ぢくぢく痛む理由は


「ドクター」
「ん? どうしたパッセンジャー。浮かない顔をして」
 いつになく暗い顔をしているパッセンジャーにドクターと呼ばれた男は記憶を探る。最近あった事といえば定期的な検査くらいであり、医療オペレーターから決して楽観視が出来ない現状であるとものの、直近の検査結果は良好だったと報告を受けているし、きっとそれは無関係に違いない。
「大変恐縮なのですが、相談に乗っていただけませんでしょうか」
(パッセンジャーが俺に相談なんて珍しい)
 彼は少しばかり驚くも、すぐに首を縦に振ってみせた。
「勿論だ。遠慮なく頼ってほしい」
「感謝致します、ドクター。……嫌い、と言われてしまいました」
 予想の斜め上の答えが返ってきたことで一瞬固まってしまうも、直ぐに気を取り直して話を聞くことを再開する。パッセンジャーは礼儀正しく、口元にはいつも微笑を湛えているが、他者に対する関心が極めて薄くそんな彼と積極的にコミュニケーションを試みているは、このロドスに於いてたった一人しか居なかった。
「ルネッタさんからです」
「はあ?」
 そんな間抜けな返事が出そうになり咄嵯に喉奥に押し込めた自分を心底褒め称えたくなるほどの衝撃であった。何よりドクター自身、彼の言う人物が日頃、どれだけパッセンジャーに対して盲目的なほどの好意を抱いているかをよく理解していた。その彼女がパッセンジャーに辛辣な言葉を吐くはずがないと思いながらも、念のためとドクターは彼の口から語られる言葉の続きを待った。
「先日、私の検査が行われた事はご存知かと思います。その後ルネッタさんとお会いしたのですが……」
 当時の光景を思い出すかのように目を閉じながら続ける彼へ相槌を打ちながら、ドクターはパッセンジャーがこんなにも他人に興味を示したことが過去に一度でもあったかどうかを考えていたが一向に思い出せなかった。
 だが、その考えは次の一言で霧散してしまう事となる。
「私はルネッタさんを酷く傷つけ、結果的に泣かせてしまいました」
 彼女……ルネッタはパッセンジャーを誰よりも愛しており、見ていれば誰でも解るほどだったが当のパッセンジャーは彼女に対して無頓着といった様子であった。
「あー……。なんと言えば良いのかわからないけど、とりあえず詳しく話を聞かせてくれないか?」
 その言葉に小さく首肯したパッセンジャーは話を始めた。

***

 いつもと何も変わらない検査を終えたパッセンジャーは担当してくれた医療オペレーターに頭を下げると部屋を出て自室に向かって、広々とした廊下を歩いていた。
「検査お疲れ様でした」
 何処からともなく現れたルネッタが声をかけてきた事に特に驚きもせず、労いの言葉に感謝の意を伝える。
「……この検査には本当に意味があるのでしょうか」
「え?」
 思わず聞き返してしまった事を恥じつつ、ルネッタはパッセンジャーの問いに答えるべく思考する。パッセンジャーの冷たい色彩をした瞳が自分に向けられてる事を感じると彼女は肩を大きく跳ねさせたがすぐに落ち着きを取り戻し、ゆっくりと言葉を選んで話し始めた。
「今はまだ治療法が確立されていませんが、これまでの積み重ねが必ず実を結ぶ時が……」
「額に源石結晶が生じている状態で生きていけると本気で考えておられますか?……それとも、私が知らないだけで何か治療法が?」
 ルネッタが言葉を探しているうちに言い放たれた嘲笑うかのような言葉は、じわじわと彼女の心に侵食していき、気付けば頬には一筋の涙が流れていた。隣に居る長身の男が生きることを諦めているのは日頃の言動、雰囲気などからも伝わって来ていた。己の人生全てを費やし、復讐を遂げたパッセンジャーは生きる目的を失い、ただ死へと近づいているだけだ。
 それでも尚ルネッタは希望を捨てず、彼の為に必死に治療法を見出そうとしていた。しかし、パッセンジャーの悲しみや絶望など一切無く純粋なまでの無関心を携えた表情を見て、その考えは本当に正しいとルネッタは強い疑問を抱いてしまった。
「これ以上私に構わないでください」
 パッセンジャーはそれだけ告げて、その場から離れようとする。慌てて引き留めようとして伸ばした手は虚しく空を切り、ルネッタは反対側の手を強く握りしめるとの男の背中に向かって言葉を投げた。
「……嫌い、です」
 その声が届いたらしく、足を止め振り返ったパッセンジャーは少し驚いたような顔をしていたがすぐに普段通りの顔に戻ると、再び歩みを進めようとした。だが、ルネッタはもう一度口を開くと今度ははっきりと告げた。
「そうやって言い訳を連ねて、全てを諦めて生きる事を放棄し、逃げている卑怯者のパッセンジャーさんが大嫌いです!」
 パッセンジャーは立ち止まると、ルネッタをじっと見つめていたが、やがて視線を外し、そのまま去って行ってしまった。残されたルネッタは呆然としたまま暫く動けずに居たが、ふらりと立ち上がると力なく歩き出した。

