初めてのぷろぽーず


「紫月のことが愛おしくて堪らんのや」
汗ばんでしまう程に恵まれた陽気にとろとろと落ちてくる瞼と格闘しながら仕事をこなす紫月の元に現れた色の白い青年。もとい織田作之助からもたらされた言葉に一瞬にして紫月は夢と現の狭間をさ迷っていた意識を覚醒させた。
瞳をこれでもかと見開いてやや間抜けた顔をしたまま彼に視線を移す。彩度の高い作之助の瞳は紅玉のように美しく、紫月の心を捉えて離そうとしない。

「何かの罰ゲームですか?」
「おふざけや冗談でこないな事を口走る男やと思う?」
白い歯を覗かせ屈託なく笑う作之助があまりにも眩しすぎてつい俯いてしまった紫月の鼓膜を青年の声が揺らす。
日頃のからかうような朗らかな空気はなりを潜め、真剣味を帯びた固く低い声が彼女の身体を揺さぶった。

「顔真っ赤やで〜紫月はほんま可愛いなぁ」
「やっぱりからかってたんですね……そんな織田さんとは暫く口を利きません!」
「やってもうた。こらアカン流れや」
紅玉から顔を逸らし止めていた手を再び動かし始めた紫月の背中を見つめながら髪を乱暴に掻き乱した作之助は、肺に目一杯酸素を取り込みそれを一思いに吐き出すと後ろから紫月の体を腕の中に閉じ込めた。

「い、いい加減にして下さい!流石の私でも怒りま……」
「この世界の誰よりも紫月の事を愛しとる」
肩口に顔を埋めている作之助がどんな顔をして言葉を発し、どういう理由でプロポーズ紛いな言葉を投げてくるのか?
その理由を全く想像出来ないほどに紫月の思考は茹だっている。
今日まで異性とここまで接近する事もなければ、愛の言葉を囁かれたこともない紫月の脳はとうに許容範囲を飛び越えていた。

「好きや、紫月」
身体に纒わり付いている彼の手を掴み、恐る恐る作之助と向かい合う。
背後は本棚、左右には逃げ道を塞ぐように置かれた腕、そして目の前に迫る整った青年の顔。
無意識のうちに携えていた本を胸元で抱き、極力作之助を視界に入れまいと瞳を宙にさ迷わせながら紫月は口を開いた。

「ちゃんと聞こえているので何度も仰っていただくとも大丈夫で、す」
「それで?まだ紫月から返事もろてへんのやけど」
他人に流されやすい性格の紫月だがこういう事に関しては可能な限り明確に、はっきりさせておきたい性分でもある。
恋慕を抱いていない相手からの告白に首を振って快諾することは絶対にしないし、思わせぶりな態度を取って誤解を招かないよう紫月なりに心掛けている。

話を要約すると作之助に対し一縷の好意も抱いていなければここまで戸惑うこともなく、沸騰寸前まで脳を働かせ悩むことも無かった。
無意識のうちに紫月も作之助に対して同様の、異性としての好意を抱いていたのだ。

「織田さんのことは嫌いじゃありません」
「それはつまりどういう事なんかな〜?」
「で、ですからっ!……私も好きです。織田さんのこと」
「よう言えました」
自分の身体に陰りが差す。
ファーストキスを奪い去られてしまったと脳が答えを弾き出すまでたっぷり5秒。
顔だけに留まらず耳まで赤らませてパクパクと口を開閉させる姿はさしずめ金魚のよう。

「恋人になったんやしその堅苦しい呼び方は変えんとな」
「……作之助、さん。今はまだ気恥ずかしいですけど、これからちょっとずつ慣れていきますね」
赤みの引いていない顔で見上げられ、はにかむ紫月に作之助の第六感が警鐘を鳴らした。
これ以上彼女と密着し続けると薄く引き伸ばされた理性が裂け、紫月から全てを奪い去ってしまうぞと。
先までの紫月の反応を見るに今まで恋人が居た可能性は限りなく0に近そうだし、初めてならば尚更優しくしてやりたいというのが作之助の本心でもある。

「時間はたっぷりあるしゆっくり慣れていこな」
「はい!こちらこそよろしくお願いします、作之助さん」
不意打ちで名前を呼ばれた作之助の脳がやっぱり今押し倒すか…?と邪な思考に埋め尽くされているのを知らない紫月の白い手が作之助の首に回る。

「何やって━━っ!?」
「さっきのお返しです!」
再び重なった紫月の唇が驚くほど柔らかく瑞々しいのを再認識した作之助は両手で顔を覆うとその場に蹲った。

「(ワシの理性耐えてや。今はまだそん時とちゃう……)」
作之助を気遣う紫月の声に手を振って大丈夫とアピールをする作之助の顔も紫月に負けず劣らず朱色に染まっていた。


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極夜