■ ■ ■

季節が枯れてゆく。
忙しなく駆け回っていた日々が、誰かを叱るあの声が、酒だ酒だと騒ぐ声が、ケラケラとけたたましく笑う声が随分と遠くに色褪せてしまっていた。
みんなが慕ってたあの子の声をもう誰も知らない。そう、みんな忘れてしまった。
誰も彼もその絶望や劈く声に顔を顰める。フツフツと沸く怒りに任せていれば、新しい彼はその黒に取り込まれ、我を忘れ、悲鳴だけが虚しく響いた。そして彼は明日を知らず死んでいく。

それを繰り返してどれくらい季節が枯れただろう。思い出は既に風化してしまっている。あの子もその子も最後の結末は一緒だ。誰も何も疑わなくなった。誰も何も信じられなくなった。この最悪な夢をいつまで見ても、意識は浮上せず、ぼんやりとした空間を生きる。気がつけば随分と仲間は減った気がする。

また新しい誰かが侵入してくる。その瞳の色は随分と不安定で、ビクビクと肩を震わせ今にも目から涙が零れ落ちそうだった。頼りなさげに見えた彼は、ある日その呪いを壊した。ほんの少しのその綻びで彼らは忘れたものを思い出す。

大切な日々、今までの地獄、いなくなった仲間、そしてヒタヒタと近づきケタケタ笑いながら何もかもを飲み込んで消化していく「闇」を認識して、出たのはため息か、1筋の涙か、やり場のない怒りか、後悔か。

だからといって今更すぎるそれらに、滲むのはただの諦めだった。


◇◆◇



「……」

声が出なかった。視線はその折れそうな刀に釘付けのまま逸らすことができない。フツフツと体の奥から湧き出るのは怒りなのか、悲しみなのか、それとも突然の状況にただ驚いているのか自分でもよく分からなかった。ぎゅっと拳を作る。ビリリ。いつものように治りがあまりにも遅い手のひらの傷に爪が当たり、電撃が走るような痛み。それは現実であることをしっかり私に植え付ける。

「なんで、博多が…」

先程から繰り返されるその言葉。"はかた"くん。それがこの刀の名前なのだろう。ボロボロに傷のついた鞘、折れそうな刀身。治します。そう言いたいのに、声が出せるような雰囲気じゃない。それだけではなく前述した通り、思ったように声が出ない。口の中が乾く。パクパクと餌を求める鯉のように何を言う訳でもなく口を開けたり開いたりする。

「…あるじさま、お願いします」
「……お願い、します」

五虎退君と乱君の視線が私を捉える。何を言おうとしているか簡単に察すことができる。彼らの声にハッとした一期一振さんもこちらを見た。いつもの様な視線はない。そこにあるのは悲しみだ。

「お願いします。都合が、良いなんて言われるかも…しれませんが…」
「それ以上は大丈夫です。治させてください。お願いします」

やっと出た声。震えていて途切れ途切れに紡がれる一期一振さんの言葉を遮る。
これをやったのは人だろう。同じ人間として彼らの助けをするのは当たり前なのだ。例えそれを偽善と思われても、それを私に言って鼻で笑う人はいない。そう心の中で言い聞かせた。

そっと畳の上に置かれた刀の前に正座する。刀身はしっかり鞘に入れられた。その刀に触れる。本当は正規の治し方じゃないがまだ手入れ道具はない。薬研くんに「あまりやって良いものではない」と釘を刺されたが事態は深刻だった。

「……__」

息を吸う。息を吐く。
己の中の"それ"が刀へと伝わる感覚には慣れた。普通なら手入れ道具という補助のおかげであまり力を使わずに手入れできるらしいんだけどなあ。頭の片隅で何回も考えたそれが横切ったが、今はそんなことは置いておこう。集中する。刀に力が伝わるよう、そして治ってくれるように祈った。

ドクン

「……っ」

体の中に何かが入ってきた感覚にビクリと体が震える。何だ、今の?思わず目を開けた。驚いて呆けていれば、目の前に桜の花びらのようなものが散った。どうして室内で?そう考えているうちに、そこに男の子が立っている。金色の髪に赤い眼鏡が特徴的だ。彼は呆然とした様子で何も声を発さず私を見つめていた。

