お茶会を


大変なことになった。
おそらく、凡そ一般的な思考回路を有していらっしゃる方々ならばそう眉間を抑えることだろう。かくいう僕もそうしている。
だからこの目の前で大爆笑をしながらきゃあきゃあとファンシーショップではしゃぐ女子高生みたいな反応をしているろうたけた女性と、女子高生リアクションをそのままシラフでやってのけている現役女子高生の2人に、僕は言いたい。現状をあまり理解できていない人たちのために、理解力と順応性だけで生きているような僕は声を大にして、あえて申し上げたいのだ。

「きゃあっ!かわいいー!」

ーーその反応は間違っている!
ーーと。


簡潔に完結から申し上げよう。
あの梵字とやらと、魔法陣モドキ(いや、この状況ではもうモドキではない)を解読することができた。書き写すことも容易だった。何を隠そう僕達の美術の成績は4である。模写くらいなら造作もないことだった。
ここはこうだとか、あら上手ねだとか、他愛もないやりとりをしながら手を動かしていく。

「あの、めめさん。なんとか真ん中の図形だけはかけましたよ」
「ありがとう、私も翻訳が終わったわ」
「たるるもぼんじぃさん書けたよー!」
「誰だよぼんじぃさん」
「ぼんじぃさんは梵字のために生贄になった悲しき人柱である。本名は梵田茂夫68歳、職業は
「いるのかよぼんじぃさん!!」
「いないけど」
「だろうね?!」

でかでかと地面に書かれた(僕達が書いた)魔法陣の前でいつも通りくだらない軽口を叩きあって、なんとなく湧き上がる達成感を誤魔化す。落書きが上手くいったときの達成感は、むず痒く小っ恥ずかしいなと感じるお年頃なのだ。

「まあまあ、そんないきれないの。お楽しみのところ悪いのだけれど今から陣の外にでて頂戴ね」

別に楽しんでたとかそういうのじゃないし違うし。とお互い顔を見合わせて口篭る。ほら早く、と軽やかに手を叩いた曖眼々さんに従って陣から離れた。
ーーそれじゃあ行くわよん。
血色の悪い頬と言葉尻がきゅうっと楽しそうに上に跳ねる。
けれど梅重色の瞳は真剣な鋭さを帯びて見えた。そのおりしもーー

       

その後の言葉は、不思議と耳にも記憶にも残らなかった。何かを言っていたことは分かっているのだけれど、その内容を把握できていない。まるで、違うことに集中していた時の聞いていただけ≠フような、そんなピントの合わない事実が、過去としてそこにあった。
何を言ったんですか?何をされたんですか?湧き上がる疑問を震えながら口にする。その問は弱々しく曖眼々さんの肩を叩いた。
ーーえっとね。
振り返った彼女はとても満足そうに陣の外にずれて、目を閉じて耳横の髪を手で抑えた。血色のあまりよろしくない口から言葉が落ちるよりもはやく、それを遮るかのように、魔法陣がーー消えた。

「うわっ!!」
「きゃあっ」

正確に言えば、光りに包まれて僕達が目を閉じてしまったのである。突然の眩しさと風に、たるるの腕を引いて後ろに隠す。赤い赤い髪が視界をサラサラと遮ってくれたおかげで、僕はゆっくりと細く目を開けることができた。
一体何がどうしてどうなってこうなったのだ!
原因はすべからく分かっているーーとはいえ説明を誰でもいいから分かる人に求めてしまうくらいは許されるはずだ。
腕には好奇心に抗えず身を乗り出そうとしているたるるの体重が控えめに寄りかかっている。さすがに突っ込むことは躊躇われるようだ。僕もその行動に同意である。

