非現実的な現実


(えーっと……)
 目の前の少年はルネッタを見つめたまま口を固く閉ざし、話す素振りを一切見せない。自分より年下であるはずなのに、彼の威圧感と眼力に気圧されて思わずたじろぐ。
(小さいって訳では無いけど、親御さんも心配されているだろうし早く帰してあげないとね)
ライアは頭一つ分背の高い位置にあるアイスブルーの瞳を真っ直ぐに見つめて、口を開いた。
「わたしはルネッタ。きみの名前は?」
「…………エリオット」
 癖ひとつないオレンジ色の髪を揺らしながら答えたエリオットという少年に、ルネッタは無意識のうち顔を綻ばせていた。理由は単純明快。彼女が恋焦がれ、毎日追いかけ回しているパッセンジャーの面影を彼から感じ取ったためである。
(髪色も瞳も、感情の起伏のなさまでパッセンジャーさんと瓜二つ。……いや、でもそんなはずはないよね!)
 脳裏に浮かんだ考え──彼はパッセンジャーの子どもなのでは、を振り払うように頭を振り始めたルネッタにエリオットは目を丸くすると、不思議そうな顔をしながら声をかけてきた。
「ルネッタ、さん? 大丈夫ですか?」
(じ、じじ実はわたしには伏せていただけで、生涯を誓い合った女性が居られたらどうしよう……)
「ルネッタさん!」
 エリオットの暖かな手が両肩に添えられ、激しく揺さぶられる感覚にハッとする。
「えっ? あ、はい!! ななな何かなエリオットくん」
「さっきから何度も呼んでいたのに反応がないですし、顔色もみるみるうちに青くなってきましたよ」
「ちょっとぼーっとしてただけだから、だいじょうぶ……」
(大丈夫なのかな、この人)
 あはは……と乾いた笑いを零すルネッタに呆れながら、エリオットは彼女が着ている黒色のパーカーに目をやる。青のラインと裏地が印象的なそれに目を奪われていたエリオットの耳にドアノックの音が聞こえてきた。
「ルネッタさん居られますか?」
 第三者の声にびくりと大きく身体を震わせたルネッタの様子にエリオットは首を傾げつつ、彼女とドアを交互に見つめている。
「おや? 開いているようですね。入りますよ」
 返事を待たずに入室してきた男性にエリオットは目を見開き、ルネッタは慌てて彼の前に躍り出た。
「ままま待ってくださいパッセンジャーさん! 心の準備というものが──!」
「ああすみません、驚かせてしまいまし……ん?」
 両手を前に出して立ち塞がるルネッタの背中越しに見える男の姿にエリオットは言葉を失う。落ち着いたオレンジ色の長髪に冷淡な印象を与えるアイスブルーの瞳を持つ男性……パッセンジャーと呼ばれた人物はルネッタを一瞥した後、彼女の背後に居るエリオットに目をやった。
「やっぱり……」
『はい?』
 パッセンジャーとエリオットの声が綺麗に重なり、二人は互いに顔を合わせる。
(エリオットくんはパッセンジャーさんの子どもに違いない。覚悟はしていたけど……)
 ルネッタは目の前の人物とエリオットを交互に見てそう思ったのだが、エリオットは少しばかり眉間にシワを寄せ眦をつり上げるとパッセンジャーに向かって問いかけた。
「どちら様ですか」
「その言葉、そっくりそのままお返ししましょう」
 パッセンジャーの言葉にエリオットの顔つきは更に険しくなっていく。両者の間に漂う険悪な空気にルネッタは慌てて二人の間に割って入った。
「ちょ、ちょっとストップ!落ち着いて話し合いをしましょう!……ねっ?!」