「……博多!」

一期一振さんと五虎退くんと乱くんが目に涙を浮かべて、その男の子に縋り付く。私から視線が外れて、キョトンとした様子の博多くんは首を傾げた。

「いち兄。俺、なんでこんなところに立っとると?」

方言混じりの喋り方が耳に残る。

「……博多、良かった!」
「良かったです…」
「博多も、"食べられちゃった"のかと思った」
「…ん?……ああ、そういうことか。心配ばかけたね」

食べられちゃった……?何のことだろう。そんな疑問が頭をよぎる。でもそれについて聞けるような雰囲気でもなく、一歩後ろに下がってその光景を見ることしかできない。決して私が邪魔をしていい世界ではないのだとぼんやりと思った。

ぐすぐすと涙まじりに声をかける彼らを見て、この部屋を見回して、私の顔をもう一度確認して何となく状況を察したらしい"はかたくん"は、その空色の目を細めて苦笑する。

「ほら、目を擦ったらいかんよ。腫れてしまうけんね」
「博多…!」
「俺、長い間眠ってたんやねえ。あん人はもう……」

鼻をすする乱くんと五虎退くんを見ながら、ぽつりぽつり彼は呟く。そんな彼の頭を一期一振さんは優しく撫でた。


◇◆◇



「俺は博多藤四郎!短刀ばい!えっと、主?でよか?よろしく頼むばい!」
「は、はい、こちらこそ……」

乱くんと五虎退くんが落ち着くと博多くんはこちらへと向き直る。そしてにっこりと太陽のように笑ってそう挨拶をした。彼の後ろで何とも言えない表情をしている3振りが見える。"主"というその言葉に反応している。それに気づきつつ、私も不器用な笑みを浮かべる。

「審神者名は星火です。どこも痛くないですか?」
「痛くなかよ!えっと、怪我なおしてくれたと?ありがとうございます!」
「は、はい」

今剣くんぶりに割と距離感の近い刀が現れて、少々引いてしまう。博多くんの後ろの彼らとの温度差も相まって、腹がズキズキと痛み出した。緊張する。綺麗にお辞儀する彼を見て、自分も頭を下げた。ぺこぺこ。そんな音が聞こえてきそうだ。

「博多」
「いち兄?」
「みんなに顔見せに行こう」

一期一振さんは博多くんの背中にそっと手を添えてそう口を開いた。博多くんはそれを聞いて頷く。

「久しぶりにみんなの顔ば見たかぁ。みんな元気にしとるね?」
「……うん、それなりに」
「そっかあ」
「あ、あと今からご飯なんです!」
「そう!カレーライス!」
「か、カレーライス!よかね!」

彼らの言葉ににっこり笑って博多くんはもう一度「カレーライス」と呟いた。

「ご飯、久しぶりだけん楽しみばい」
「ボクらも久しぶりなんだ!」
「早く行かないと博多の分はないかもしれないよ」
「た、たしかに」
「今、刀からこっちの姿に戻ったから、数に入れられてないかも」
「みんな久しぶりだから、おかわりもすぐなくなるだろうし……」

「……」

うん、私めっちゃ空気。まあ仕方ないね。兄弟の会話に入れるわけない。ここは更に存在感薄めて彼らが部屋を出ていくのを待った方がいいかもしれない。そんなことを考えていれば、一期一振さんの視線がこちらに向いた。

「あなたは行かないのですか?」
「……え?」
「そうばい!カレーライス!」
「なくなっちゃうよ?」
「そうですね」
「……えっと」

え?私行ってもいいの。絶対行かない方がいいと思うんだけどなあ。せっかくの楽しいご飯の時間が重苦しくなる気がする。それに、薬研くんが気をつかってくれたお陰で持ってきてくれるらしいし。

「いえ、大丈夫です。私のことは気にせず、行ってください。カレーライス、なくなっちゃいますよ?」
「……じゃあ今度一緒に食べてくれん?」
「え、えっと」

あはは、と苦笑してると博多くんがそんなことを言い出す。その発言に驚いたような反応をするのは私と彼以外の3振りだ。

「ダメ?」
「……た、食べます。一緒に」
「本当に!?約束ばい!」
「え、は、はい」

もしかしたら博多くんに気に入られてしまったのだろうか。了承すれば、急に手を握ってきた。助けてください。そう視線を向けるが、一期一振さんの表情は読めない。五虎退くんと乱くんはぱちぱちと目を瞬かせ、博多くんを見ているだけだった。

