神社


 不思議そうな声を上げたリドルに気付いて、シイナも顔を上げた。
「何?」
 リドルは視線を離さぬままに、片手を上げて塀の向こうを指差す。
「ほら、あれ。……何だろう、火?」
 シイナはその指先を追うように視線を動かしたが、如何せん身長差があり、上手く彼の示すものが見えない。
「何、火?……見えないよ、ここからじゃ」
「山の方、小さいけれど、何かが動いてるんだ」
「……山?可笑しいな、誰か松明でも持ってるのか?あっちの山は神社があるから、無くは無いだろうが……」
「いや、人の持つ火にしては……鳥みたいに動きが早いけど、虫みたいに動きが不規則だ」
「何だそれ、変な火だな。……とりあえず、見に行ってみるか」
 その言葉に頷いて、リドルはシイナの後ろを追う。この辺りの地理に関しては、当たり前だが、彼女の方が詳しい。玄関から門へと続く長い道を通って屋敷の外へと抜け、先程不思議な火の見えた山の方へと少し早足で歩を進める。



 山の裾に辿り着くと、シイナは一度足を止めた。狭くは無いが、決して広くも無い石畳の階段に、いくつもの赤い鳥居がかけられている。
「……この山か?」
 シイナは辺りを見回しながら、リドルに問いかけた。
「そうだと思う、手前に少しだけ、この赤い門が見えていた」
「じゃあこの奥か……やっぱり神社だな」
「神社は、神殿の一種だっけ?」
「正解。……とりあえず上がってみようか、誰かいるならそれでいいし」
「そうだね」
 階段を登って、鳥居を潜る。そろそろ日が暮れかけてきているらしく、二人の影は地面に長く引き伸ばされていた。階段にぶつかって、影が揺らめく。そよ風が頬を撫でて、切り揃えられた二人の髪を揺らした。

「……誰もいないな」
「人の気配も無いね、もう火も無い」
「可笑しいな……社の中か?いや、普通火を持って社には入らないだろうが……」
 言いながら、シイナは境内に伸びる石畳を歩いて、正面に建つ神社の方へと向かう。「誰かいるのか」声を張り上げてみるが、返事もない。
 リドルは鳥居の下から数歩程度しか動かずに、神社の周囲を取り囲む山を見上げていた。夕陽の加減で影が暗く、余り奥が見えない。季節の所為か、お国柄か、何だか肌に当たる空気が生温くてじめっとしている。

 不意に、リドルが視線を動かした。シイナがどこにいったのか探ろうとして、視線が社の奥を滑る。そして思わず、「あ、」と声を零した。
 いた、其処にいる。暗くてよく見えないが、社の中にある渡り廊下をすいと流れるように、先程も見た火が奥に消えた。
「シイナ!その家の中だ、今奥に行った!」
 社は木製だ、あんな炎を、もし人間が持って歩いているのだとしたら、危ないことこの上ない。
「は!?中って……ふざけるな、誰だよ!火事になるだろ!?」
 リドルの示した方とは反対側から社の中に声をかけていたシイナは慌ててこちらに走ってきて、指し示された方へと駆ける。リドルもそれを追いかけた。立ち入りを制限するように掛けられた縄を飛び越えて走り、乱暴に靴を放り捨てて社の中へと入った。


「ちょっと、ねぇ、今更だけど勝手に入っていいの?」
 一瞬靴を脱ぐのを忘れかけていたが、先を走るシイナのお蔭でギリギリ間に合った。素足ではないにしろ靴を脱いで走る感覚はどうにも慣れない。火が消えた先を目指しながら、リドルは前に向けて疑問を放る。
「構わないよ、ここは僕んちの山だし、神社の管理の統括もうちだ。大体火持って歩いてる不審者がいたなら捕まえとかないとまずいだろ」
「まぁ、確かに……」