「……あら、思っていたよりもそれらしい方≠ェいらっしゃったようだわね」

光も風も走り抜けた後、僕達だけが順応できずにぽかんとしていーーるように思えた。
視線を声を手繰って彼女の方に向ける。
そこには最初から1人だけ風に当たっていなかったのではなかろうかと伺いたくなるほど完璧にいつも通りきっちりとした身形の曖眼々さんが陣の中の何か≠まじまじと見つめていた。光の反射で辺りが紫色と緑色とぐにゃぐにゃに見えるのを瞬きを繰り返してなんとか治めたあと、僕の腕を掴むたるるを見遣る。たるるも目が慣れていなかったらしく何度か目を擦すると「ん、大丈夫」と笑った。こいつもなかなかに笑顔ばかりの人間だと思う。交えた視線から本当にどうということはないのを読み取って、胸をすっと下ろした。
そして、改めて魔法陣を訝しげに見つめたおりしもーーたるるは曖眼々さんの横に並んでいたのである。

ーーかくして、冒頭に戻るのだけれども。

「あ、あ、あの……」
「なにこれ耳?!耳よね?かっわいいー!」
「どんな珍獣でも出てくるのかと思えばなんてことはないお嬢さん達じゃないの」
「そんなことよりここはど」
「これ何の耳?イタチ?」

絶対にあのリアクションは間違っていると思う。むしろ珍獣かと思われた陣の中の何か≠フほうがよっぽど僕と同じ心境だろう。順応性と適応力があるとはいえ、ああいう慣れ方はできない。
騒がしいを通り越して喧しい2人の間から見える茶色の頭を見るからに、どうやら召喚(という言葉が正しいのかはさてもとして)したのはヒトの形をしたものらしく、遮られてはいるものの意思疎通ができるようだ。
むしろ意思疎通ができないのはこちらの2人のほうである。
僕は遮られすぎて黙ってしまった何かを助けるべく、呆れて壁に寄りかかっていた身体をもたげた。

そこにいたのは、キャラメルのような柔らかな光を取り込んでいる髪色、現代では見慣れないフリルとレースをふんだんにあしらったお召し物をまとう、人間のような二人組だった。
のような≠ニ曖昧な表現をせざるを得なかったのは、人間には似つかわしくないモノが警戒するように頭に伏せられていたからである。
ーーなんだあれは。新しい種族か何かだろうか?とある死神には似合わなければ死ぬほど恥ずかしい、人間でいうところの猫耳が付いているけれど、もしかしてああいうものの類だとでもいうのか。死神でなければなんだ?悪魔か?
さては危ない人達かもしれないと、警戒心を盾に近づく。相手も警戒しているさまを伺うに、すぐに襲いかかってくるような獰猛さを含み置いているわけではないらしい。

「あの、」
「誰だ君は!どこだここは!何なんだお前は!よく分からんがとりあえず死ね!」
「え、さっきまでの態度と違、死ね?!なんで僕にだけそんな態度?!まあ、それはできるならば僕も伺いたいところなんですけれど、ああいや、教えられることはこちらとしても御説明させていただきたく存じますが最後だけは承服しかねますーーと色々言いたいところですが、とりあえず」

お怪我はありませんか?と紡ごうとして、おけっで止まってしまった。
キッ!と擬音でビームを出しそうなほどきつく睨まれる。無理はない。無理はないとはいえ怖っ。
目尻を引くつかせる僕に見かねたのか見下したのか、それをやんわりと動きで制したのは、もう片方の、似たような髪色をした小さな女の子だった。

「ヴェルデル、びっくりしているのはわたくし達も向こう側も同じのようですわ。でしたら、情報を有している方の口を固くさせてはこちらも身動きがとれませんもの。警戒を隠してくださいまし」
「解くわけじゃないあたりが正直な物言い……」
「わたくし、嘘をつくのがとっても苦手ですの。飛行機の羽に乗るくらい苦手でしてよ」
「度合いが分からないけれどすごい苦手なことはよく分かりました」
「ほら、ヴェルデル?こんな普通に会話が成り立つ方にあなたがわざわざ警戒心をすり減らす必要がありませんわ」
「……チッ」
「やっぱり見下してません?」

