禁煙0日目


長年の手癖で懐に手を忍ばせた芥川は首をひねった。直ぐ手繰り寄せられる位置にあるはずの細長い箱が、そこにないのだ。
嗚呼そう言えばと懐から手を引き抜いたところで亜麻色の髪が視界の端に揺らめいた。

「あーっ!昨晩に私と交わした約束をもう破るつもりですか?タバコは没収です!」
慌ただしく芥川に詰め寄った紫月は先まで彼が手を差し込んでいた場所──即ち胸板あたりをぺたぺたと触ったと思えば途端に顔を顰めてしまう。

「いつ江戸川さんから物を転移させるトリックを教わったんですか?さっき確かに……」
「残念だけど僕は煙草なんて持っちゃいないし約束も破っていないよ。……紫月さんって意外に大胆なんだね」
瞬きを数回した後、紫月はとてつもない早さで芥川から距離を置くとぱくぱくと口の開閉を繰り返す。

「す、すみません!!私ってば早とちりしちゃって」
即座に両の手で顔を覆って俯いた紫月は小さく呻いて頭を振っている。
指の隙間から覗く紫月の顔は茹だったタコのようになっていた。

「顔、真っ赤だね。可愛い」
「わざわざ言う必要ありました!?芥川さんって本当に天然ですよね」
仕切り直しと言わんばかりに咳払いを零した紫月の顔からはおおよその赤みが引いていた。

「ところで僕に何か用があったんじゃないのかい?」
「そうでした!これを芥川さんにと思いまして!!」
ちょいちょいと手招かれ目線を紫月に合わせた芥川の薄い唇に固い何かが触れる。
捩じ込まれたそれを舌で舐めると薄荷の爽やかさと仄かな甘みが口の中に広がった。

「芥川さんの体を心配して一時的な禁煙勧告をしたのは私ですがヘビースモーカーの方がタバコを吸わなくなるとイライラが募ったり甘いものが恋しくなると本で読んだので……ココアシガレットっていうタバコを模したお菓子なんです」
「うん、美味しいね。確かに煙草とよく似た面白い形状をしている」
「お店で見てからこれは芥川さんの為にある駄菓子だと思って沢山買い込んできました!なので遠慮なく食べてくださいね」
そう言って彼女が取り出した駄菓子の外装は本物のそれと酷く類似していた。
成程これなら気持ちだけでも紛れるかもしれない。なんて考えながらぱきぱきと食べ進めていく。

「紫月さんは『ここあしがれっと』は食べたの?」
「いいえ。これは全て芥川さん用に買ってきたものですし、今までこんなお菓子があるってことも知らな……」
突如重ねられた芥川の唇からは薄荷特有の清涼感とほんのりとした甘さがした。
ぼんやりとしている間に唇は離され、紫月の桃色の唇にココアシガレットが突っ込まれる。

「君の口に合うかな?」
「……薄荷特有のスースー感がちょっと苦手かもしれないです」
そっか、と漏らしながら芥川は2本目のココアシガレットを口に放り込んだ。

**
「紫月が芥川先生と煙草を吸ってる!紫月をそんな子に育てた覚えもないし、先生と一緒に煙草を吹かせられるなんて羨ましい……!!」
「ひとりで盛り上がっとるとこ悪いけどあれ菓子やから。それにおっしょはんは太宰クンに育てられたワケでも……って聞いとらへんし」
廊下の隅で楽しげに談笑している紫月と芥川を見つめ歯ぎしりをしている太宰の頭は今、それらでいっぱいのようで織田の冷静な指摘とおおきな溜息が彼の耳に届くことは無かった。


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極夜