Chapter1 〜欠片〜




尸魂界の辺境を、二人の死神が駆けていた。

背に六と十と描かれた白い羽織をはためかせて。


「…ここまで来ても、霊圧なんて欠片も感じねぇぞ。ったく、本当なんだろうな」


体躯の小さな死神が、眉間に皺を寄せて呟く。

隣を駆ける中性的な男が、諌めるような視線を投げた。


「総隊長の指示だ。わざわざ反りの合わぬ隊長格同士を組ませるのだから、余程の事。愚痴は聞かぬ」


「…チッ…」


顔を顰めて舌打ちをする少年は、隣の男を視界に入れぬ様、更に足を速めた。


その時。

ドンッと腹に響くような音。

直後、目的地だった場所から、波紋の様に、凄まじい霊圧が溢れ出した。


「…っく…なんて霊圧だ…っ」


「…っ…成る程な…」


何とか自分達の霊圧を上げて持ち堪える二人。

しかし、尚も上がり続ける霊圧に、彼等の表情は硬い。


「急ぐぞ」


「分かってる」


まるで重力が何十倍にも膨れ上がったかのような、重苦しい空気を押し退けるようにして。

最大限まで霊圧を放出しながら、中心へと急ぐ。

このまま放っておけば、尸魂界全土にまで被害が及びかねない。

それ程の重圧だった。



霊圧を放出し続けるせいで、上がる息を無視し、二人が辿り着いたのは美しい湖畔だった。

その水辺で、一糸纏わぬ姿で座り込む女。

それが、この凶悪なまでの霊圧の元凶だった。


気配を消し、腰の刀に手を掛けたまま近寄る彼等に女が気付く。


「…人…?」


空を切る様な、澄んだ声だった。

上げられた顔と、今にも泣きそうな表情を見て、束の間、思考が停止した。

瞬間、襲ってくる霊圧の重さに耐え兼ね、膝をつく。


「女、か。其方、何者だ?」


ぎりぎり持ち堪えたらしい六の羽織を纏った男が、厳しい視線で女を射抜く。

如何にか立ち上がった少年は、しかし、妖艶すぎる肢体を直視出来ずに目を逸らした。

長い髪で上手い具合に隠れてはいるが、今の姿は男には厳しいものがある。

女は少し考えた後、首を傾げた。


「…調停者…?」


「何故私に問う」


何事も無いかのように、問答を繰り広げる二人に、少年はこめかみを抑えた。


「お前は、なんで普通に話せんだ、この状況で!」


「…何か問題が」


「大有りだ!」


何処ぞの天然の様な反応を示す男に痺れを切らし、少年は羽織を脱いで女に投げる。


「…兄は初だな」


「お前がおかしいんだよ!」


そんな彼等のやり取りの間、女は投げられた羽織を広げたり引っ張ったりしながら首を傾げる。


「お前まさか…」


そんな不可解な挙動に気付いた少年は、ひくりと口元を引き攣らせた。


「あ…えっと…」


申し訳なさそうに視線を下げる女からは殺気も敵意も感じない。

この異様なまでの霊圧さえ無ければ。


「…取り敢えずこの霊圧、抑えられねぇのか」


ため息混じりに言葉を投げると、困惑した様に琥珀色の瞳が揺れる。

そして、暫く何かを思い出すように唇に指を当て…あ、と呟いて、目を閉じた。

すると、すぅっと霊圧が軽くなる。

それでも並みの死神ならば昏倒するだろうが、彼等ならば、無理に自分の霊圧を維持する必要はない程度に。

それを確認して、少年は女に近付いて、羽織を羽織らせる。

彼よりもずっと華奢な身体は、それだけで十分に肌を隠せた。


「で、どうすんだ?」


「指令は回収だ」


まさか女だとは思わなかったが。

そう、心の中で付け加えて。


少年は溜息を吐くと、女を振り返る。


「…お前、歩けるか?」


その言葉で、女は自分の足に目を落とす。

恐る恐る体重を移動させて、足の裏を地に付ける。

それは、彼女にとって不思議な感覚だった。

ついさっきまで、ずっと空を漂うような漠然とした感覚しか無かったのだから。

歩き方など、とうに忘れてしまったかと思ったが、人の身体というのは本能的にそれを理解しているものらしい。

ゆっくりだが、立ち上がり、しっかり地を踏んだ彼女に、少年は安堵したように小さく笑った。


「…ゆっくり戻るか」


どことなく覚束ない足取りの女に、少年は呟く。

その提案に、男も文句は言わなかった。


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