ころころと秋の木の実のような柔らかな声色で、言う。僕を睨めつけてくる方の頭一つ分下から見上げてくる、見るからに少女という外見をした女の子は、ねえ?と無邪気に声を跳ねさせた。
僕が話しかけたことによって都合よくきっかけができたようで、要領を得ない騒がしい女性2人を無視することに決め込んだらしい。地味に隣からのブーイングが痛い。ヴェルデルと呼ばれた人が渋々と全身から滲ませつつ僕から目を逸らすと、小さな女の子は綺麗な仕草で立ち上がった。それにならってヴェルデルさんも立ち上がる。随分と育ちがいいらしい、身形からそれはありありと読み取れたけれど、仕草もそれを引き立たせているように思えた。
足を揃えてスカートの裾をつまみお辞儀をする様は、背筋を伸ばして顎を引きすらりと立つ様は、古めかしく美しい、それなのによく身に馴染んでいた。

「自己紹介が遅れましたわ。わたくし、リクルと申します」
「……僕はヴェルデル。リクルに危害を加えるつもりなら容赦はしな……そこの白髪混じりとピンク女うるさい!」
「誰が白髪混じりだゴルァ。その耳引きちぎってこの世界に馴染ませて差し上げましょうか?」
「頭がピンクなのは創作だから仕方ないでしょう!リアルだったら茶髪かなんかでしょうよ!少女と紳士とか萌える設定持ってくるのが悪いと私は思うの!!!」
「メタい発言しないのたるる!」
「……りくるたすけてなにこいつらこわい」
「まあ、わたくしよりもお若い女性に失礼でしてよ?それに、こんな面白い寸劇を目の前で全力で披露して下さっている方々にまだ何か危険な要素があるというの?」
「………………」

ヴェルデルさんは、睨むわけでもなく、ただぼうっと未だに「女顔紳士は正義!つまりヴェルデルくんは正義!いえあ!」などとほざいている2人を見遣った。数秒だけ、何も言わずにそれを綺麗な瞳孔に移す。となりのリクルちゃんには、彼女が何を含んでいるのかが分かっているらしく、ヴェルデルさんを見上げたまま楽しそうに涙袋をたたえている。
ーーはあ。
ため息がもれた。誰からというのは言わずもがなである。1度目を閉じて乱雑に頭をかくと、ヴェルデルさんは警戒心の薄らいだ、幾分か力の抜けた目線で僕に向き直った。

「それもそうだな。お互いがお伺い自己紹介をしたいところだったのだろう?次は君が答えてくれる番だと思うぞ」

小さく首を傾げヴェルデルさんに、いち早く食いついたのは何を隠そうテンションは女子高生中身は■■■歳、曖眼々さんだった。

「そうと決まれば待ってちょうだいな!立ち話もなんだもの、お茶とお茶請けをださないとよね?今用意するわ。リクルちゃんとヴェルデルちゃんだったわね、隣の部屋で寛いでてくださるかしら?エヴァくん、案内して頂戴」
「え、あの」
「たるちゃんはお茶をいれるのを手伝っていただけるかしら?」
「がってんしょうちんあんこう!」
「人の話に耳を傾けることってできませんかね?僕の声って聞こえないくらい小さいですか?しょうちんあんこうってなんだよってツッコミは耳に届くかなこれ」
「存在が小さいから仕方ないね!平均身長に達してからマウスをビックになさいよ。それができないならあとはよろしく!」
「むしろ囂しいくらいだと僕は……」
「ええ、姦しいですわ」
「両サイドからの猛攻かよ!!!!!」