「ほら、行きますよ」
「うん。あ、そうだ。色々と本当にありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。えっと、どういたしまして?」

部屋を出ていく前、博多くんはこちらにもう一度向き直り、そうお礼を言った。彼は相変わらず綺麗なお辞儀をする。私ももう一度お辞儀をした。

「私からも、ありがとうございます」
「あ、ありがとう!」
「ありがとうございます…」
「はい!どういたしまして!」

頭をあげてもう一度彼らを見るとその後ろで、一期一振さん、乱くん、五虎退くんもそう言って頭を下げた。それにも慌てて同じように頭を下げる。まさか彼らからお礼を言われるとは思わなかった。そんなことを思いながら廊下を歩いて行く後ろ姿を見つめる。

「ほら、君も行くんだよ」

私の足元にとどまってこちらを見ている虎くんにそう言い聞かせる。意思疎通が出来たのかは分からないが、虎くんは五虎退くんの後ろまで駆けていき、他の虎と同じように歩いていった。


「……ふう」

ゆっくり息を着く。部屋のカラクリのような仕掛けは、凹んだそこを触ると何事もなかったかのように戻って行った。元の状態に戻す前にもう一度博多くんが置かれていたそれを覗き込むと、向日葵の髪飾りを見つけた。もしかしたら博多くんのものなのかもしれないと思い、それを懐に入れた。後で渡さないとな。
まるで忍者屋敷とかにありそうなその仕掛けの他にも何かあるのだろうかと部屋を見回す。至って普通の和室には見えるが、もしかしたらという期待は探究心を擽った。そして部屋を見て回ろうかと1歩足を踏み出した。

ぺたん

「……びっくりした」

急に足から力が抜けた。床は畳ではあるが、意外と当たったところが痛かった。どうにか足を動かして、三角座りをする。あまり疲労感は感じないが、感じていないだけで身体は疲れているのかもしれない。力の入りづらい足をぼんやり見ながら考える。それに薬研くんの言っていた「あまりやって良いものではない」とは、このことだったのかもしれない。でも、博多くんや一期一振さん達のことを考えると結果的に良かったのだと思う。だからこれくらいなら良いや。目を瞑って足に頭を埋める。眠いわけではないが、何となく目を閉じたくなった。


「大将!おい!」
「……、んん、薬研くん?」

誰かに揺さぶられているのを感じ目を開ける。目の前には薬研くんがいてこちらを焦った表情で見ていた。

「どうした?体調悪いか?」
「えっと」
「何か変わったことがあったか?」
「あの…」
「まさか"アイツ"が…」
「お、落ち着いて!ね!ね?」
「わ、悪い…」

言葉を紡ぐ余裕すら与えて貰えない。何をそんなに焦っているのかは分からなかった。

「ごめん、ちょっと眠ってただけだよ。どこも悪くないし」
「本当か?」
「うん!本当!」
「……そうか。良かった。」
「……」

こんな風に誰かに心配されるのが久しぶりすぎて、どうしたらいいのか分からない。安心したような声音で彼はそう呟くと立ち上がった。私も立ち上がる。よろめくことなく普通に立つことができた。

「カレーライス、そこに置いてるぜ」

彼の指す方を見れば、お盆にカレーライスが置いてあった。それに気づくと、カレー特有の匂いがしてきてお腹が空いてくる。

「ありがとう!薬研くん!」
「どういたしまして。大将、人間なのにまともに食ってなかっただろう。配慮できなくてごめん」
「全然いいよ!元からそんなにご飯食べないし、ここの刀たちにも色々あるしさ」
「それはそれでどうなんだ」

呆れたように笑う薬研くんはそのまま言葉を続けた。

「それから博多のことはありがとうな」
「博多くんに会えた?」
「ああ。みんなすっごく驚いてたよ」
「だろうね」
「あと博多の怪我、治したんだろ…」
「えっと、うん。あはは」

返す言葉が見つからなくてとりあえず笑っておく。はあ、とため息をついた薬研くんはもう一度「ありがとう」と呟いた。それに頷く。

「ほら、早く食べないとカレーライス冷めちまうぞ」
「……え、あ、うん」
「燭台切が久しぶりに作るから感想欲しいって言ってた」
「え、感想かあ…。分かった。た、食べます。……いただきます」