***

「……それで?君はどうしたいんだ?」
 ドクターはパッセンジャーに尋ねる。彼が無言のまま俯くと不意にドクターが口を開いた。
「ルネッタから『嫌い』と言われてパッセンジャーはどんな気持ちになった?」
(何故ドクターそのような問いかけをなさるのでしょうか)
 ドクターの意図が読めず首を傾げるも質問に対する答えを考えることにした。ドクターの言うように、パッセンジャー自身はルネッタに嫌われることをさほど気にしていなかった……はずだった。だが実際にあの瞬間、確かにショックを受け、同時に悲しみを感じた。その理由は未だに分からない。
「私は……彼女に嫌われた事を心底悲しんでいます」
 小さな声で呟くとドクターは何を当たり前のことをという顔でパッセンジャーを見ていた。
「そうだな、パッセンジャーは悲しいと思っているよな。……じゃあ次はその感情の原因について考えてみようか。ルネッタがパッセンジャーに対して抱いていた感情は嫌悪ではなく、恐怖だと思う。では、何に恐れを抱いたのか……解るか?」
 パッセンジャーにはその問いかけの意味が全く理解出来なかったが、自分が感じたままに言葉にしてみる事にした。
「私の行動……つまりルネッタさんを傷つけた言葉、でしょうか」
 それを聞いたドクターは「違うね」と一言言って話を続ける。
「ルネッタが君を恐れる理由なんてないはずだ。パッセンジャーは鉱石病である以前に一人の人間だろ? なら君自身が持つ負の感情に原因があるはずだ」
 ドクターの言いたいことは分かるのだがやはり意味が分からない。しかし彼はパッセンジャーを諭すように話し出す。まるで迷い子を導く教師のように。
「彼女が言ったのは『逃げる人』、『生きる事を簡単に放棄した卑怯な人間』、『諦めてばかりの弱い自分を変えようとしない男』だった。その言葉を聞いて何か感じるところがあったんじゃないか?」
 パッセンジャーはその言葉に黙って耳を傾ける。話す内容に少しずつ納得している自分に気付き、そして気付いたときには胸の中に温かいものが溢れていた。
「本当にどうでもいい相手から『嫌い』と言われたところで何も思わないし、響かない。だけどルネッタから言われた言葉に傷つき、悲しみ、戸惑いを覚えた。それは君がルネッタの事を大切な存在だと認識している証なんだ」
 そこまで話したところでパッセンジャーの表情の変化に気付いたドクターは満足げに微笑むと、更に続ける。
「そしてルネッタの恐怖の理由はきっとパッセンジャーが自分の事に無頓着だからだろう。パッセンジャーは自分の命が脅かされても、なんとも思ってないだろう? ルネッタはそんなパッセンジャーの事が心配で堪らないんだ」
 言葉の数々がパッセンジャーの心に染み込んで行く。それはとても心地よく、今までずっと抱えていたモヤのようなものが晴れていくような感覚だった。
 パッセンジャーはライアの優しい笑みや声を思い出し、ふ、と笑った。
「本当の願いは何だ?」
 ドクターの問いにパッセンジャーははっきりと答える。
「──生きていきたい。彼女と共に」
「それは彼女の望みでもあると思うぞ。ルネッタはパッセンジャーが生きていてくれさえすればいいんだからな」
 背中を向けたドクターはそう残し、部屋を出て行った。残されたパッセンジャーは今一度自分を見つめ直すために目を閉じた。