まったく!!!!!もう!!!!!
と無慈悲に閉められたドアに手を伸ばすことなく、地団駄を踏みそうになる足を1度だけ地面に叩きつけてそう叫んだ。僕だっていつもこんな役回りをしているわけではない。いつも叫んでいるわけではない。どちらかというと落ち着いているほうのはず、だ。あと姦しいについては文字的にもの申したい。
内心思うところはあるけれど、口の奥で噛み砕いて未だに陣の中にいる2人に向き直った。ぴったりと離れることの無い距離感が、まだ少しは緊張しているのだと教えてくれている。
わけが分からないのは僕とて同じ、とはいえ四方八方が意味不明なわけではない。それに、本当に危害を加えるつもりなどつゆほどもないのだから。
僕はできるだけ優しく、それでいて穏やかに書斎の扉を開けて言った。

「僕は神子柴エヴァと申します。積もる話は、座ってしたほうが重たくならずに済むのでは?」

それもそうね。ああまったくもってそうかもしれないが。2人は手を繋いで先ほど僕達が座っていたソファに腰掛けたのだった。

ーー曖眼々さんとたるるがお茶請けを持ってきたのは、それからすぐのことである。
本当にすぐのことすぎてお茶が薄いのではとも思ったのだけれど、そんなことはなく、茶柱まで立ててあるところを見ると、どうやら丁寧に入れたようだ。
シンプルな色合いの湯呑み茶碗と和菓子が音もなく一人一人の手前に並べられていく。笹に乗せられた栗おはぎが季節を象徴していて、お茶の緑の隣で胸を張っているように見えた。
それをまじまじと目を開かれながら、一番最初に声をあげたのはリクルちゃんだった。

「これはなんですの?」
「緑茶とお茶請けの栗おはぎだよ」
「お茶ですの?こんな緑色のお茶見たことありませんわ!オハギというのは食べ物でよろしいのかしら」
「お菓子だから、食べていいよ。とても甘いんだ。……って、え?緑茶を知らない?」
「ええ、存じ上げませんわ。わたくしたちがいつも召し上がっているお茶は紅茶ですもの」
「ジャパニーズグリーンティー、て言えば分かるかな」
「おお!これがか!このOHAGIというのもジャパニーズスイーツか」

そうですよ、とはしゃいでいる2人に言えば、目を輝かせてお皿を持ち上げて四方から観察しだした。すげえ、外国人のノリだ。
リクルちゃんとヴェルデルちゃんがそれぞれ栗おはぎに手をつけたところで、さてと、と声を挙げたのは元凶である曖眼々さんだった。

「さて、私たちの自己紹介タイムだね!」
「あ、そこのつり目の赤毛野郎の名前はもう聞いたからいらないぞ」
「うわあ……僕のヒエラルキーってこんなところま適用されるんだな参ったねどうも」
「エヴァくんが品格とか態度とか礼儀とかしっかりしてるのにくそみそに言われるのはそういうくま吉くんのネタを引用してくるところだと僭越ながらこの紫和ちゃんが苦言を呈しておいてあげよう」
「そういうところを一番につついてくる幼馴染み様には言われたくないかなあ」

僕への罵詈雑言という名のジャブもそこそこに、ヴェルデルさんは四方八方から観察していた栗おはぎをつつきだした。それに倣ってリクルちゃんも小さく口に運ぶ。
お口に合いますかしら?と問いかけて様子を伺っていた家主も、どうやら満足な反応を得られたようで、そっと黒文字を手にとった。
小さな口をまごつかせながら咀嚼している2人に向き合って、最初に口火を切ったのは曖眼々さんでもましてやお話大好きなたるるでもなくーー僕だった。

「えっと、さっきも申し上げた通り、僕はエヴァ。高校……じゃあ伝わらないかな?17歳です」
「エヴァ?聖書でてくる蛇に唆された愚かな人間の始まりが、たしかそんな名前でしたわね。もしかしてそういうのがお好きなんですの?」
「好きというか、まあ、そうかなあ。縁があるのは確かだよ。あまり深くつつかれると返答に困るからなんとも言い難いんだけr」
「はいはーい!!!次はたるちゃんね!私は御伽女木紫和です!たるるって呼んでください!エヴァくんがチラッと言っていたけれど、彼とは幼なじみなの!」
「ねえ僕の自己紹介ぶつ切りにする必要あった?」

