


◇◆◇



一期一振りはその日の夜更け、静かな廊下を1人歩いていた。
新しくこの本丸になったあの小さな審神者は、酷い熱のためもう3日も目を覚ましていないという。
まあ、その方が誰も気を張り詰める必要がないので好都合かもしれない。何だかんだいって今までになく穏やかな今日この頃にみんな嬉しそうだった。
それにしても何故三日月殿はあれに審神者になってほしいと言ったのだろうか。人間なんて何をするかわからないのに。確かにこの本丸が消されてしまうのは嫌だが、何だか納得がいかなかった。
ああ、でも弟達を…いや、この本丸にいる刀達を傷つけない限りはいいかと思った。
まあ、少しでも何かあれば自分が…、と考え事をしながら廊下を曲がり、とある部屋の前を通ったとき何やら苦しげな声が聞こえてきた。
その部屋はあの新しい審神者が寝かされている部屋だ。
少しだけ障子を開けて中を覗けば、淡い灯火に照らされた部屋の中であの審神者が何やら譫言を言っている。
苦しんでいるその姿が弟と重なりどうしたのかと怪しく思いながらゆっくりと近づいた。


「あつい…、あつい…あつい」
「……」


ただそれだけを繰り返しているその体は震えていて、なにかに怯えているように見えた。
この本丸の季節設定は誰も操作していないため、今は春である。
日中はそれなりに暖かくとも夜は少し冷えるから、という配慮がうかがえるほど重ねて掛けられている布団は確かに暑そうだ。見兼ねてそれを退かしてやった。

「……っ」

そのお陰かもう"あつい"とは言わなくなった。その代わりとでも言うように次は耳を塞いで何かに耐えている。恐怖に歪む顔が居た堪れない。
思わず頭を撫でてしまった自分に内心呆れながら、相変わらず苦しげなその子を見た。
はあ、仕方ないか。今日だけだ、そう今日だけ。
そう心に言い聞かせて、その子の体を気遣いながら起き上がらせ背中を撫でてやる。いつか怖い夢を見たという弟たちにしてやったように優しく撫でた。


「…いち兄?」
「…っ、や、薬研か」


開けたままにしていた障子の外にたっていたのは、つい先日久しぶりに再会した弟だった。


「こ、これは、部屋の前を通ったら魘されているのが聞こえてきて…」
「…そうか」


何だか悪い事をした気分になりながらもそう必死に弁解する。目をぱちぱちと瞬かせた弟は静かに笑いそう言った。
目線を下げその子を確認すれば、もう落ち着いてゆっくりと寝息をたてていた。
ふう、と息をつきその体を布団に横たえた。

その時、

「…ま、待って」
「……っ」

突然、その子が声を上げて思わず肩を震わせた。薬研も驚いたようにその子を見つめた。
どうやら、目を覚ましてはいないようだ。
手を伸ばして、待ってほしいと何回も懇願している。それはきっと自分に対してではなく、夢の中の誰かに対してだろう。
一期は決してその手を取ろうとは思わなかった。反射的には取ろうとしたが、その表情を見た途端ふっと消えていってしまったのだ。


「…起きそうだな」


眉間に皺が寄って、瞼が微かに震えた。
確かに薬研の言う通り目を覚ましてしまいそうだ。一期は反射的に半ば逃げるようにその部屋から外へと出た。
少しだけ部屋の中を覗けば、薬研がこちらをチラリと見て呆れたように溜息をついていた。
そして、苦笑すると自分の腕を指して見せた。彼女は弟の腕を震える手で掴んでいた。やれやれとでも言うようにその手を離させることはせず、されるがままにされていた薬研はこちらから視線を外すと、その子の顔を覗き込んだ。

するとすぐにその子が目を覚ましたので、一期は気付かれないように静かにそっと部屋の前に座り込んだ。

「………」

薬研と彼女のやり取りを聞きながら、無意識に見上げた空にはとても綺麗な星々が輝いていた。月はたまたま雲に隠れてしまっていたが、それはそれで良かった。
久しぶりにこんな星空を見た、と静かに1人感動していた。あのいつだって禍々しい黒い雲のようなものに覆われて、もう見上げようなどという気には決してなれないあの空などまるでなかったかのように、懐かしい空があったのだ。いつかみんなで夜桜を楽しんだ、いつかみんなで月見をしたあの空だった。
薬研に呼ばれるまで思わずずっとそれに見入っていた。


(こんな日が来るなんて)
(夢にも思わなかった)
お星様を綺麗に見る方法
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