本心9割からかい1割


「思っていたより落ち着いていて、驚いたな」
 今日も今日とて新人オペレーターに案内をし終え、ドクターの元に報告に来ていたライアの背中に彼はそう告げた。
 月色の瞳を瞬かせながらドクターを見つめる彼女の顔から、何がどういう事なのか把握しきれていないという困惑がありありと浮かんでいる。
「何の事でしょうか、ドクター」
 熱いのでお気を付けて。と付け足して湯気の立ち上るカップを手渡したライアは首を傾げた。白銀の髪がさらりと揺れ、香水とは違う仄かな甘い香りがふわりと漂う。
「今日は誕生日だろう?パッセンジャーの」
 直後、パリンという音が室内に響き渡った。床には粉々になったカップの破片と、それに手を伸ばそうとしていたのか中途半端な姿勢のまま固まっているライアの姿がある。
「申し訳ありません! すぐに片付けます!」
 我に返って慌てて破片に手を伸ばしたライアのほっそりとした白い指先に赤い線が走り、ぷくりと血が膨らみ始める。
「いたっ……」
 思わず顔を歪めた彼女は小さな声を上げ、ぱっと手を引いた。破片の中に紛れていた鋭利なものでも引っ掛けてしまったらしい。
「傷は浅いみたいだな。良かった」
 どこからとも無く絆創膏を取り出したドクターは手際よくその指先へと巻き付けた。
「今の反応から察するにパッセンジャーから誕生日の事を聞いてなかったんだろう?」
 ライアは黙ってこくりと頷き、俯く。
「ライア相手なら間違いなく事前に伝えてると思ってたんだけどなぁ……」
 顎に手を当てぶつぶつ呟いているドクターの声を聞きながら、ライアは胸の奥がちりちりと痛むのを感じていた。
(パッセンジャーさんとってわたしって何なのかな……)
 ちりちりと痛み始めた胸をぎゅうっと押さえ、ライアは唇を引き結んだ。
「……が俺の考えなんだけど……ライア?」
「へ? ……はい!わたしもそれで間違いないと思います!!」
 考え事をしているうちにいつの間にやら思考の海へと沈んでいたらしく、目の前に立つドクターの言葉にハッとして顔を上げた。
「大丈夫か?」
「はい。平気です」
 心配そうな表情を浮かべる彼に笑顔を作って答えれば、それならばいいのだが、と言いつつもまだどこか納得していない様子である。
「そんなにパッセンジャーから誕生日を教えてもらってなかったのが気になるのか?」
 図星だった。ぐぅの音も出ず押し黙っているライアを見て何を思ったのか、ドクターは再び口を開く。
「ライアはさ、パッセンジャーの事が嫌いか?」
「そんなことありません! 寧ろ好きすぎて毎日困ってる位です!!」
 間髪入れずに否定すれば、「そっか、なら良いんだ」と言って微笑まれた。
 何故こんな質問をするのだろうかと不思議に思っていると、再びドクターが言葉を続ける。
「パッセンジャーもきっとライアと同じ気持ちだと思うよ。ただ、だからこそみたいな所があるのかもしれない」
 いつの間にかライアが割ってしまったカップの代わりに新しいものを用意してくれていたようで、それをテーブルの上に置くと今度は自分の分のコーヒーを入れ始めていた。
 意図が全く読めないまま、取り敢えず勧められるがままに椅子に座って待っていると、程なくしてマグカップを手にしたドクターが向かい側の席に腰掛ける。
「ライアが思っている以上にパッセンジャーはライアを大切に想っているように見えるよ。俺の目にはさ」
 突然の事に驚き、目を丸くしたライアに対してドクターは苦笑すると、カップを口に運んだ。
「前にライアが俺の影武者をして攫われた時があっただろう? あの時、パッセンジャーは誰の手も借りず相手の所在地を割り出して一人で乗り込んだんだ。普段の様子からは想像できないくらい怖い顔をしてね」
 初耳であった。確かに思い返してみるとあの時の彼は少し様子がおかしかったように思う。ライアと目が合った瞬間にいつも通りの穏やかな彼に戻ったけれど。
「あとはほら、少し前の──」
「ドクター」
 低く、耳触りの良い声が背後から聞こえたかと思うと、次の瞬間に肩に大きな手が置かれた。振り向くと、そこには予想通りの人物の姿がある。
「パッセンジャーさん!?」
「何度もノックをしたのですが、反応がなかったものですので……ライアさんをお借りしても?」
 どうぞご自由に、と答えると彼はライアの腕を引いて立たせると、そのまま部屋を出て行ってしまう。
 去り際に見えたドクターの顔は何処か楽しげであり、ライアとパッセンジャーの関係が良い方向へと転んでいるのを感じ取ったのであろう。
「ああああ、あの! パッセンジャーさん!」
「はい」
「お誕生日おめでとうございます。知ったのが今日だったので、お祝いの品を用意出来てなくて……ごめんなさい」
「謝らないでください。こうしてライアさんの元気なお姿が見れただけで充分ですよ」
 ふわりと微笑み、頭を撫でてくれるパッセンジャー。その優しい手つきに自然と頬が緩んでいく。
「それに、私にとって一番大切なものはライアさんですから」
「えっ……」
「貴女さえ側に居て下さるのであれは、他にはもう何も要りません」
 さらりと告げられた言葉にライアはぽかんと口を開けたまま固まった……と思うと途端に耳まで真っ赤に染まっていく。
「わたしの反応見たさに言ってませんか……!?」
「いいえ。紛うことなき私の本心ですが」
「う、うう〜〜〜!!」
 からかい混じりのパッセンジャーの言葉にライアは両手で顔を覆う。
「これからもずっと一緒に居て下さいね、ライアさん」
「はい。……ずっと、ずっとお傍に居ます」
 指の間からちらりとパッセンジャーの様子を伺えば、とても嬉しそうな表情をしている。それを見たライアは胸の奥がきゅんとなるのを感じた。
「……ところで、先程のドクターとの会話は何のお話をされていたのですか?」
「へぁ!?」
 唐突な問い掛けに思わず変な声が出る。一体いつから聞かれていたのだろうか。まさか全て筒抜けだったのでは。
「あ、あれはその……」
「そこを曲がれば私の自室です。そちらで話を伺いましょうか」
(あれ、もしかして最初から部屋に誘導されていた……?)
 そんな疑問が浮かぶものの、パッセンジャーの有無を言わさぬ笑顔を前にライアは何も言えなかった。


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極夜