いつもの人懐っこい笑顔をぱっと花開いて、たるるがリクルちゃんとヴェルデルさんに向かって首を傾げた。その表情と声色に2人は幾分か警戒心を解いたようだ。何だか複雑な気分である。

「じゃあ残ったのは私かしら?」

タイミングを見計らったように湯のみに手をかけながら、曖眼々さんは涙袋を認めて胡散kなんでもない。テイクツー。曖眼々さんは優しげに目を細めた。見慣れた表情に翳りは一切なく、血色の悪い顔からは興味深々という感情がギラギラと流れでていた。心なしか頬に紅が差している気もしてきた。僕達若輩者には出せないろうたけた雰囲気に、たるるが「そうだよー」と先程よりもエクスクラメーションマークの控えた声質で肯定した。

「遅ればせながら、曖眼々と申します。先に謝っておくと、あなた達をお呼びしたのは、私です」

誰かがため息をつく。僕ではない。最後の一言に、リクルちゃんが「でしょうね」と無邪気に八重歯を光らせた。お察しのいいことで、とこちらの謎多き女性も負けじと唇を細める。
1通りの理由を説明しだした曖眼々さんの言葉を咀嚼しながら、自分達が参加したところだけ頷く。
そういうわけなの、ごめんあそばせ。曖眼々さんは湯のみを口に付けて息をつくことで空気を区切った。もう話すことがないことを皆の頭の中に容易に想像させる。もうこれ以上は本当に何も無いのだろう。栗おはぎを小さく口に運んで、声を紡ぐ気配はなかった。


「大変おいしゅうございましたわ、はじめての和菓子というものをご馳走になりましたけれど、優しい味ですのね」

ーークッキーともムースやゼリーとも違う、不思議な食べ物だわ。
更になったお皿に黒文字を起きながら、リクルちゃんは言う。見るからに洋食を召し上がっていそうだから、表現する味覚が見当たらないようだった。子どものような可愛らしい声音とは裏腹にあれやこれやと出てくる和菓子の表現は、どれも本人自身がしっくりきていないらしい。伝わるかしら、と首を傾げている。そんな2人(ヴェルデルさんの方は優しく相槌を打つだけだったけれど)に、人それぞれの味覚だもの表現も千差万別よ、と曖眼々さんは楽しそうに笑った。ああいや、彼女はいつも楽しそうだけれども。

「僕達を呼び出したいきさつはよく分かったけれど、そんなことを、そんなリスキーなことをただの暇つぶし程度でするとは思えない。目的はなんだ?」

そんなニコニコの化身みたいな彼女とは対極に、ヴェルデルさんは神妙な面持ちで膝で手を組んだ。語尾すら前かがみになりながら問うさまに、僕は身じろぎする。
楽しそうでなにより、だなんて甚だしい勘違いだったのかもしれない。同じようにニコニコの化身のように微笑むリクルちゃんも、睫毛に囲まれた奥の瞳は鋭い。

「え?目的?なくない?」
「は、」

ぽろりと零したのは、うちの馬鹿、たるるだった。きょとんとした表情をみるに、他意も悪意もなく、ただただそんなものはあったろうかと考えて答えを出しあぐねた結果らしい。せっかくキリリとしていた目と眉の間は、またぽーんと隙間をとりもどしていて、目の前の2人はたるるの表情が移ったような顔をしている。さすがのリクルちゃんもその面差しが崩れ、見た目通りのあどけなさを滲ませていた。
ーーどういうことだ!
ここにきて久しぶりーーというほど時間は経っていないがーーに声を荒らげたヴェルデルさんに、だからね、とたるるは静かに口を開いた。先程とは対照的なやりとりに、人はいつ形勢逆転するか分からないものだと、感心する。

