神嫁


 暗闇の中、鈴の音の導かれるようにして、白い人影がこちらへと向かってくる。全員が黒い着物を身に纏っている所為か、その姿は一際暗闇の中で目立っていた。背丈はさほど大きくはなく、男性にも女性にも見える。しかし、その服装は今現在リドルが着ているものとどことなく似通っているようにも思える。白く重厚で、十二単のように重たげだ。リドルのものと違うのは、人影の纏う着物はもっと裾が長く、地面に引き摺るように長くなっていることだ。頭部には白い何かを被っており、表情は伺えない。
 人影は中央へと静かに歩み寄り、円になった舞台に佇むと上品な仕草で一礼した。そして片手をすっと持ち上げ、足を跳ねさせて踊り始める。連動するように周りの黒い影たちがめいめいに楽器を持って演奏を始め、神楽が始まる。


 それは、今までに見た事のない不思議な踊りだった。独特のメロディーに乗せて運ばれる手足は軽やかに空気を掻き混ぜ、重たい着物を物ともせずに、むしろ、引き摺った裾を躍らせて軽快に揺らす。永遠に眺めていたいと思わせるほどに、美しい光景だった。ひらひらと闇に舞う白はまるで蝶のようで、ずっと見ていると不思議な心地に陥る。
「……もっと、こっちにおいで」
 知らずに唇が開いて、意図しない言葉が零れ出した。自分が自分でないように、腕が持ち上がって人影を手招く。

 すると、まるでリドルの声に応えたように音楽が止んで、中央に立つ人影がそっとリドルを仰いだ。相変わらず、白い被り物に遮られて顔は見えない。でも、口元だけは見える。紅で真っ赤に彩られた唇が、蠱惑的に弧を描いていた。
 人影が、一礼する。傍に控えていた黒い影がさっと動いて松明を退かし道を作ると、そこを通って階段を登り、人影はゆっくりとリドルの前まで上がって来た。リドルの座る畳の前へと静かに腰を下ろし、深々と一礼する。リドルは惹かれるようにそちらへと身を乗り出し、双手を伸ばして頭部を隠す白い布を取り上げた。


 下げられていた目の前の頭が、ゆっくりと持ち上がる。
「……不束者ですが、よろしくお願い致します」
 品を孕んで紡がれた声は、聞き慣れた男女どっちつかずの曖昧なもの。声に似合った性別の曖昧な面立ちは、今は綺麗に化粧を施され"女"の色を醸し出していた。
「……シイナ?」
 茫然と、名前を呼ぶ。嗚呼そうだ、どうして、何故。
「っシイナ、しっかりしろ!おい!」
 どうしてこんな格好でシイナがここにいるのか、そもそもどうして不自然な踊りを自分が黙って見ていたのか、はっと気づけば可笑しなことだらけで慌てて彼女の身体を揺する。それでもシイナは虚ろな笑みを浮かべたまま動かず、リドルは少し焦ったように彼女の頬を叩いた。
「起きろ、おい、正気に戻れ!何でこんな、これは……」


「嫁入りだよ」


 焦りに歯牙を噛み締めたその背に、軽快な声が投げかけられる。はっとして後ろを振り向けば、そこには、リドルがいた。
「……僕?」
 宵闇に溶け込む黒髪と、黒に反して光るような青白い白皙。指先まで丁寧に作られた人形のように美しいその男は、闇色の瞳を僅かに赤く底光りさせてリドルを見下ろしていた。白い着物を身に纏うリドルと異なり、相手はこの場に迷い込んだ時の制服のままでそこに佇んでいる。リドルであって、リドルではない。

「……お前、そうか。なるほど、あの時あの鏡にいたのは、お前だな」
「ご名答。そして今の君の身体の持ち主は、この僕だ」
「ここは……お前が鏡から出て来たとしたら、この世界は鏡の中か?いや、入れ替わって僕の身体を奪った筈のお前がいるということは、鏡を介してこちらの世界に来た――――といったところか」
「素晴らしいね、大正解だよ。君の賢さに免じて教えてあげよう、ここは君の推理通り、鏡を入口にして辿り着く幽玄の世界……いわゆる幽世だ。最初に君達二人が入り込んだ世界、あれも幽世の一種ではあるけれど、まぁ何て言うか、不完全な幽世というか。曖昧なんだ、なんせ黄昏時だから」
「言っておくけど僕はイギリス人なんだ、そういうややこしい話は半分も分からないんだけど、まだ説明を続けるかい?」
「せっかちだな、分かったよ、分かりやすく言う。君達は二重に迷い込んだ、最初は黄昏時の世界、不完全な幽世に。そして次は、鏡を介してこちらの世界……完全な幽世に」
「さっぱり分からないけどまぁいい、じゃあ次、嫁入りってどういうことだ?お前、まさかシイナを嫁にでもするのか?」
「……説明して損した。嗚呼、そうだけど、正確にはちょっと違う。彼女を娶るのは、君だよ、トム・マールヴォロ・リドル」
「……は?」

 予想外の答えに、リドルの瞳が一瞬見開く。何を、と問いかけようとしたその途端、外に控えていた黒い影たちが一斉に手に持っていた鈴を鳴らす。鼓膜を震わせる大きな鈴の音に思わず両手で耳を塞いだ。頭の痛くなる音が手のひらも突き破ってリドルの脳裏をぐわんぐわんと揺さ振る。
「っ、……」
 頭が痛い、脳味噌が混ぜられる、頭蓋が割れそうだ。尋常じゃないその苦しみに思わず蹲ったリドルを追いかけてその正面に膝を付き、もう一人がそっと互いの額同士を笠ね合わせた。
「……さぁ、一つに戻ろう」

「「二つは一つに」」

 二人の声が、二重に重なる。自らの意思を無視して零れる言葉に瞳を見開くとほぼ同時に、リドルの意識は暗い闇の中へと呑み込まれていった。


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