知らない顔、知らない感情


(よいしょ、っと)
 パッセンジャーの元へ向かおうとしていたドローンを地面に叩き落とした紫月はそれを忌々しそうに睥睨するとブーツの底で追撃する。ロドスに属するオペレーターは山ほど居ると言うのによりによってパッセンジャーさんを狙うだなんて……。
 長い長い溜息を吐き終え、眼前を見据えた紫月は自分の元に火の玉が迫って来ている事に気が付いた。
「え……?」
 そういえば作戦前にドクターから強力な術師が迫って来ているから、それが到着するまでに敵を一掃しておいて欲しいって言われていたっけ? その瞬間にライアは悟った。わたしはこの場で焼け死ぬのだと。
 そう考えていたライアは目の前に立ち塞がる影に気が付き、反射的に真横へ飛んだ。彼女頬に小さな火の粉が舞い、今しがた立っていた場所には炎弾が炸裂していた。
「俺の後ろへ! 次が来ます!」
「はい!」
 盾で火の粉を振り払っているマッターホルンの言葉に力強く頷いたライアは素早くマッターホルンの背後に隠れる。そして再び迫ってきた火の玉を今度はマッターホルンが展開したシールドバッシュによって防ぐと、そのまま勢いよく腕を振り回し襲い掛かってくる敵を薙ぎ払う。
(凄い……これがマッターホルンさんの力……)
 敵を寄せ付けない圧倒的な力を目の当たりにしたライアはその戦いぶりに見惚れてしまっていた。だがそれも一瞬の事、直ぐに意識を引き締めるとマッターホルンの戦いぶりに見入っている場合ではないと頭を振るう。
「わたしも戦線に復帰します! マッターホルンさんはこの場で────」
 彼方から轟く雷鳴と冷ややかな風がライアの頬を撫ぜた刹那、空より現れた巨大な雷が敵術師を刺し貫いた。大輪の花の様に雷閃が咲き、落雷の余波が周囲を吹き飛ばしていく。
 圧倒的すぎる威力に呆気に取られているとマッターホルンの後ろから歩み寄る男性が一人。
「お二人とも怪我はございませんか?」
「パッセンジャーさん!」
 ライアが安堵と共にその名を口にするとパッセンジャーは微笑み返す。
「もう間もなく医療オペレーターの方が来られるかと思います」
「わたしの肩をお貸しします! さあ、マッターホルンさん!」
「ありがとうございます、ライアさん。ご好意だけ受け取っておきましょう」
 差し出された手を取り立ち上がったマッターホルンは礼を述べると、ライアの体に傷がない事を確認してから歩き出す。
「もう駄目かと思いました。マッターホルンさんが来て下さらなければ死んでましたね、わたし」
 頭を搔きながら火球の熱で歪な形になっている場所にそのまま立ち尽くしていたら……と考え、腕をさすりながらアンバーの瞳をパッセンジャーに向ける。
「先程の雷はパッセンジャーさんですよね。ありがとうございました」
「……いえ」
 いつもに増して口数が少ないパッセンジャーに強い違和感を覚えながら、ライアは気まずげに視線を落とす。
(パッセンジャーさん怒ってる?)
 心当たりがありすぎてどれが原因なのか分からないのだが、少なくとも作戦が開始される直前まで今までと変わりなく、穏やかに接してくれていたのは間違いない。
「あの……パッセンジャーさん」
「はい。如何なさいましたか?」
「今まで見た事もないような顔をされていますが、大丈夫ですか?」
「失礼しました。少々考え事をしていましたもので」
 ライアの言葉にパッセンジャーは苦笑を浮かべると目元に手を当て、軽く揉む仕草をする。
「少しばかり疲れてしまったようです」
 あれほど大規模な事をしたのだ、相当な負担が掛かったに違いない。それなのに彼は文句一つ言わずに自分の身を案じてくれたのかと思うと、申し訳なさでライアは胸の奥がきゅっと締まる思いだった……はずなのだが。
(さっきのパッセンジャーさんの表情、今まで一度も見た事がないものだった! どんな顔をされていてもパッセンジャーさんはお美しいんだなぁ!!)
 目の前の男性に対してのみ、ぶっ飛んだ思考回路をしているライアは内心ではパッセンジャーの顔の良さに頬を赤らめ、感嘆の声を上げまくっていた。
 そんなライアを他所にパッセンジャーは彼女をじっと見つめて黙っているものだから、ライアは何だか居心地が悪くなりそわそわし始めた。
「何か顔についてますか? それともどこか負傷されているとか……」
 ライアがそう尋ねるとパッセンジャーは首を横に振る。
「いえ、そういうわけではありません。ただ貴女が無事に戻られて良かったと思っております」
「そうですね。今回は本当に危なかったです。マッターホルンさんには後ほど、きちんとお礼をしないと。マッターホルンさんは料理を作るのが──」
 ライアの口からマッターホルンの名が零れるとパッセンジャーはぴくりと眉を動かしたが、すぐに普段通りの穏やかな笑顔に戻ると小さく首肯した。


(──私は一体どうしてしまったのでしょう)
 パッセンジャーは自分の胸に手を当てると目を伏せる。瞼の裏に浮かぶのはライアに迫る火の玉と諦観しきった彼女の顔。その時の衝撃を言葉にするならば、心臓を鷲掴みにされたかのような、そんな感覚だった。
(……らしくありませんね)
 ライアはきっと自分が助けに入らなくとも一人で窮地を脱する事ができただろう。だがそれでも、もしも彼女が息絶えてしまっていたら。そう考えるだけで背筋が凍りついた。
「パッセンジャーさん? どうされました?」
「何でもありませんよ」
 心配そうに見上げてくる女性にパッセンジャーは微笑んでみせると、ライアの手を取った。
「行きましょうか」
 触れ合った手から伝わるライアの体温を噛み締めるように握りしめると、彼女は瞬きを数回繰り返した後、パッセンジャーを見上げて嬉しそうな笑みを見せる。
「はい!」
(この方を失うのはロドスにとって痛手……それだけの事です)
 自分に言い聞かせる様に心の中で呟くと、パッセンジャーはライアを連れて戦場を後にした。


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極夜