あの子は昨日を殺したいだけ
何かを知らないふりして生きることは、簡単であり
ソレを自分は知っているのにそれから目を背け、視界や思考から消しさり、当然とばかりにへらへらと薄っぺらい笑顔を貼り付けているときの自分は迚も醜いだろう。
だがそれと同時に…………、否、僕はただ醜いだけだっな。
昔、或る人に云われた言葉を思い出したが、すぐ心の中へとしまった。
そんなことより、今は……、と顔を上げた。
「……」
「…あの、えーと調査のご依頼だとか。それで…」
谷崎さんが目の前に座る綺麗な女性に話しかける。先程の電話はどうやら彼女かららしい。
謎の既視感と、頭の中で鳴り響く警告音。それらを無視して、ぼんやりと彼女を観察していれば、今まで自分と同じように彼女を無言で観察していた太宰さんが口を開いた。
「美しい……!」
そう言って太宰さんは床に膝をついて彼女の手を取った。どうしたら良いのか分からない表情で彼女は太宰さんを見る。
わあ、可哀想に…。
彼、太宰さんと出会って時間にして約1日。
たったそれだけの時間でそう感じてしまう自分も大概だが、それを感じさせる太宰さんも中々だと思う。
「睡蓮の花のごとき果敢なくそして可憐なお嬢さんだ。」
「へっ!?」
「どうか私と心中していただけないだろ…」
スパァァン!!
一体何処からそんなむず痒い言葉がつらつらと出てくるのか分からない、とむしろ感心していれば太宰さんの頭を良い音と共に叩いた国木田さん。
流石です、と思わず拍手を送りたくなった。
「なななな??」
「あ、済みません。忘れてください」
多分、状況が飲み込めていないのだろう。
ハテナマークを沢山頭に浮かべる彼女に国木田さんは謝罪し、まだ心中がどうのこうのと云っている太宰さんを引き摺り出ていってしまった。
その光景を少しの間呆然と見ていた女性は、話を続けるために口を開いた。
「それで依頼と云うのはですね。我が社のビルヂングの裏手に…最近善からぬ輩が
「善からぬ輩ッていうと?」
谷崎さんが問えば女性は小さく首を振った。
「分かりません。ですが
「そいつは密輸業者だろう」
聞き慣れない異国語か…、何語なんだろ。なんて全く関係ないことをふと考えていれば、部屋に戻ってきた国木田さんがそう云った。
「密輸業者…?」
「ああ。軍警がいくら取り締まってもフナムシのように湧いてくる。
何だか物騒だな、と国木田さんの話を聞きながら思う。そんな世界とはある意味無縁の暮らしをしていた自分にとってみれば彼らの話はなかなかに難しかった。
「ええ。無法の輩だという証拠さえあれば軍警に掛け合います。ですから……」
「現場を張って証拠を掴めか…」
証拠を掴む、か。
此処にはそう云った依頼が来ることも少なくはないのか慣れたように国木田さんが云う。
「こぞ…、…否、敦。お前が行け」
「へッ!?」
僕が男ではないということを思い出したのか、小僧呼びをしそうになったのをやめて名前を呼ぶ国木田さん。
そんなことより、本当に僕で良いのだろうか。
僕は凄く弱い。
孤児院ではどちらかというと虐められる側だったし…。
そんな自分がもしその善からぬ輩にバッタリ会い、交戦にでもなったらなったらどうしようか。
そんな不安を頭の中に次々と浮かべていれば、それを見越したように国木田さんが僕に云う。
「ただ見張るだけだ。それに、密輸業者は無法者だが大抵は逃げ足だけが取り柄の無害な連中。初仕事には丁度良い」
「で、でも…」
国木田さんの言葉に不安は少し無くなったが、何といっても初仕事である。
緊張や不安のあまり何かやらかしてしまいそうな気がする。
大丈夫かなぁ、などと考えていると、
「谷崎。一緒に行ってやれ」
「兄様が行くならナオミもついていきますわぁ」