「なんか面白いものあるね、みたいな感じで呼び出したっていうか。そもそも何かを呼び出そうとして術を使ったわけじゃないって言うか」
「そんなことがあってたまるか!」
「たまらなくてもあるんだもん。仕方ないじゃない?こっちも驚いたけど、別に要求があるとかそういうんじゃないわよ」
「しかし……」
「何よ、要求しなきゃいけないわけ?耳生えてるのに頭硬いわねー!」
「耳は歓迎ないだろう耳は!」

ヴェルデルさんがイライラしてきているのは日を見るより明らかだった。無理もないだろう。こんな全てが異質で異様な四面楚歌の空間で落ち着いて機嫌よくあり続けることのほうが難しい。とはいえ、突然悪魔の証明のようにないものをあるのではと責め立てられていい気がしないのも確かなことだった。これぞまさに水掛け論である。
あくまでニコニコと止めに入らない年長者(と、思われる)2人に視線を向けてみたけれど、向こうも慣れているのか惜しむらくは手を貸してくれそうになかった。
ヒートアップする内容に比例して、たるるとヴェルデルさんの声量もメモリを上げていく。そろそろ叫び出すのではなかろうかと肝を冷やしていると、「お二人共」凛とブレない声が怒声を鎮めた。
ーーはしたなくってよ。
ーーええそうね、女性は奥ゆかしくあるべきだわ。
静寂が水を弾くようにパァンと広がった。あれだけあるだのないだの喚いていた2人は決まり悪そうに目を伏せている。
どうやら今まで僕がしていた描写を訂正する必要がありそうだ。
リクルちゃんは無邪気だなんて、常に子供のようにはしゃぐ素振りを見せていたけれど、あれはろうたけた方が故のもの。そう、僕はーー僕達は見慣れていたはずだった。何故なら、曖眼々さんがよくやるそれと同じものなのだから。そういう方は怒らせてはいけない。笑顔で諫められているうちが花だ。
彼女らは趣やマナーを重んずる。多少の無礼は若さゆえの空回りと許す懐の広さを持ち合わせているし、現代に習って崩れ立て直し変わっていくものもあるわと寄せてきてくれる柔軟性もある。
ーーだからこそ。

「客として迎えられた身。些か無礼講が過ぎるのではなくって?それにわざとではないと再三仰っていらっしゃいましたし、たしかに怪しげな方ではありましたけれど、謝ってもくださいました。解決策を話し合う場で、喧嘩をしていては何もなりませんわ」

何が微笑ましい、だ。まるで仮面を外したかのように、そこに笑みは張り付いていなかった。くりくりとした目を縁取る長い睫毛が、先程まで煌めいていた瞳を陰らせている。
曖眼々さんは笑みこそ認めているものの、素知らぬ顔でたるるを見ることすらしていなかった。

「リクル、だが」
「だがもタガも樽もありませんわ。おはぎをいただき、楽しくお喋りをして、最後は大団円でさようならをする、何が不満ですの?」
「僕は、そのために何か要求をされるんじゃないかと思ったんだ……」
「だーからしないって言ってんじゃん」
「そんなこと信じ」
「その攻防戦はもう結構よ。お腹いっぱいですわ」

いい加減にしておくんなまし。
リクルちゃんーーいや、もうここはリクルさんのほうがしっくりくるーーがお茶を飲みながら僕達を睨みつける。いや、なんで僕まで……。
完全にすくみ上がっているたるるが僕の袖を掴んで離さない。ああなるほど、このせいか。
曖眼々さんに助けを求めようにも、いつの間にか彼女はお茶を片手にスマートフォンをいじっていた。うわあ、ミスマッチすぎる。じとりとその手を見つめていると、相も変わらず空気を読まない(読めないのではないあたりがミソである)曖眼々さんが「まあ!」と上ずった声をあげた。

