桜降る夜に


名前変換なし

(桜、散っちゃったな……)
 つい先日やっと蕾が膨らみ始めたと思っていたのに、咲いてから散るまでの速さに桜の儚さを感じながら司書はそっと目を伏せた。青々とした芝生を彩るように咲くピンクの花びらが、まるで今にも風に攫われてしまいそうで胸が痛くなる。
 今年はいつになく忙しなく、図書館内で毎年盛大に行われている大花見大会へも顔を出せずに終わってしまった。そこへ参加していた恋人──織田作之助から「見てやおっしょはん! 豪華景品やで!」と言って桜モチーフのペンダントをプレゼントされたのは記憶に新しい。
「来年はもっと予定をきっちり詰めて作之助さんと──」
「なんやおっしょはん?」
 突然背後から聞こえてきた声に、ビクッと肩を震わせる。振り向くとそこには真っ白なセーターに黒のシンプルパンツに身を包んだ織田が立っていた。
「い、いえっ……!」
「そないびっくりせんでもええんとちゃう」
 苦笑しながら近付いてきた彼はふわりと彼女の髪を一房手に取った。
「髪に花びらついてんで」
 そのまま優しく手に取り口付ける彼にドキリとする。
「っ……ありがとう、ございます……」
「何照れてんねん、かわええなぁ」
 揶揄うように笑う彼の言葉には答えず、司書は話題を変えるべく話を振ることにした。
「どうされたんですか?」
「あぁ、ちょっと聞きたい事があってな。今日の夜、ちょっとでええから付き合ってくれへん?」
「いいですよ。お仕事の話ですか?」
「さあ? どないでっしゃろ」
 含みのある言い方をする織田に首を傾げつつ少女は了承する。すると彼は至極嬉しそうな顔で「ほな仕事終わったら部屋に迎えに行くわ〜」と言い残して去って行った。
(作之助さんどうしたのかな?)
 不思議に思いつつも彼女は止めていた足を再び動かし始める。約束の時間までに全ての業務を終わらせなければ。

***

 あっという間に日は暮れ、いつもより少しだけ早めに終わった仕事の後片付けているとコンコンとノック音が響く。扉を開けた先に居たのは予想通り浪花の美男子だった。
「おっしょはんお疲れ様さん!いやー今日もエラかったなぁ」
「ふふ。確かに今日もえらかったですね。作之助さんもお疲れ様です」
 織田を真似てそう返すと彼は一瞬目を見開いた後、嬉しそうに微笑む。
「ほんなら行こか。ワシに付いてって」
「はい、分かりました」
 連れ立って歩き出す二人の間に会話はない。普段賑やかな彼が無言になる時は何か考え事をしている時だと知っている司書は特に気にする事もなく黙々と歩く。やがて辿り着いた場所は街外れにある小高い丘であった。
「ここが目的地ですか?」
「もう少し待ってや〜」
 言われるままに待っていると辺り一面に咲き誇る満開の桜の木が現れる。思わず感嘆の声を上げた彼女に織田は満足そうに笑って見せた。
「綺麗……まだこんなに咲いてる場所があるなんて……」
「前に散歩してたら偶然見つけてな。おっしょはんと一緒に見に来よ思うてたんよ」
「ありがとうございます作之助さん。とっても嬉しいです!!」
 桜吹雪の中で笑顔を見せる彼女を見て、織田は眩しいものを見るかのように目を細める。そしておもむろに背負っていたリュックサックを下ろしたかと思うと中からレジャーシートを取り出した。
「それなりの距離歩いて疲れたやろ? はよ座り」
「お言葉に甘えさせていただいて……」
 促されるままそこに腰掛けると、織田が持参していた水筒を手渡してくる。ふぅふぅ、と息を吹きかけて一口飲むと身体が芯まで温まるような心地がして、美味しさにほうっと息をつくと隣に座った織田が優しい眼差しでこちらを見つめていた。
「仕事終わって直ぐにここ来たから夜まだやろ? 大したもんやあらへんけど──」
 再びリュックサックに腕を突っ込んだ彼はそこから小さなバスケットを取り出す。その中には色とりどりのサンドイッチが入っていた。
「花見弁当言うてもええんとちゃうか?」
「わあ……! 作之助さん素敵です!」
 感激する彼女の反応が嬉しかったのか、織田が上機嫌に笑みを深める。その表情を見ただけで少女の心がポカポカと暖かくなって自然と笑みがこぼれた。
「さ、たーんとお食べ下さい」
「いただきます!」
 どれを食べようか迷っていると、ふと織田がじっと自分を見ている事に気付く。
「どうかしました?」
「いやな……」
 珍しく言い淀む彼に首を傾げると、彼は意を決したように口を開いた。
「この花見ん事やねんけど、実はもうひとつあんねや」
「もうひとつ、ですか?」
「……おっしょはんに渡したいもんがあるねん」
 そう言って彼はポケットに手をやり、ゴソゴソと何かを探る。やがて取り出されたのは──。
「桜の栞ですか?」
「図書館の玄関先に大きな枝が落っとるん見つけてな。折角綺麗に咲いとったのに可哀想や思うて、どうにかならんかなあと考えた結果なんやけど」
 懐からもう一枚桜の栞を見せる。どちらも押し花にした花弁が挟まれており、淡いピンク色が可愛らしい。
「ワシが作ったんよ。ちょっと不格好やねんけど」
「そんなことないです! とても素敵な栞ですよ」
「……そっか。おおきに、おっしょはん」
 ほっとしたように笑う織田に司書もつられて微笑む。彼は少し照れ臭そうに頭を掻いた後、真っ直ぐ少女の目を見て口を開く。
「これ貰ってくれるか?」
「はい! 勿論です!」
 嬉しそうな声と共に差し出される小さな手の上に織田は桜の栞を乗せる。大事そうに握りしめる司書の姿に織田は満足そうに目を細めた。
「これでいつでも一緒やな」
「作之助さんありがとうございます。大切に使わせてもらいますね」
 月明かりに照らされながら笑い合う二人の間を、春風が優しく吹き抜けていった。


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極夜