帰省


 叔父の訃報で里帰りをする、と言ったシイナに着いて日本に降り立ったリドルは、姿現しの酩酊感に加えて、その異様な蒸し暑さに軽い目眩を起こして僅かにふらついた。大丈夫ですか、と心配する迎えの魔法使いに頷いて、改めて辺りを見渡す。
 一面に広がる緑が目に痛い。何処までも伸びる田んぼの中にぽつんと立つ、横に長く縦に低いその家を指差して、シイナがリドルを見た。生温い風が二人の髪を柔らかく掬う。

「あれ、僕の実家」
「へぇ……低くて大きいね」
「昔から土地だけは無駄にあるからな、縦に伸ばさなくても十分広い家が建てられるんだ。あそこに住んでるのは主に本家と使用人で、分家連中はちょっと離れたところに違う家建ててるよ」

 簡素に説明をしながら、シイナが屋敷へと続く一本道を進んでいく。リドルもその後に続いた。少し離れて、彼らよりいくつか年上の男が二人を見守るように後ろを着いていく。



 重厚な門を潜り、家に入ると大勢の使用人が出迎えた。
「おかえりなさいませ」
「おかえりなさいませ、若様」
「ただいま」
 シイナは慣れたように靴を脱いで家へと上がる。そういえば日本は玄関で靴を脱ぐのだったと思い出して、リドルもそれに倣う。帰る前にシイナがスリザリンの後継者を連れて帰ると伝えてあったから、使用人は笑ってリドルを出迎えた。
「お待ちしておりました、貴方様がスリザリンの後継者様ですね。旦那様から丁重におもてなしするように言付かっております、どうぞこちらへ」
「ええ、そうです。一週間、お世話になります」
 リドルは慣れた人当たりのいい笑みを浮かべてそう言った。ここにいるのは全員、タチバナに関係のある純血の魔法使いばかりだと聞いている。それも、タチバナの純血主義に賛同している者ばかりだ。ホグワーツと違って、相手の主義主張を探るような手間が省けるのは有り難い。リドルが流暢な日本語を喋ることも相まって、彼は大いにタチバナ家に歓迎された。シイナの語る英語はリドルから、リドルの語る日本語はシイナから、それぞれに大きな影響を受けているので似通った喋り方になっている。


 シイナとリドルは一度離れて、それぞれの部屋へと向かった。荷物は既に、互いのへやへと運び込まれている。リドルは歩きながら、初めて見る日本調の家屋に興味深そうに視線を巡らせた。何と言う建築様式かは分からないが、板張りの廊下が歩くたびに音を立てて軋むのが新鮮だった。横に引くタイプの薄い扉は、これは襖と呼ぶのだったか。紙の張り付けてある戸は、これは確か障子だったと思う。オリエンタルテイストの代表格とも呼べるこの二つは何となく分かったが、他は見たことも聞いたこともないものばかりで面白い。途中、中庭にしては小さな庭の横を通り抜け、ようやく辿り着いた人気の無い部屋の襖を、先導していた女中がそうっと開ける。
「どうぞ、お入りください」
「ありがとう」
 優等生を繕ったままににこりと笑う。足を踏み入れた室内は広く、正面の障子を開ければ眼前に大きな庭園が広がっている。ぱちゃん、と、池で鯉が跳ねた。それを合図にしたように、女中が口火を切る。

「こちらは客間の一室となっております、ご滞在の間、どうぞご自由にお使い下さいませ。就寝時にはお声をかけていただければ、寝具を引かせていただきます。お荷物はお部屋の隅に、お着物なども横に置かせていただいておりますので、こちらもどうぞご自由に」
「嗚呼、ご親切にどうも。一つ聞いてもいいかい」
「はい、なんなりと」
「僕はイギリスから来たから、この屋敷がとても新鮮で、少し見て回りたいのだけれど、入ってはいけない場所などはあるかな」
「ええと……そうですね、特に立ち入り禁止の場所などはありませんが、お部屋に入る際には誰かにお声がけをお願い致します。それ以外でしたら、特に問題ありません」
「そう、ありがとう」
「では、失礼いたします」


 女中が去った後、リドルは部屋の障子をじっと見つめて、そこに貼られている紙へと細い指先を這わせてみた。羊皮紙とはまた違う、きめ細かいざらりとした感触が指腹をなぞった。視界の開けた庭園は英国式のものとはまた違う、緑が多くて、そしてとても静かだ。広い池の上に石橋がかけられ、奥には小さな島も浮いている。綺麗だけれど、あそこまで見に行くには靴を履かなければならない。わざわざ玄関まで戻って出るより先に屋敷の中を見ようと、ローブを脱いでトランクの上に落とし、杖だけ持って踵を返した。




「あ、リドル」
「……シイナ」

 ぐるりと屋敷を一周回って、そろそろ外にでも出てみようかと考えていたところで、シイナに出会った。シイナはローブだけ脱いで、腕捲りした制服のままで廊下を歩いている。
「何してるの」
「珍しくて、つい。見回っていた。イギリスには無い家の作りだね」
「嗚呼、成程」
「これから庭にでも出てみようかな、と。構わないかい?」
「いいよ、僕も行く」
 シイナは少しだけ小走りに駆けて、リドルの隣に並んだ。ホグワーツにいた頃と何ら変わらない距離感に小さく頷いて、玄関へと向かう。シイナの案内で庭を歩いた。見慣れない種類の木々がリドルの頭上で揺れていた。


 石橋を渡って、池の中に浮かぶ島に降り立つ。そうすると屋敷の様子がよく見えた。
「広いね」
「日本式も悪くないだろ?」
「うん、中々綺麗だ。これは何ていう木なの」
「松の木」
「へぇ……イングリッシュ・ホーリーみたいだね、触ると痛い」
「イングリッシュ・ホーリーは、こっちじゃヒイラギとも言うんだ。クリスマスじゃなくて、節分に飾る」
「節分?」
「二月三日に、鬼を祓うために、ヒイラギの枝にイワシの頭を突き刺して飾る。あと、"鬼は外、福は内"って言いながら豆も撒く」
「……変わった行事だね」
「それと巻き寿司も食べるよ。……改めて考えると意外と変な行事だなこれ」
「マキズシ?それは食べ物?」
「寿司の一種。ええと、円柱の形をしているんだ」
「美味しい?」
「寿司が食べられるなら、美味しい」
「……へぇ」
「食べたい?」
「今は夏だよ、その節分って日じゃない」
「別にいつ食べてもいいと思うけど…」
 小さく笑みを浮かべながら、シイナは肩を伸ばした。それに倣うようにリドルも背中をほぐすように身体を伸ばして、首を上向かせて上を見る。


「……?何、あれ」
 そしてそのままの体勢で、身体を止めた。


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