「もうリクルちゃんもヴェルデルちゃんも不安になる必要はないわ。あなた達、帰れるそうよ」

リクルちゃんとヴェルデルさんはきょとんと動きを止めた。耳が驚きと興味津々から上に向く。
どうやら言い合いを見ていることが飽きた曖眼々さんは早々に懐からスマートフォンを取り出して最寄りの神様(想像はつく)に連絡を取っていたらしい。

「そしたらね、ちょうど世界の柵が緩んでいたんですって」
「だから私たちがこちらに呼ばれてしまった、ということかしら?」
「うーん、そうね。元々鍵が開いてしまっていて、その扉を私たちが開けてしまったって感じかしら?」
「それはまあ、不可抗力ですわね」
「入っちゃうわよ、開いていたんですもの」

ーーヴェルデルちゃん。これは、情状酌量にはならないかしら?
曖眼々さんはそう彼女を見やった。僕の隣ではたるるがどこか不安げに眉を寄せている。喧嘩っ早いとはいえ、それを善としているわけではないようで。いつだって、たるるは喧嘩した後にごめんねをするのだ。
ヴェルデルさんもしばし目を伏せて考えはじめた。リクルさんと違って、彼女は思慮深く短絡的でとても“人間らしい”と思う。人間と一絡げにしていいのか悩むところではあるけれど、僕やたるるのように感情的でアイデンティティに素直で泥臭い存在のことを今は人間らしいと例えていることにしてほしい。
うんうんと顎に手を添えて思案に暮れていたヴェルデルさんがひとつため息をついた。あら、無駄な時間は終わったかしら?なんて、隣のろうたけた小さな女性が首を傾げる。その言葉はちくりと針を含んでいた。
確かに、偶然が重なって不本意に召喚されてしまったことが不快でここにいたくないのなら、選択肢はひとつしかないのだから考えることなんてないのだろうけれど。たとえ僕達に思惑があろうとなかろうと、行動することの妨げにはならないはずなのだから。

「帰ろう、それ以外に答えはない。リクルが何かされる前に退散したい」
「一言ごとにこちらへの敵意を含むことを忘れないねほんと」
「うるさい、特にお前とはそりが合わないんだ。一刻も早く背を向けたいどころか世界を違えたいんだ!」

鼻を鳴らしてそっぽを向いたヴェルデルさんの手を、リクルさんが優しく包んだ。そうね、帰りましょうか。先程までつんと温度を下げていた顔にふんわりと笑顔が香る。ころころと色を変える彼女に、まるで薔薇のようだと思ったのは、さようならをしてしまうのだから、この際秘密にしておこうと思う。台詞くさすぎる。
それぞれの意見と行動に区切りがついて、部屋が静かになったのが分かった。しかしそれがすべからく穏便なものであることも、僕は汲み取ることが出来た。何故なら、ヴェルデルさんが耳を伏せる理由も、たるるが牙を向ける理由も、もう無くなったのだから。
曖眼々さんはその静けさに溶け込むようにそっと立ち上がった。視線を一身に受けてなお、顔色ひとつ、視線ひとつ揺るがない。

「さて、御暇いたしましょうか」
「ま、待ってくれ。理由が分かったとはいえ、どうやって僕達は帰ればいいのか皆目分からないんだけれど……」
「あら、簡単なことよ。扉があるならそこから帰ればいいだけの話じゃない。それとも貴方達の世界では玄関から入って窓から帰る風習でもあるの?」
「そんな窓が汚れて労力がかかるだけの風習はないが」
「そうでしょう?じゃあ鍵を開けて扉を開けて帰ればいいのよ。それでは鍵を開けていただきましょう」