と言う声。
確かに谷崎さんとナオミさんが来てくれるのは心強いな。と素直に思った。
それと同時に、何故か嫌な予感が頭の中を突き抜けていく。
きっと何かが起こるのだろうが、生憎何が起こるかなんて分からないのでどうしようもなかった。
「……」
はぁ、と心の中でため息をつく。
矢張り初仕事の為か物凄く緊張していた。動きだってまるで
つい先刻ナオミさんが苦笑しながら、「頑張りましょうね!」と声を掛けてくれた。それに「そそそ、そうですね!がんばりましょっっ!」と返してしまったので谷崎さんと国木田さんにも苦笑されてしまった。
「おい、こ…敦」
「は、はい?」
また小僧と云いかけた国木田さん。
もう小僧呼びで構わないですよ、と云ってはみたが、いや、努力するから大丈夫だ、とか何とか返ってきた。まあ、時期に慣れるだろう。
それよりも、国木田さんの話を聞かねば…。
「不運かつ不幸なお前の短い人生に些かの同情がないでもない」
「は、はぁ…」
なんだか酷い云われようだな、僕のこと。
「故に…、この街で生き残るコツを一つだけ教えてやる」
国木田さんはそう云うと、僕に1枚の写真を手渡した。
「こいつには遭うな。遭ったら逃げろ」
と云う言葉を添えて。
その写真に一旦視線を持っていったあと、また国木田さんを見上げた。
「あの。この人は…」
「マフィアだよ」
「…ひあっ」
この人は誰ですか?そう聞こうとした瞬間、突然僕の横に現れた太宰さん。
驚きの余り変な声が出てしまったので、恥ずかしい。
突然出てこないでください、と云う視線を浴びせるが全く効果はない。
むしろ、その端正な顔はさらに笑みを深めて話を続けた。
「
「港を縄張りにするポート・マフィアの狗だ。名は芥川…」
「ポート…マフィアの芥川…?」
国木田さんの言葉をゆっくりと反復する。
そして写真に目を落とし、改めて見た。何だかマフィアって怖そうだな。この後何が起こるかなんてまだ知らない僕は、ぼんやりとそんなことを考えていた。
「マフィア自体が黒社会の暗部の更に影のような危険な連中だが、その男は探偵社でも手が負えん」
「……、何故、危険なのですか?」
ふと疑問に思ったことを聞けば、国木田さんの目が更に鋭くなった。
「そいつが"能力者"だからだ。殺戮に特化した頗(すこぶ)る残忍な能力で軍警でも手に負えん。俺でも、奴と戦うのは御免だ」
「く、国木田さんでもですか?」
「ああ」
出会って間もないが明らかに自分よりも実力が上の国木田さん。そんな彼がそう云うのだから相当なものなのだろう。
絶対に会いたくないな、と改めて思った。
「そろそろ行きますわよ」
「は、はい!」
ナオミさんに呼ばれて谷崎さんたちの方へと向かう。
はぁ、本当に初仕事が始まるんだ。と実感し何も起きませんように、起こしませんように、と心の中でひたすら手を合わせた。
数十分後、その淡い願いは打ち砕かれてしまうことをこの時はまだ知らない。
「アハハ、それは脅されましたねェ」
「笑い事じゃないですよっ」
苦笑しながらそう云った谷崎さんに、ムッと口を尖らせながら返す。
「
「まァまァ」
ため息混じりに今更なことを零す。
もっと平和に生きたいのだけれど、どうもそうはいかない。何となく覚えてる漫画の内容的には確か全部が全部平和ではなかったはずだ。
結構命懸けなこともあった、……ような気がする。
それを考えるとお腹がキリキリと痛んできそうだ。いや、もう既に頭が痛いのだからそれに加え腹痛は勘弁して欲しい。
「ボクでも続けられてるくらいだから大丈夫ですッて」
などという谷崎さんだが、多分彼も能力者だと思う。
「でも!谷崎さんも能力者ですよね?どんな力なんです?」
「や、あんまり期待しないで下さいよ。戦闘向きじゃないンですから」