***

(どうして嫌いなんてパッセンジャーさんに言っちゃったんだろ……)
 自室のベッドの上で膝を抱えながら、ルネッタはぼんやりと先日のやり取りを思い出し、後悔していた。
 深く慕っているからこそあの場であんな言葉を吐き、彼に酷い言葉をぶつけてしまったところがあると頭の片隅では分かっていながら、そうそう簡単に整理できるはずも無く、すっかり自己嫌悪に陥ったルネッタは溜息をつく。
 いつまでもうじうじしていられないし、もしかするとこの先一生、彼とまともに顔を合わせられないのではないかという強い不安もそろそろ感じ始めていた。まずは謝らろうと思い立ち、立ち上がったのと同じタイミングで部屋の扉からノック音が響いた。
「ルネッタさん、居られますか」
「あ、え?! ……少しだけ待っていてください!」
 突然の来訪に慌てふためくルネッタだったがすぐに身なりを整えると急いで扉を開ける。そこにはいつも通りの表情をしたパッセンジャーの姿があり、ルネッタはそのことに少しだけ安心する。だが、それと同時に数日前の一件についてどのように切り出せばよいかと冷や汗を垂らしだした。
「あ……あの……っ」
「ルネッタさん」
 ルネッタの言葉を遮るようにパッセンジャーが名を呼ぶ。その瞳からは依然として感情は読み取れない。
「先日は申し訳ありませんでした。貴女の気持ちよりも自分の考えを優先してしまい、結果的にルネッタさんを傷つけてしまいました」
「わたしこそ、すみませんでした」
 ルネッタが素直に謝罪するとパッセンジャーは首を横に振ってそれを否定する。
「ルネッタさんは何も悪くありませんよ」
「いいえ、そんな事はありません! 如何な事情があれパッセンジャーさんに大嫌いと言った事に変わりありません!」
 いつもにも増して真剣な表情をしているルネッタにパッセンジャーは目を丸くしたが、やがて微笑むとその頭を優しく撫でた。
「貴女のそんな真面目な性格が大変好ましく思っております」
 パッセンジャーの言葉にルネッタの顔が真っ赤に染まる。その様子にパッセンジャーは苦笑いしながら続ける。
「私もルネッタさんに酷い言葉を浴びせてしまいましたのでおあいこです。それでこの件については終わりに致しましょう」
「ですが……」
 尚も食い下がろうとするルネッタに対しパッセンジャーは穏やかな口調で話す。それはまるで子供に聞かせるような優しい響きを伴っている。
「ルネッタさん、私の願いを聞き届けては頂けませんでしょうか」
 戸惑いながらもルネッタは小さく首を縦に振り、それを確認してからパッセンジャーはゆっくりと口を開いた。
「私はルネッタさんが生きていて下さる事が何より幸せだと感じております。ルネッタさんにはいつも笑っていて欲しいのです」
 それは今までルネッタが聞いたことがないほど甘く蕩けるような声であった。そして彼はそっとルネッタの手を握りしめ、手の甲にキスを落とす。一連の動作に更に顔を赤く染めるルネッタにパッセンジャーは愛おしそうに笑うとこう告げた。
「貴女の笑顔を私に守らせて下さい」
 その言葉を聞くや否や、ルネッタは頭を撫でていたパッセンジャーの手に自身の顔を擦り付けた。視界の端で動く耳と尻尾から嬉しさの感情が溢れている。そんな彼女の仕草に微笑みつつ、パッセンジャーはルネッタを抱き締めると耳元で囁くように言った。それは二人きりの部屋でなければ聞き逃してしまいそうな、小さなものだった。
「……どうか、もうあのような事は言わないでください」
 静かに握りしめていた手を解放したパッセンジャーが改めて彼女に目をやると、先程以上に顔を紅潮させたルネッタが映った。パクパクと口を開閉させ、何かを必死に伝えようとしているが上手く言葉にならないようで声になっていない。しかしパッセンジャーはそれを正確に理解しており、優しく笑った。
「これからもよろしくお願い致しますね、ルネッタさん」
 ルネッタはとうとう何も言い返すことが出来ず、「ひゃ、ひゃいっ!!」と噛み噛みな返事をして勢いよく部屋から飛び出すのだった。


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極夜