え、どうやって。という言葉は僕達の囲むテーブルのど真ん中に突如燃え盛った1メートル以上の大きな炎のせいで灰になって消えた。
炎と称する以外にどう例えていいのか分からないだけで、熱くもなく眩しくもないそれが本当に熱量のある炎ではないことを僕は知っているのでさして驚きはしなかったけれど。リクルさんが本日2度目の驚愕の表情を浮かべた。ヴェルデルさんは律儀にお皿と湯呑みを避けてくれている。誰よりも根はいい子だ。
青く温度のない炎がゆらゆらと落ち着きを見せ、ゆっくりと影をかたどり始めた。似合わなければ相当恥ずかしい、ぴっこりと尖ったそれを頭で揺らす影には見覚えがあった。いや、ありすぎた。

「呼ばれて飛び出、あ、いや待って飛び出てないわ。燃え出てじゃじゃじゃじゃーん。フェニックスならぬ死闇ックスです」

なんでハイテンションなんだよ。

「さっきめっちゃ可愛い猫いたから構ってきたんだよクソ可愛かっためっちゃハッピー」

てへぺろ、と終始真顔で死闇さんは頭をかいた。曖眼々さんが最寄りの神と称したのは、どうやら彼らしい。死神とはいえ、彼も立派すぎるほど立派な神様である。この事態もどうにかしてくれるだろう……多分。
未だに驚きを仕舞えずにいるリクルさんとヴェルデルさんをよそに、呼び出した本人である曖眼々さんはにっこりと、それはもうにっこりと笑顔でーー死闇さんの頚椎を殴打した。

「おま、頚椎はだめだって下手したら死ぬって」
「どこに登場してるのよ、はしたないわね。あとイラッときた」
「テーブルに登場したのとは申し訳ないと思ってますよまじですまんこ。でもイラッときただけで頚椎はダメゼッタイ」
「いいから早く避けなさい」
「ウイッス」

死闇さんは気の抜けた返事を吐き出すと、そのまま気の抜けた動きでのっそりと絨毯の上に足をついた。そのまま曖眼々さんが座っていた席に腰掛けると、三白眼気味の赤い目でじろりと二人を見つめた。その視線にリクルさんとヴェルデルさんの肩が後ろに下がる。

「え、と。あなたが、神様……?」
「ん?おお。そうだぜ。思ってた神様と違うか?」
「失礼とは存じますが、いささか」
「別に失礼なことはねえよ。神様なんて数え切れないほどいるんだからな。まさに八百万の神ってやつだよ。俺はその1人であって、お前らの想像する神様じゃあ無かったってだけの話だ。お前らが唯一神の宗教だって言うんなら、まあゴシュウショウサマ」
「いえ、もうここまできたらなんでもアリですわ。それに、わたくしたちを助けてくださるのがあなた様なのでしたら、それを否定するだなんて烏滸がましいこといたしませんもの」

死闇さんはきょとんと眉を上げた。

「俺は助けるわけじゃねえよ。くそ神のケツ拭いてやるだけだ。その過程でお前らが助かるだけだろ」

それで一々感謝されてもなあ、誰かの死は誰かの喜びってことになっちゃうなあ。と近場にあった飲みさしのお茶をあおる。それはすべからく曖眼々さんのもので、後ろから小突かれている死闇さんに、僕はため息をつきながらへらりと苦笑いをこぼした。

「あんまりいじめないでください。2人ともーーというかヴェルデルさんのほうは先にたるるとドンパチした後で疲れてるんですよ」
「ちょっとそれだと私が疲れさせたみたいじゃない!私のせいみたいじゃない!」
「九分九厘君のせいなんだよそう言ってんじゃん」
「なんだそう言ってたのかそれなら仕方ないね!」
「それでいいのね、あなた……」

ボケキャラだと思っていたリクルさんが柔らかな声色でつっこんだところで、死闇さんはもういいか?とシニカルに笑った。

「そんじゃあ、はじめるぜ」

ごとり。耳横の髪を留めていた金具が鈍い音を上げてテーブルに落ちた。何故そこだけ長いのか分からない天鵞絨色の髪の毛が、細くたわむ。それを掻き上げて、死闇さんは“今日初めて”いつも通りの気だるげな態度で指を鳴らした。




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