悪女と聖女と狂った僕




真っ赤なルージュが僕を誘惑する。


彼女は妖艶に嗤って囁いた。


それは実に甘美な誘いで、僕は後先も考えずに頷いた。


“あの女を殺したなら貴方の願いを何でも叶えてあげるわ”


彼女は善と悪で言うならば勿論悪でそれがより一層彼女を魅力的に見せる。


嗚呼、何故彼は彼女には見向きもしないのだろうか。


彼女の想い人は他の女に好意を抱いている。


彼女とは違い、その女は聖女と呼ばれる程善人だ。


穢れも知らず、悪意も知らず、幸福だけを与えられる女。


世間知らずのお嬢様。


無知は罪だと言うけれどその通りだと思う。


彼の隣で笑う女はかつてその彼に婚約者がいた事を知っているのだろうか。


今でも苦しんでいることを知っているのだろうか。


目の前で首を傾げる女に剣を向ける。


そして、漸くして僕の目的を理解したようで女は涙を流し始めた。


「…何故私を殺そうとしているのですか?私は貴方のことを知りません…」


そうだろうね、君は知らない。


僕だって殺したい程嫌いなわけじゃない。


でも、君がいる限り彼女はきっと僕を見てくれないから。


「君は何もかもを知らなさすぎた」


彼女のことも彼のことも。


女の心臓に剣を突き立てる。


彼女は苦しみながらまだわからないようで“何で”と言い残し事切れた。


洋服が女の血で紅く染まる。


案外人間というものは脆いのだなと何故か他人事の様に考えてしまう。


嗚呼、彼女は喜んでくれるだろうか。


視界が歪む。


胃の中の物がせり上がってくるのを飲み込み嗤った。


もう戻れない。


僕は僕の恋のために殺めたのだ。


彼女の傍で狂人を取り繕っていた僕はこれで終わる。


恋をして歪んでしまった彼女の傍にいるためには僕も歪んでしまう方が近道だから。


「ありがとう」


彼女から彼を引き離してくれて、彼女を歪ませてくれて、僕を狂わせてくれて。


確かに君は僕にとって聖女のような人だったよ。


これで彼女を手に入れられる。


次に会う時には薔薇を買っていこう。


彼女の紅色の薔薇。


綺麗でだけど棘がある。


きっと誰よりも彼女に似合うだろう。


「紅い薔薇を下さい」


___闇夜に浮かぶ月だけが恋に狂った男を愚かだと嗤った。