刮目せよ


「――これで、"かえりの会"を終わります。きりーつ、」

 教壇に立つ二人の児童は、緊張した面持ちで目を泳がせながら号令をかけた。それも当然だ、教室の後ろと廊下には保護者がずらりと並んでいた。
 錦は震え声の号令に合わせて動き、机の上に準備していたランドセルを背負った。子どもたちは普段の数倍賑やかに席を立ち、おめかしした親の元へと向かっている。
 最後の授業が授業参観で、そのままSHRも保護者が見学していたのだ。
 錦は人口密度の高い教室内を見回し、廊下の窓から顔をのぞかせている凌を発見する。

「おかえり、錦」
「ただいま、パパ」
「ちゃんと小学生なんだなあ。態度は完全に保護者だけど」
「とっても真面目でしょう?」
「あと無邪気さがあれば、小学生らしさも満点」
「パパったら厳しい」
「俺の娘としては満点」
「当然ね」

 他の保護者たちとは違い、いつも通りのラフな格好の凌は、錦を褒めちぎりながらランドセルをするりと持ち上げた。代わりに持ってくれるらしい。錦は機嫌よく凌と手を繋いだ。
 教室前の廊下から昇降口にかけては、クラスメイトと保護者で溢れかえっている。進みは遅く緩やかだ。

「あとでママにも褒めてもらわなきゃな」
「待ちくたびれているかもしれないわ」

 光は授業が終わった後、すぐに教室を離れている。校舎を出たすぐの所で待っているはずだ。
 授業参観には目をキラキラさせて乗り気だったのだが、隣のクラスの名探偵が問題だった。彼本人は何も問題はないのだが、光にとっては問題なのだ。いくら錦の"おまじない"を信用していても、江戸川コナンを前に動揺しない自信がないらしい。
 昨日、「授業は見に行きたいし錦ちゃんと一緒に帰りたいんだけど、コナン君とは会いたくないから!先に外に出てるね!ごめんね!」と言っていた光は必死だった。パスタ店で遭遇した時も気が気じゃなかったらしい。「十億円の度胸は……」という凌の返答の意味は分からないが。

「錦、靴履けたかー?」
「ばっちり」
「おっし、じゃあ光のとこに――……」

 不自然に言葉を切った凌を見上げる。彼はどこからか視線を外して、なんでもないと首を振る。残念ながら、錦の身長では凌が気を取られたものなど到底見えない。
 人に流されるようにして昇降口を出ると、花壇の傍に光が立っていた。錦と凌にすぐ気付き顔を上げたものの、どことなく焦っているように見える。
 錦は空いている方の手を光と繋ぎ、三人並んで歩き出した。

「えっと、錦ちゃんすごく姿勢が良かったわ!」
「ありがとう」
「握っているのが鉛筆じゃなくて万年筆っていうのも渋くていいわね!」
「鉛筆も、机には出しているわよ」
「あ、でも、あの席で大丈夫なの?前の子、背が高いようだったけど」
「心配無用よ。ところで、ママは江戸川君と会ったのかしら」
「エッううん、会ってないけど」
「ずいぶんと、慌てているようだから。ねえ、パパ?」

 繋いでいる手を軽く引く。凌は否定も肯定もせず、なぜか周囲に視線を走らせた。そうして"何か"を確認してから、少しだけ声のトーンを落とす。

「知り合いに似た子がいたから、そのことかなあ、と……。多分、B組の」
「凌さんも見たのね……!そう、そうなのよ。彼がB組にいるって聞いてたから、SHRの時にちょっとだけのぞいたんだけど、そうしたら……よく似た女の子がいたものだから」

 蚊帳の外を喰らった錦は、やや不満気に眉を寄せ、頭上で交わされる会話に割り込んだ。

「凌の知り合いと、光も知り合い?」
「あー……あー、まあ、うん、そうだな」
「どの子?」
「彼の隣の席の、キャラメル色の髪をした女の子よ。ほんっとに心臓に悪いわ……ドッペルゲンガーかしら」
「哀さんね」
「キッシュを一緒に作ったって言う?」
「ええ」

 光が胸を押さえて息を吐く。凌が頷いている所をみると、本当によく似ているのだろう。
 確かに、と。錦もうんうん頷いた。

「わたくしも、哀さんとよく似ているとは思ったのよね。あの白衣の方」
「……」
「……」
「あ、携帯電話の電源を入れていなかったわ」
「今あからさまに逸らしただろお前!」
「"お前"……?」
「スミマセン。でもこれはスルー出来ないぞー」
「そうよ、だってそれを知っているってことは……」

 光の手に力がこもる。凌の表情も真剣そのものだ。
 錦は「口が滑ったわねえ」と呑気に呟き、荷物もなく軽い体でステップを踏む。知らずの内に、子どもたちにつられて浮かれているのかもしれない。
 両親からの視線が厳しいが、錦はいたって普段通りだった。

「光にとって、大事な人なんでしょう?」
「とても、とても大事な家族よ」
「だから、わたくしも断片的に知っているだけ。"諸星"と同じよ」
「……じゃあもしかして、俺についても知ってることあるのか?」
「パパのは知らない」
「んん、ちょっと傷つく……」
「だって、わたくしが彼女や彼のことを知っているのは、光の血が……………光が血まみれだったからよ」

 両手をつないだまま、小さな足でステップを踏む。傷心中の凌と思案気な光の間で陽気に跳ね、おもむろに手を離した。鼻歌交じりで進みながらくるりとターンし、また両手を繋ぐ。

「あなたたちが見ているものが、全てよ」

 両手をぐっと下に引くと、光と凌は反射的に対抗する。すると、錦の体は簡単にアスファルトを離れた。

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