「うふふ…」
いやあ、と頭を掻く谷崎さんとその腕に抱きつくナオミさんを見比べる。
戦闘向きじゃないんだ。一体どういうものなのだろう。そんなことを考えながらお二人を見ていれば、
「兄様の能力素敵ですよ。ナオミあれ大好き」
「止めなってナオミ………こん処で」
きゃっきゃっうふふ、という感じでまイチャつき始める2人。本当に本当に兄弟なのかと多少疑問に思うこともないこともないのだが、段々慣れてきている自分が怖い。
何というかスルースキルというものが上がった気がする。いや、気がするというよりは上がっているな。とぼんやり見ていれば更にそれは激しくなる。
「あら、口応え?生意気な口は……どの口かしら」
「……」
何だか見てはいけないものを見た気がしてぱっと目を逸らした。心做しか顔に熱が集まってくる。
美男美女のせいもあって見てる此方が照れそうだ。恐ろしいななんて考えていれば、
「着きました」
そんな声がこちらに向けて発せられた。
勿論、声の主は依頼をしてきたあの女性である。
彼女はスっと路地を指さした後、ゆっくりと中へと入っていったので自分達もなかへと続いた。
「…………」
「あら、大丈夫ですかぁ?少し顔色が……」
「あはは、ちょっと緊張してまして」
路地に入った途端、何故か止まらない汗。
そして震える体。
それに気づいたナオミさんが僕に声を掛けた。
緊張だと云えば、心配はいりませんわと返ってきたのではいと頷く。
本当はそれが緊張ではないということは分かっている。
ああ、きっと何かが起こる。
そんな気がする。
僕は視線を路地に彷徨わせた。
何か思い出せることはないか?何か、何か一つだけでもいいから思いだせ!
心の中で自分自身に向かってそう叫ぶ。
この得体の知れない恐怖は何処からだ、一体。
「なんだか、
声を振り絞ってそう呟く。
相変わらずおかしな所はないかと視線を彷徨わせたままで。
すると谷崎さんが口を開いた。
「…おかしい。本当に此処なンですか?ええと…」
「樋口です」
「樋口さん。無法者と云うのは臆病な連中で…、大抵の取引場所に逃げ道を用意しておくモノです。でも此処はほら…捕り方があっちから来たら逃げ場はない。」
そう言われてみれば確かにおかしい、と谷崎さんの指さす方を見た。
「その通りです」
路地に声が響いた。
はっと樋口さんへ視界を移せば、彼女が素早く髪を結っていくのが見えた。
「……え?」
「失礼とは存じますが嵌めさせて頂きました。私の目的は…貴方がたです。」
さらに激しくなる震え。
いけない、これは…これは確か、確かっ!
「芥川先輩?予定通り捕らえました。これより処分します」
携帯で誰かと連絡を取り始めた樋口さん。
電話の相手は芥川…つまりは、と先程の国木田さんの言葉を思い出した。
__……名は芥川
__俺でも、奴と戦うのは御免だ
__国木田さんでもですか?
__ああ。
「そ、そんな」
「芥川だって!?」
その場に緊張が走った。
なんでだ…、何でこんなことに!!
「我が主の為…ここで死んで頂きます!」
「こいつ…ポートマフィアの!」
そう云って彼女は此方へ銃を向けた。
そんな彼女を見て谷崎さんが云った言葉を聞きながら、僕は思考を巡らせる。
やばい、このままじゃみんなが撃たれてしまう。
みんな、が……?
「…っ!い、いけない!!」
そうだった、なんで忘れてた。
これじゃあ何のための記憶だ!と重い体に鞭を打ち動かす。
視界の端では樋口さんが銃の引き金を引いていた。
ドがガガガガ!!!
動け!動け!あの人が危ないんだ!
僕は精一杯腕を伸ばした。
間に合って、お願いだから!
「ナオミさんっ!!」
(いつも何もかもを取りこぼしてきた手だけど)
(お願いだから今だけは届いて)