笑うが


さようならのチャイムが人の間をかいくぐる。放課後の廊下はいつも賑やかだ。
他のクラスから友達を迎えに来ている者。いましがた教室にいた生徒達は我先にと細長い廊下に押し込まれていく。マンモス校ではないにしろ、それなりの人数が在籍しているこの学校で、いっせいに廊下にでれば、こうなることは日を見るより明らかだろうに。僕はきっちりとチャックの閉まった鞄を机に置いたまま、椅子に座り直した。
もう少し人気がなくなってからにしようーーこの思考は人混みや喧騒を好まない僕の癖みたいなものである。
今日はそれだけではないのだけれど。
いみじくもいつも通り暇ができてしまった。教室を見渡す。いつもは40人以上が窮屈に押し込められているこの室内も、今はそれが10人にも満たないが故に役不足佐賀否めない。あまつさえ廊下より広いのだから、ますますがらんどうに見える。
ふと、長身が目に留まった。色素の薄い柔らかそうな御髪、面立ちはたるる達を見慣れている僕ですら目を見張るほどの造り。造形美という言葉を使って賞賛してもいいくらいに整っている。明らかにインドアそうな白い肌はこの季節に懈たって消えてしまいそうだ。
彼は転校生の曖河躑躅。とあるゲームのスキル表示をお借りするならばAPP18という恐ろしい容貌を持つ、男子生徒である。新学期と同時に転入してきたことが幸をなしたのか、珍しがって教室の外やら机の周りやらに人間サークルができることは無かったけれど、しかしそれは、同時に出会い絶たれたということでもあった。とどのつまり、曖河君にはそれらしい友人ができていない。
話しかけられなかったわけではない。むしろ、このクラスは友好的かつ社交的な性格の持ち主が多いと思う。自慢じゃないが、僕を含めて。しかしながら、繰り返すようだが、曖河君が休み時間を共に過ごすような友達がいるところを惜しむらくは目にしたことがない。
何故そんなことが断言出来るのかと問われれば、答えは明白であると指を指さざるを得ない。

「……あの、み、神子柴くんは、まだ帰ったりしないんだね……?」

何故ならば、曖河躑躅君はーー僕の隣の席だからである。
最高学年の、しかも生徒会長様であるたるるは、今年度に入ってからというもの生徒会室で昼食を摂っている。生徒会室は僕みたいな一般の生徒は足を踏み入れ難い場所だ。だからといって今さら違う男子グループに飛び入り参加しても、話やノリについていけずかに空気を壊してしまうだろう。だからここ最近は1人寂しくこの教室で昼食を摂っているのだ。時折、話しかけられて数人の寄せ集め集団で机を合わせたりもするけれど、そんなのは数えるほどしかないので割愛する。
この、コミュニケーションをとる気があるのか疑問を呈したくなるほど吃っている彼に、僕はそうだね、とあくまで笑顔で応答する。

「人を待っているんだ、だからもう少ししたらお暇するよ。そういう曖河君は?」
「えっ、お、おれ?」
「そう、君」
「おれも、もう少しやることがあるから、その、まだ帰らないよ」

あくまで笑顔だ。たとえ会話はテンポが大事なのに全てのテンポを崩してくる会話音痴が相手だとしてもだ。
そう自分に言い聞かせながら、あちらが答えやすい質問を渡して、どうしてそこで噛むんだそこでと後頭部を殴打したくなるほどしどろもどろになる彼の言葉を気長に紳士に待つ。
僕って実はすごく知識人で慈愛に満ちていて、いい人なんじゃないかと思いかけるほど時計が進んだ時折、元気いっぱいの声ががらんどうなこの室内に飛んで入ってきた。
言わずもがな、撫子色の髪を背に靡かせた彼女ーーたるるである。

「呼んだ?呼んだよね!呼、ん、だ、よ、ね!!」
「うわうるさっ。なんでノリがお風呂大好きな牛風なんだよ。真面目に返すとすれば、呼んではいないし。待ってはいたけれど」
「知ってる!……ってあれ?」

無駄にいなせな物言いで親指を立てたかと思うと、ぽとりと視線ごと言葉尻を窄めた。かたや僕の隣を見遣ったまま、かたやチワワのように小刻みに震えながら、双方が首を傾げている。大型犬なんて目じゃないほどの長身である曖河君に対してチワワとは我ながらこれ如何に。