美味しそうだし、それに私の感想なんて宛にならないような気がするんだけど、と思いながらも用意されていたスプーンを握る。ご飯とカレーをすくって口にぱくりと入れる。

「お、美味しい!え、やばい天才!」
「お、おう」
「こんなに美味しいの久しぶり!それに温かいご飯っていつぶりだろ!給食以来?いやでも給食もそんなに温かくなかったし、数年ぶりかな!」
「……」

学校の給食はぬるくてそんなに温かくはなかったし、家での食事はみんなが食べた後に冷えたものを摘んでたぐらいだ。外食はしなかったし、電子レンジも調理の過程以外ではほぼ使わせてもらったことがないので、こんなに温かくて美味しいご飯は母が作ってくれたもの以来かもしれない。それは盛りすぎかもしれないが、それくらい温かいご飯を食べた記憶はあまりなかった。そのためかついテンションが上がる。もしかしたら薬研くん、引いてるかもしれない。が、そんなことなど全く気にならなかった。


「薬研くん!燭台切さんにすごく美味しいですって伝えてください!」
「あ、ああ、分かった」
「薬研くんも早く食べに行かないとこんなに美味しいカレーすぐなくなっちゃうよ?」
「……そうだな。じゃ、また後で皿取りに来る」
「うん、持ってきてくれてありがとう」
「ああ」

部屋を出ていく薬研くんにそう言って、残りのカレーライスを頬張った。この絶妙に辛いのが良いんだよね。ああ、美味しいなあ。ここ最近で1番幸せかもしれない時間をゆっくりと噛み締めた。


◇◆◇



「だってさ」
「……うん」

薬研藤四郎は、部屋を出てすぐそこに立っていた刀に声をかける。それに返事をした刀、燭台切光忠は薬研と一緒に廊下を歩きながら、先程の嬉しそうな声を思い出す。料理なんて久しくしていなかったが、調理は昔のようにしっかりとできた。ちょっと腕は鈍ったかもしれないが、それは時間が解決してくれるだろう。問題は味だ。見た目も匂いも大丈夫だし、味見しても特に問題はなかった。しかし、最後に食べたのは随分前で自信はなかった。それなら感想が聞きたい。そう考えた訳だが、ほぼあの審神者と関わったことなどないし、話を聞きに行けるほどの仲でもない。それを薬研に話せば、「持っていくついでに俺が聞くよ」と言ってくれた。しかし、生の声も聞きたいと姿は出さず、部屋の外で聞くことにした。

部屋に入るなり、薬研の焦った声が聞こえた。何事かと部屋を覗き込む。部屋の真ん中に蹲って座っていたその審神者は薬研の声に顔を上げた。そしてきょとんとした表情を彼に向ける。会話を聞く限り大丈夫そうなので、また先程の場所へと戻った。

その声は直ぐに聞こえてくる。本当に嬉しそうな声だった。「美味しい」と彼女は確かに言った。その言葉がただ嬉しかった。でも、その後に続いた言葉には頭を傾げる。彼女は「久しぶりに温かいご飯を食べる」だの「何年ぶりだろう」だの言っていた。彼女がいた所では温かいご飯を食べることはないのだろうか。まあ生きている時代にもよるかもしれないが、料理は一部を除いてやはり温かいものの方が良いような気もする。

そんなことを考えているうちには大広間に着いた。配膳がたった今完了したらしい。みんながみんな来る訳ではない。空席もあった。昔見た光景よりも刀が減ったせいで、悲しさも覚えた。それでもいつもよりどの刀も優しい表情で食べるのを待っているのだから、良いだろう。

またいつか、みんなで。

そんなことを心のどこかで考えながら燭台切は自分の席に着く。薬研も博多に群がる兄弟たちの輪に入り、一期一振と「席に座るように」と促している。

「みんな揃ったね。……いただきます」

その言葉に続いて、「いただきます」というたくさんの声が大広間に響く。久しぶりに食べたカレーライスは本当に美味しかった。「カレーなんだからもっと辛く」と勝手にタバスコやら何やらを入れて回って人を驚かす刀も、「ご飯よりも酒だ」と酒ばかり飲んで怒られる刀も、「人参が嫌いだ」だの言い出す刀ももう居なくなってしまったことに気づいて、誰もが過去を懐かしみながらそれを頬張った。

(誰だよ、俺の皿にこんなに人参盛ったやつは…!)
(かっら!おい!また俺のにタバスコ入れやがっただろ…!)
あの季節を誰が枯らしたの?
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