黒い人


 錦の散歩に目的地はない。近隣を歩き尽くしてしまえば尚更で、考え事をしながらぼうっと歩くこと方が多い。
 歩いて歩いて、ふと足を止める。気付けば大通りを外れ、閑静な住宅街の一角だった。小さな公園があり、たむろっている少年の声が聞こえる。
 錦は季節問わず日傘を差しているために、いつも周囲の人々の足しか見えていない。今も日傘の中から、前方で立ち止まっている足が見えていた。大きな黒い革靴が一組、錦の方を向いている。
 日傘の中から見上げていく。黒い靴、黒いズボン、黒いシャツに黒のジャケット。その上に、血色の悪い顔があった。

「……俺に何か用か、お嬢ちゃん」

 男は両手をポケットに突っ込んで、温度の感じない声を発する。
 夜が似合う男だ、と思う。鋭い空気を纏うことは凌も時折あるが、目の前の男はもう少し危ういような気がした。
 無自覚とはいえ、人を追い回すことは趣味ではないのだが。

「馴染んだ匂いがしたから、つい、追ってしまったみたい」
「匂い?」
「それより、貴方、こういう時はかがむべきではないかしら?」
「……」

 ガキの癖に、とクマを従えた目が言っている。男はため息をついたが、錦が笑顔で見上げていると、結局しゃがんだ。
 
「で、お嬢ちゃん。俺を尾行でもしてたつもりか?」
「わたくしは敵ではないわよ。言ったでしょう、つい追っただけだと」
「見た目の割りに賢い子供らしいが、大人をからかうのは感心せんな」
「わたくしが、いつ冗談を?」
「何者かに、何事かを頼まれて、俺を尾行していた。そう言われた方が信用できる」
「わたくしが言うのもなんだけれど、子供相手に用心がすぎるんじゃないかしら」
「見た目で油断をすると痛い目を見るんだ」
「見下されるよりは、よほど気分が良いわ。けれど、今は杞憂ね。わたくしは、ただ散歩をしていただけだもの」
「…………そうか」

 男はもう一度ため息をついて、のそりと立ち上がった。随分お疲れの様子である。

「引き止めて悪かったが、子供はさっさと帰れ」

 男は、幼女に対するとは思えない口調で言う。錦には既に背を向けており、両手はズボンのポケットのままだ。
 錦はいつもの穏やかな表情のまま、日傘を畳んだ。軽やかに駆けて、のそのそ歩く男の前に回り込む。男は足を止めたが、鬱陶しそうな顔をしていた。

「わたくし、上から目線って嫌いなの」
「はあ……」
「それに、あなたについて歩いたせいで、すっかりくたびれたわ」

 男は、至極めんどくさそうに錦を見下ろしている。だが、それで怯む錦ではない。腕を男に向けて伸ばすと、堂々と言い放った。

「抱っこしてくださる?」

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