***

 パッセンジャーとエリオットはルネッタを間に挟む形でソファーに腰掛けていた。居た堪れない空気に耐え切れず、恐る恐る腰を上げるとソファから悲鳴のような声があがり、両者から鋭い視線を浴びせられる。
「どちらへ?」
「この人と僕を二人きりにするんですか?」
「ひぇっ!? あ、ああああの、珈琲でも淹れてこようかなと思いまして! エリオットくんもそろそろ喉乾いてきたでしょ」
「エリオット……?」
 パッセンジャーが疑問符を浮かべるとエリオットは不機嫌さを隠そうともせず口を開いた。
「ぼ……私の名前が何か?」
 エリオットをじっと見つめたまま何も言わないパッセンジャーに痺れを切らしたのか、彼はライアの方へ向き直り問い詰めてくる。
「ルネッタさん」
「ルネッタさん、少しよろしいですか?」
 同じタイミングで名を呼ばれ、ルネッタはビクッと肩を跳ねさせた。
「あ、はい……?」
 口籠もっているルネッタを見たパッセンジャーは彼女を瞳に映したまま、ゆったりとした口調で話を続ける。
「貴女にはいずれお話するつもりでいましたが、今話さなければこの問題はきっと解決しないでしょう」
(既婚者でした、って話?どっ、どどどどうしよう!どんなパッセンジャーさんでも愛せる自信はあったけど、こればっかりは──!!)
「ルネッタさん、聞いていますか?」
「はいぃ!? あ、き、聞いてます!」
「では、単刀直入に申します。私の本名は──エリオット・グラバーです」
 パッセンジャーの口から発せられた予想だにしていなかった名前にルネッタの思考は停止する。それはエリオットも同様であったようで、彼は信じられないという表情のままパッセンジャーを見つめていた。
 そんな彼らの様子などお構いなしといった感じでパッセンジャーは言葉を紡いでいく。
「今、ルネッタさんの前に居る少年は昔の私と瓜二つ……いえ、私そのものです。どういう意味かお分かりですね」
「エリオットくんはパッセンジャーさんが将来を誓い合った方との間に授かった子ではないと……?」
「違います。私にそのような方は居りませんので」
 ライアからの質問に即答するとパッセンジャーは腕を組み、考え込むような仕草を見せる。
「非科学的、非日常的なことは申し上げたくはないのですが……この子は恐らく過去の私です」
「過去……?」
 エリオットが困惑しながら呟くと、パッセンジャーは静かに目を伏せた。
「つまりエリオットくんはパッセンジャーさんの小さかった頃の姿で、どういう理屈か分からないけどタイムスリップしてきたってことですか?」
「……恐らくは」
 長い脚を組み変えながらそう言い切ったパッセンジャーの瞳は嘘を言っているようには見えない。
「エリオットく……」
 突然そんな事を言われて最も困惑し、動揺しているに違いない少年の名を紡ぎかけたルネッタはエリオットが自身の服の裾を無意識に掴んでいるのに気が付いてしまった。
(ひゃ〜! かっ、かわいい!)
 ルネッタは緩みそうになる頬を必死に抑え、エリオットの手を取ると優しく微笑む。
「すみませんルネッタさん。僕……」
 エリオットの不安そうな顔を見て安心させようと頭を撫でると、パッセンジャーは呆れたようにため息をついた。
(やはり私ですね。利用出来るものはどんな物でも利用する)
 ひと目でエリオットはルネッタが心根優しく、自分に危害を加えない人畜無害な人間だと判断したのだろう。そうでなければデレデレしているルネッタに気付かれないよう、こちらに勝ち誇ったような笑みを向けてくるわけがない。
「ルネッタさん」
「はい!」
 エリオットはルネッタの名を呼ぶと、彼女の手に自分の手を重ねた。
「僕はこの時代のことを何も知りません。ルネッタさんが良ければ、元の世界に帰るまで僕に色々教えてくれませんか?」
「わたしで良いの? パッセンジャーさんの方が……」
「ルネッタさんがいいんです。ルネッタさんじゃないと嫌です」
 真っ直ぐに見つめられ、ルネッタは思わず顔を赤らめる。エリオットはそれに口角を上げると、真剣な眼差しで言葉を続けた。
「お願いします」
「わっ、わかった! 教えるよ何でも! 任せて!」
 エリオットの手を握り返すとルネッタは力強く宣言した。嬉しそうに笑うエリオットとは対照的にパッセンジャーは眉間に深いシワを寄せ、こめかみを押さえている。
(あんな風に頼まれたら断れないよね。まぁでも、エリオットくんが幸せそうだからいっか!)
 二人を見比べながら呑気に考えているルネッタ、その裏で葛藤するパッセンジャー、そんな大人の自分に内心ほくそ笑むエリオット。この三人の奇妙な共同生活が始まろうとしていた。


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極夜