世間は狭い


 雑居ビルの事務所にて、彼はいささか乱暴に私立探偵の仮面を脱ぎ捨てた。日本を守る警察官の降谷として、ほこりをかぶったパイプ椅子に腰かけた。
 便宜上事務所といいつつ、中には申し訳程度の長机にパイプ椅子、置き去りになったホワイトボード、カチカチと鳴りながらも進まない壁掛け時計といったガラクタ一歩手前の物品しかない。蛍光灯も外されている場所が多く、スイッチを入れても薄暗い。すべての窓にきっちり設置されているブラインドだけが現役だった。
 事務所には他に人の姿はなく、電話をする降谷の声だけが控えめに響く。

「確実なんだろうな?」
『はい。諸伏景光も宮野明美も、本人である確認がとれています。宮野明美は遺体があがっていませんが……諸伏については、あの時も本人であると確認しました。ですが、今回も本人です』

 死亡した仲間が生き返った。しかも、組織に殺されたはずの女性を手土産にして。
 電話でその一報を受けたとき、連絡係もとうとう過労で幻覚を見、自分も幻聴が始まったのかと頭を抱えた。しかし、どうやら事実であるらしい。喜ばしいことだが、予想外もいいところだ。
 大切な友人が二人生き返ったというのに、降谷は素直に喜べないでいた。

「前回のあれが、別人だったと」
『……そうなります。降谷さんも確認されていましたよね』
「ああ、した。それも死亡直後に。クローンじゃあるまいし……顔がそっくりの別人を用意していた、としか説明が出来ない。確かに組織では、顔が残っていれば一々DNA検査もしていないはずだ」
『こちらでは行っています』
「……風見、」
『私も、あの死体は諸伏だと報告を受けています。一卵性の双子でもいたのでは?』
「いない…………はずなんだがな」

 一卵性の双子がいたか――幼馴染として、可能性は限りなく低いと言いたい。
 替え玉を用意していたか――いくらなんでもDNAまで寄せられない。
 鑑定をした医療関係者が虚偽の報告をしたか――降谷や風見にまで黙っている理由が思い当たらない。

『諸伏と宮野明美は別々に警察へ接触してきましたが、証言に齟齬はありません』
「……元気そうか?」
『二人ともピンピンしてます。降谷さんより顔色が良いくらいですよ』
「バカンス気分か、まったく」
『諸伏は本人の意思もあり、復帰させる方向で考えていますが……公安からは外されるかもしれません』
「……いや、それはなんとかしたい。協力してくれ」
『!もちろんです』

 贔屓目は無しに、一度組織に食い込んだ人間を遠くへやるのは惜しい。彼の有能さは降谷もよく知っている。長いブランクで鈍った勘も、激務の前ではあっという間に戻るだろう。
 土産を持って帰ってきたことも、諸伏の復帰を後押しするだろう。宮野明美に組織内での地位は無いが、もう一つ――FBIの無断捜査の情報だ。水無怜奈(キール)の事故について、なぜか情報を持っていたのだ。バーボンとしてはほぼ関われなかった一件で、公安にも情報が少ない。
 いかに上手く話をまとめ、周囲を丸め込むかは降谷や風見の腕の見せ所である。宮野明美の処遇についても、悪くならないよう奮闘する所存だ。
 
『ただ、潜伏先についてははっきりさせなければ……宮野明美は諸伏に保護されていたと言いますが、その諸伏はなぜ年単位の潜伏が可能だったのか。基本的には黙秘、話したかと思えば不可思議なことを言いますし』
「不可思議?」
『母親がいるとかなんとか。念のため諸伏の実家に確認しましたが、無関係でした。宮野明美は"諸伏に保護されていた"以外のことは話していません』
「母親役の協力者か」
『ええ。それと……子どもと同居しているようです』
「……"母親"どこいった?子どもは一般人か?」
『"母親"の正体は不明です。子どもは戸籍のある一般女児、小学一年生。諸伏はその子どもの父親役、宮野明美は母親役といったところでしょうか』

 犯罪組織に潜入していた捜査官と、犯罪組織に人質として囚われていた女性が協力するのは、まだわかる。だが、何の関係もない子どもがいるのは何故だ。カモフラージュのために巻き込んだとしたら、違法捜査も厭わない身でも良心がギリギリ痛むし、幼馴染の血も涙もない判断に友情を考え直したくなる。

「はー……雲行きが怪しいな」
『頑張って下さい。女児は母親を亡くした後、両実家から絶縁状態だった父親に引き取られ、取り壊しが見送られていた一軒家を買い取って同居を開始。父親に恋人が出来てからは、その恋人とも一緒に暮らしていたようです。この父親が諸伏、恋人が宮野明美です。戸籍はありますが経歴がペラペラで裏が取れず、偽造の可能性があります』
「二人はともかく、子どももか?」
『はい。出生届がなく、生みの親が不明、諸伏が引き取るまでの居場所も掴めていません。組織の人質だった幼児を、諸伏が逃がしたのではないかと。諸伏は黙秘していますが、非常に好意的で仲睦まじく暮らしているようです』
「はあ、それは何よりだ。では、その三人の偽造戸籍を作ったのが"母親"か……」
『潜伏先の特定はこれから試みます。諸伏を尾行しても撒かれ、発信機は外され、住所へ行ってもなぜか家にたどり着けないという怪奇現象に見舞われているようですが、上も五月蠅いので潜伏先は特定し調査します』
「…………ああ、頼む」
『身動きはとりやすいようなので、準備が整い次第登庁させます』
「ああ。覚悟しておけ、と伝えてくれ。俺はしばらくポアロと組織とで登庁できそうにない」
『分かりました』

 結局"母親"は誰なんだ。
 諸伏や宮野の逃亡と潜伏を手伝い、ハリボテとはいえ戸籍まででっち上げた人物。公安にも組織にも気づかせなかった手腕は称賛に値する。正式に協力者として引っ張りたい。
 宮野明美の身柄を警察で確保しているということは、小学一年生だという子どもは母親役を失ったのか、と少し切なくなる降谷に『それで、偽造戸籍なのですが』と風見が続けた。
 
『諸伏は橙茉凌という名前で生活しているようです。宮野明美は諸星光。住所は米花ではありませんが、近いので安室透とニアミスしている可能性もありますね。女児は橙茉錦、帝丹小学校に通っているようですが、姿を確認出来てはいません』
「……今日の連絡で一番の驚きが今きたぞ」
『はい?』

 パイプ椅子に背を預け、一度スマホを耳から離す。暗い天井を見上げて深呼吸をし、細い眉をぐっと寄せた。
 落ち着いたら、この一家と面談を開催したい。
 

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