推測


 視界が反転する。リドルに押された身体が暗闇に投げ出され、そのまま宙を舞って地面へと叩き付けられた。
「い、っつ……」
 土と草木の匂いが鼻をついて、倒れ込んだ身体が変にあばらを打ち付けたのかげほげほと咽込む。一瞬呼吸が詰まったが、思ったよりも直ぐに身体は動き、慌てて欄干の方へと身を乗り出したがもうそこにリドルの姿は無い。
「リドル……っ!!」
 さっきの、あの瞬間のリドルはきっと本物のリドルだ。逃げろ、と彼は言った。そして突き飛ばしたのも本物の意思で、彼が逃がしてくれたのだと瞬時に理解する。ということは、彼の中には、きっと本物と偽物の意識が混在しているのだろう。


 助けに行こうにも、姿すら見つからないのではどうしようも出来ないし、加えてどうやれば中の偽物を追い出せるのかも謎だ。そんな状態でもう一度会いに行ったら、せっかく逃がしてもらったのに本末転倒だろう。とはいえ、この空間はまだ真っ暗で、不自然に渡り廊下が長く伸びている。どちらにせよ、まだ帰れないということか。
 暗闇の中に一人放り出されたことで逆に落ち着いたのか、シイナは溜息を零して転がった身体を起こし立ち上がる。汚れてしまった白無垢は数度手のひらで払えば簡単に元の白さに戻った。

 とりあえず、本殿を探そう。あの時偽物に唆されて立ち入った本殿の奥にあの不自然な屋敷があったのだから、同じ場所を潜れば出られるかもしれない。ただ、その場合、帰れたとしても今のリドルが通ったらどうなるのか――――偽物も一緒に、出てきてしまうのだろうか。魔法の勉強は幼少期から嫌というほど叩き込まれてきたが、こういった怪異沙汰に対する対処には正直余り明るくない。根源として使用する力は似ているが、霊媒と魔法では色々と複雑な差異があるのだ。神社の管理もしているとリドルには言ったが、そちらにはそちらの専門がいて、専門的に学んだ者しか正しく管理出来ない。まだ基礎もしっかりしていないシイナは、話こそ随所随所で聞かされてはいるものの、学ぶには至っていなかった。適性があれば、ホグワーツ卒業後に学ぶ手筈になっている。

「リドルの中にいるのは、そもそも何なんだ?この神社には、本当は何が祀られてる?」

 土地神が祀られているのだと、過去には聞いた。けれど、そういえば何という名の神なのか、それすらシイナは聞かされていない。そんなのは、可笑しい。シイナの本来の性別を知っているのは、父親と、それから世話係の使用人が数人だけだ。他の人間はみんなシイナを男として、つまりは後継者、タチバナの次期当主として扱っている。いずれ神社の管理もシイナが行うことになるのだから、普通は祀られている神の名前くらい言う筈だ。それすらないということは、ここにいるのは土地神では無く、もっと別の何か――――という可能性がある。昔から、日本は悪しきものも、祀り上げることで被害を失くそうと考える民族だ。相当に凶悪なやつが祀るという名目でここに封じられていても可笑しくはない。何せ、この神社の統括は、所謂"本物"の才能を持った、タチバナの一族なのだから。

「鏡……そう、鏡に何かいたと、リドルは言った。いやでも……あのリドルは、そもそも本物か?どこで本物と偽物が入れ替わった?……いや、待てよ。確かあいつ、僕の持ってた鏡を弾いて……水音がしたから、多分池の中に……っ、もしかして……」
 鏡を弾いたリドルが、もうあの時から偽物だったとしたら。弾いた鏡に触れられたくなくて、あんなことをした可能性がある。本物だったとしても、鏡の中に、何かがいたと言った。すなわち、あの鏡には"向こう側"がある。ただの鏡では、ない。

「そう……そうだよ、鏡だ。鏡は……虚像を、写す」
 偽物が、鏡だとするならば。リドルの姿をそっくりそのまま真似ているのも頷ける。僕は彼だなんて意味不明な発言も半分くらいは理解出来た。あれはつまり、正しく"鏡"なのだ。リドルを映した鏡が、そのまま意思を持って動いている。鏡はその鏡面に何かを映さなければ動けない。何故先に鏡を覗き込んだシイナではなくリドルの姿を映し取ったのかは分からないが、とにもかくもこれでおおむね正解だろう。孕んで欲しいといった趣旨のことを言っていたから、女性のシイナではなく種を根付かせる側の男性、つまりリドルを取ったのかもしれない。同じ場所ばかりループしていたのも、今考えれば合わせ鏡の世界にほど近いのではないだろうか。


 ようやく、謎が解けた。

「池を探さなきゃ……!」
 出口は鏡だ。そして偽物の、鏡の本体も、あの鏡なのだ。シイナは弾かれたように傍から駆け出す。途端に四方八方から鳴り響く鈴の音に耳を塞ぎながら、リドルと同じように欄干を頼りに庭を駆け抜けた。早く、早く。ここに迷い込んで、もうどれだけの時間が経ってしまったのか、シイナには分からない。今が何時なのかも、今、現実世界ではどうなっているのかも。でも、これだけは分かる。早く、早く、急いで、もっと。


 夜が明けてしまう前に、全てを終わらせなければ。
 取り返しが付かなく、なる。


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