逃走


 その胎が欲しい。
 性別を持たぬ胎が欲しい。
 "僕"を孕む愛しの胎が欲しい。


 ――――見つけた。





「っ、……?!」
 がん、と、頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えて飛び起きた。派手に動いた所為か乱れた着物がずるりと身体から滑り落ちて上半身が露わになる。白に埋め尽くされたそこはあの時に見た奇妙な寝室であるようだった。白く薄い布が周りを覆い、外の様子がよく見えなくなっている。あの時は真っ暗闇の中、何故か視界がしっかりとしていたが今は傍に行灯が置かれ、寝室の中しか碌に視えなくなっている。リドルは一瞬、自分がどこにいるのか、何故こんな場所で寝ているのか分からなくて茫然と辺りを見渡した。
 暗い屋敷、畳の寝室、布団代わりにかけられた白い着物――――そして、隣で眠る、女の気配を纏ったシイナ。


「……僕、は…」


 欲しい欲しい。
 君を孕む胎が欲しい。
 僕を包む真綿が欲しい。


 嗚呼そう欲しい、自分を孕む胎が欲しい。自分を満たす胎を手に入れた。


「……違う、胎……っ違う!何を、何を考えてるんだ僕は!?おい!シイナ!シイナ起きろ……っ!」
「んん……」
 体内を渦巻く自分のものではない思考に、珍しく、本当に珍しく、リドルはほんの僅かに怯えたように性急にシイナ叩き起こす。


 欲しい欲しい欲しい欲しい。どこにも行かせたくない。ここにいて欲しい。


「違う……違う、違う、僕はこんなこと思わない!!」
「え……?リ、リドル?」
「っ、……シイナ、早く出よう!」
「え?ちょ、何で、えっ?僕なんで、こんな……」
 ゆすり起こされたシイナはよろよろと身を起こし、尋常でない様子のリドルに驚きながらもぐいぐいと引かれる手に従って身体を起こす。その身を覆うのは着崩れた白無垢で、自分が何故これを着ているのか分からず混乱する。そればかりか、シイナの手を引いて走るリドルも、身に纏っているものは同じ白無垢だ。男性でありながら違和感なく似合っている様に驚く暇もなく、御簾を押し上げて廊下へ走り出た。
 飛び出した廊下も暗くて、周囲の様子がよく分からない。ルーモスを、と思うもシイナの杖は制服のポケットの中で、着替えてしまった今では行方知れずだ。リドルの杖も同じく制服に仕舞い込んであるから、手元にない。どうやらリドルは、廊下の欄干を頼りに走っているらしかった。

「っ、なぁ、リドル……!本当に、どうした、んだよ……っ!!」
「っ……お前、覚えてないのか、さっきまでのこと」
「は?さっきまで、って……っ、」
 さっきまで、と言われて、はっとシイナが瞳を見開く。嗚呼、そうだ、どうして今の今まで忘れていたんだろう。不自然に、何かが自分の身体を借りて叫んでいるような感覚だった。確かに彼と身体を重ねる時はいつも気持ちいいけれど、それでも、孕ませて欲しいなんて思わない。むしろ男と偽って生きている以上、絶対に出来て欲しくないとすら思っている。それなのに、どうして。さぁ、と表情を青褪めさせたシイナをちらりと見やって、リドルは唇を噛み締める。身体を渦巻く自分のものではない思考が未だうるさくて、気を抜けばすぐにでもそちらに持っていかれてしまいそうだった。


 りぃん、と、背後から空間を震わせるような鈴の音が響く。はっとして振り返った二人の眼前に、黒い人影がこちらへと身体を這いずって来ているのが見えた。闇の中、光源は随所にある頼りない蝋燭だけだ。人影はゆらゆらと揺れるようにして廊下を這いずり、まるで腕だけで動くかのように二人を追いかけてきている。

「っ走れ……!!」

 ず、ず、と、布が擦れてこちらへと向かってくる音がする。ぞっと冷たい感覚が背筋を伝って、二人は弾かれたように走り出す。
「っ何なんだ!何なんだよあれ!」
「昨日君が引き連れてきてた従者だろ……!!」
「ふっざけんな僕の意思じゃないよ!お断りだよあんな従者!」
 走っても走っても、やはり最初と同じように出口には辿り着かない。全力疾走しているというのに、背後の音は未だに一定距離を保ったまま着いて来ているようで、一向に離れる気配はない。そればかりか、這いずる音が増えたような気がするが、それを確かめる勇気は今のところ二人には無かった。


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