踏み入るならば心せよ


 コナンは心の中でガッツポーズをした。限りなく黒の可能性は低い、と思いたいが、謎の多い錦のプライベートスペースには興味がある。
 子どもたちは挨拶をしつつも、遠慮なく橙茉家に上がる。三人に続いたコナンと哀は、ドアを開ける錦に小声で謝罪した。

「押しかけて悪ぃ」
「ごめんなさいね。親御さんにご挨拶を……」
「今はわたくしだけだから、気にしなくていいわ。ここがわたくしの部屋、こっちがトイレ、二階がパパやママの部屋よ」

 コナンがリビングに入ると、三人はリビングを歩き回っていた。錦が宣言していた通り、子どもらの興味を引くような品はないので、早々にテレビを点ける許可を求めていたが。
 コナンは何気なくリビングを観察する。生活感はあるが、嗜好品がない。新聞はあるが雑誌は無く、写真も一切ない。そもそも収納家具がないので、片づけているのではなく物が少ないのだ。
 キッチンに入ると、出汁のいい香りがした。踏み台に登った錦が小さな鍋を前にして、哀にアドバイスをもらっている。水溶き片栗粉が云々、料理をしないコナンには分からない話だった。

「……トイレ借りてもいいかな?」
「ええ、どうぞ」
「ありがとう」

 キッチンを出て、錦の部屋に向かう。年下の女児の部屋をのぞくことへの罪悪感は、探偵としての探求心が上回っていた。
 そっと開けた部屋はリビング以上に物が無い。それ以上に驚いたのは、部屋の暗さだ。電気を点けていないにしても、カーテンから漏れる光さえないのだ。分厚い遮光カーテンがぴっちりと閉じられ、廊下から漏れる光がコナンの影を伸ばしていた。
 真っ先に目についたのは、きちんと掃除されたフローリングの片隅にある、たたまれた布団。小学一年生らしいオモチャはないのだろうかと視線を巡らし――あの錦がオモチャで遊ぶ様子は想像できないが――ランドセルとライオンのぬいぐるみを見つけて安堵した。
 そのライオンは、頭にスマホを乗せていた。自然と近寄り、手を伸ばしかける。

「……」

 安室透との関係を探るにはこれ以上ない情報端末だ。
 さっと着信やメールを確認するか?パスワードさえかかっていなければ、そう時間をかけずに確認できる。錦にバレることもないだろう。気になって仕方がない安室との関係。あわよくば、安室の情報を引き出せないだろうか。
 迷ったのはほんの数秒だ。宙で止めていた手を伸ばし、スマホに触れる直前、コナンは息をのんだ。
 廊下からの光で伸びる影が二つある。一つは自分のもの。もう一つ、は。
 勢い良く振り返る。ドアを塞ぐように部屋の主が立っていた。光を背に受け、表情は影になってうかがえない。
 コナンは空の手を握りしめ、先ほどまでとは比べ物にならないくらいの速さで思考を回転させる。子どもらしい言い訳は錦に通用しない。無断で彼女の部屋に入り込んでいるのは事実だ。不自然ではない、錦を誤魔化せる文言を探す。
 口を開いたのは、錦が先だった。

「お料理、終わったわ」

 コナンへの糾弾はなく、ただそう報告された。コナンは力んだ手をほどく。行き場をなくした緊張感を飲み込み、ぎこちなく頷いた。
 見逃してくれる、ということだろうか。
 コナンは口を引き結んで、錦の部屋を出るべく一歩踏み出す。錦はドア口に立ったまま、微動だにしない。もう一歩踏み出しても動かない。「えっと」間投詞をこぼすと、ようやく錦が動いた。
 柔らかい指でドア枠を撫でる。コナンに向けられた瞳は、赤く底光りしているような気がした。

「城への直接攻撃は、宣戦布告とみなすわよ」
 
 これだから、コナンは錦を白だと言い切れないのだ。
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