 走って、社の奥へと向かう。けれどどれだけ先へ進んでも、見つからないどころか誰の気配も無かった。社の中は薄暗く、けれど差し込む夕陽のお蔭で辛うじて行動には支障が無い。シイナは走るのを止めて立ち止まり、肩を揺らして少し上がった息を整える。リドルも足を止めて、暗い橙色に塗り潰された周囲を見渡した。
「なぁ、リドル……可笑しくないか?誰もいないぞ、此処。これだけ薄暗くなってきていたら、火なんて持ってたらすぐに見つかりそうだっていうのに」
「……そうだね。ねぇ、シイナ、今更だけれど……本当に火を、人が持っていたのか?」
「……どういう意味だ?」
 リドルは山の方に視線を投げて、暗く影を落とす木々を見上げる。最初に屋敷からあの火を見たとき、旋回する鳥のように早く、虫のように不規則な動きだと思った。シイナは松明を持った人だと言ったが、それは直接火を見ていないからだ。炎はまるで松明だったが、その動きは到底、それを持った人間のそれでは無い。
 まるで、炎自体が意思を持って動いているような。


「……いや。もしかしたら、何かの魔法生物だったんじゃあないか、と」
 そうだと言われた方が、納得がいく。でもシイナは難しい顔をして、指先を顎に添えて小さく俯いた。
「……可能性としては、無くはない。でも、ここは一応マグルの世界なんだ。前にも言ったと思うけれど、日本は国土面積が狭くて、おまけに周りは海だから、魔法使いばかりの町とか、そういうのは存在しないんだよ。みんな、奥には引っ込んでいるけどマグルと共同生活してる。腹立たしいことにね。その所為か、いわゆる魔法生物……こっちでいう妖怪だけど、そういうのも、イギリスに比べたら数が少ない」
「前に言ってた、ドラゴンの東洋種は?」
「あれはいるけど、中国とかの大きな大陸が主な生息地だよ。日本にもいるけど、確かそれはもっと北に集まってたはず」
「……火だけで飛ぶような、魔法生物はいる?」
「ええと……確か、鬼火っていう、青い火が飛ぶことはある。でもそれは青で、普通の火と同じ色ってのは……嗚呼、狐火ならもしかして。……いや、でも、基本的に狐火は複数個で固まってるし……可能性として無くは無い、だろうけど……」


 日本は、魔法使い達の観点から見れば比較的特殊な国だ。国土の問題で他国にある魔法学校へと進学する習慣はともかく、至るところにマグルが住んでいるので、下手に魔法使いだけで固まることが出来ない。イギリスなどと違って、魔法使いであってもマグルの生活に合わせて生きている為、その生活様式をよく知っている。服装も似たり寄ったりだ。そしていわゆる魔法生物、こちらでいう妖怪の類も、ほんの少し前までは普通にマグルもその姿を見かけていた。今でもその存在を信じているマグルも大勢いる。たまに、本当に姿を見つけてしまうマグルも。
 マグルと魔法使いの垣根が低かったと言ってもいい。しかし、それだからこそ、純血は減った。ほんの少しの魔法の力を晒す程度ならば神の御使いとして崇められることもあるが、度を超すとバケモノ扱いで西洋のような魔女狩りに遭う。垣根が低いからこそ、その境界線を踏み間違えて殺された同胞は数知れない。

 だから魔法生物、妖怪の種類や生態はかなり判明しているし、本にもなっているのだが、それでも、どうにもしっくりこなかった。シイナはしばらく考え込むようにして俯いていたが、不意に顔を上げてリドルを見上げる。


「火事にならないなら、とりあえずいいや。戻ろう、父様に報告して、調べて貰えばいい」
「まぁ、それが妥当か。そろそろ日も暮れて来たし、帰ろう」


 二人は駆けて来た通路を振り返って、入口へと戻る。ついに陽は完全に沈み切って、あとは昼間の名残が微かに辺りを照らし出しているだけだった。


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