「たしか、このおっきい少年は転校生くんだよね?エヴァくんの隣の席だったんだ?」
「まあね」
「エヴァくんの矮小さが顕著に伺える配置ですなあ」
「僕はこの中性的な身長で満足してるからいいんだよ。というかさ、おっきい転校生じゃなくて、曖河躑躅君ね」
「それはそれは不調法なばかりに失礼しましたんご」
「イラッ」
「あ、そのっ、おれは、気にしてない、から」

たるるの拳がみちりと握られたのが分かった。
ーー分かる、その気持ちは大いに分かるけれども、今は抑えるんだ。
そんな心うちを酌み取ってくれたらしい。膨らんだ力を萎ませるようにひとつ、大きくため息をついて、たるるは曖河君に向き直った。その顔色は笑みで染められている。さすがアイドル気質だ。テレビに出ている芸能人よりもずっとずっと貼り付けたほうの感情が読み取りやすい。笑み以外の感情の霊圧が消えーーいややめておこう。読み取りやすすぎて曖河君がビビっているじゃないか。

「そう?気にしていないのならこちらも気にしないわね。私は御伽女木紫和。麓咲高校の生徒会長だよ!この学校を牛耳っているの!」
「えっ?!」
「鵜呑みにするんじゃないよ!そんなわけないだろ!!!」
「そう、なの……?」

あからさまに撫で下ろされた胸をさする曖河君に苦笑いが漏れた。何故なら、たるるが悪うい顔をしているからである。この顔は、ビビるだろうことを思い合わせた上での確信的な台詞で、あまつさえ反応が予想通りだった時のそれだ。

気が付けばチャイムが鳴る時刻になっていたらしい。廊下に敷き詰められていた人も、見渡せばまばらに減っていた。このくらいなら、下駄箱でたむろっている輩に気を配らなくてもよさそうだ。間延びした低い和音のチャイムにつられて黒板の上にある掛け時計を見上げる。4時28分。いい時間だ。

「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「え、もうちょっとこのビビリまんをいじり倒したいよ!」
「ひ、ひい……!」
「いつの間にかよく分からない打ち解け方をしている、だと?」
「なるべくしてなった結果だと思うのだけれど」
「成り果てたというべきじゃないか?」
「は、果てた、結果……仲良くなったわけじゃあ……なかった……?」
「え?本当に?仲良くなった結果があれなの?思い直すべきだとかきくどきたいよ僕は。もっとまともな友人関係を君は知るべきだと」
「それは私がまともではないと言いたいわけ?」
「むべなるかなだね。わざわざ言葉を選ぶのも甚だしいよ」
「ソイヤッ!!!」

ーー殴られた。
綺麗に圧迫された鳩尾を抱えて蹲る。言い喩える言葉を選ぶうんぬん以前に言葉が出ない。痛い。
たるるはそんな僕を鼻で笑うと曖河君に「そろそろ帰るね」と笑を振り撒いた。せっかく僕の知りえぬ友情が芽生えていたらしいというに、隣のーー今は体勢からして目の前の彼はまたも切るような悲鳴をあげてこれでもかというほど体を縮こませてしまっている。友情の芽を育むには、どうやら土が合わないらしい。

「私たちはそろそろお暇するけど、曖河君はどうするの?」
「ごめんなさ、ああいや、そ、そうなんだ」
「今反射で謝ろうとしなかった?」
「し、してない!あっその、おれはこれからまだ、用事があるから……」
「そう、残念だわ。後ろ髪を引かれる思いだけれど、じゃあね!」

まったく残念そうな様子は伺えない声色で、たるるは教室のドアへと歩いていく。半開きだったそれに手をかけて、振り返る。ひらひらと手を振るさまは、まるでアニメのヒロインのように型にハマっていて、ついつい眉尻を下げた笑みがついて出た。そんな自由気侭な一挙一動に意識を向けていた曖河君が、おそるおそる机の下に隠れていた手をあげる。やっぱり挙動不審なまでにおどおどとしてはいるものの、ぎこちない笑みで手を振り返してきた。あまつさえ、ばいばい、なんて身長に似合わない挨拶を選んで、だ。(顔は似合っているというところが、筆舌に尽くし難いところである。)
どうやら、胸襟を開きかけているというのはたるるの独りよがりな主張じゃあなかったらしい。

「うん!ばいばーい!」
「また明日ね」
「う、うん。また、よろしくね」

気弱そうに伏せられていた視線がやっと繋がった。それに満足感をひしひしと感じながら、僕達はその視線を解いて廊下のざわつきに身を滑らせた。




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