今日は傘を持って家を出た。




涙雨




高杉さんについて行くことは考えていなかった。
あまりに非現実的で自分とは結びつかなかったからだ。

「さて、行くか…」
それでも一言高杉さんにお礼とサヨナラを言いに行こうと思い、時間を潰していた喫茶店を出た。
家に居ては銀さんが訪ねて来るんじゃないかと思ったからだ。
私の勝手だけど今はどうしても会いたくなかった。

ぱらぱらと小雨が降る。
この季節の雨はとても冷たい。
傘を広げ足早に昨日言われた場所へと向かった。
高杉さんの存在は少しの間だったけれど、私にとっては間違いなく救いであったのだから。

銀さんとのことは何も解決していない。だからと言って逃げようとも思わない。
自分の汚い感情を曝け出して嫌われたらそれで仕方ないと思っている。
高杉さんのように、出会いがあれば別れもあるのだから。
私の気持ちはこの短時間でずいぶんと落ち着きを取り戻していた。それは自分でも驚く程だった。

多分、銀さんは月詠さんとは何もないと言うだろう。
それはそれで分かってる。
けれど私の中でそれでは終わらない何かがつかえているのだ。
この鉛がある限り、私は銀さんとちゃんと向き合えない気がした。

約束の港まで三十分程歩いた。
色々考えていたら寒さで手の感覚は無くなり真っ赤になっていたことさえ気付かずに歩いていた。
雨がチラつく寒い夜にネオンがキラキラと光る。
それを遠目で見ては、あのかぶき町の光のどこかに銀さんが居るんだなぁと考えてしまう。

着いた港には倉庫が沢山並びコンテナも沢山積まれていた。
そこは賑やかなかぶき町とは違い、とても静まっている。
静かな空間に遠くでバイクの音が聞こえた。
最近聞いたはずなのに、何故だか懐かしく聞こえるその音。銀さんの原付きの音を思い出す。
よく後ろに乗らせて貰ったな、とかあの私専用ヘルメットは今度は誰が使うのだろうか、とか余計なことばかりが頭を占領する。
もう考えないでおこうと思っても、銀さんのことばかりを考えてしまう。
ダメだと分かっていても、私の脳も心も銀さんでいっぱいなのだ。


しばらくすると先程聞いたバイクの音が徐々に大きくなるのに気が付いた。
こちらに近付いてくる。
もしかして、が確信に変わる。
銀さんのバイクだ。どうしてここに?
港のコンテナに隠れて見つからないようにと頭では分かっていても脚が動かなかった。
私はパニックになりその場で立ち尽くしてしまっていた。

「名前!!」
どうしてこんなところに銀さんが居るのかが分からない。
こんなにタイミングよく現れるなんてあり得ないのに。
原付きを投げ捨てるように降りた銀さんは服はもちろんびしょ濡れでヘルメットも同じように投げ捨ててはこちらへ近付いて来た。

「お前、どこ行くんだよ」
「なんでここが…?」
どうしてここに居るのが分かったのだろうか。
「家にもいねーし、朝から探しまくってたんだよ!」
本当に勘がいいなぁ、とまるで他人事のように感心してしまう。
「で、どこ行くつもりなんだよ?」
これから高杉さんに会いに行くなんて口が裂けても言えない。
例えそれが単にお礼を伝えに行くだけだとしても。
後ろめたさから目も合わせられなかった。

「お前、あれから高杉と会ってんのか…?」
「っ…」
きっと総悟から聞いたんだろう。それなら話は早い。
「ごめんね、銀さん…」
「いや、んなことどうでもいいんだよ…」
何と無く話が噛み合わない。
目の前の銀さんは何故か心ここにあらずと言った様子だった。月詠さんのことでも考えているのだろうか。
はたまた違う女の人なのかもしれない。
また私の中のドロドロとしたものが溢れ出て、もう自分ではどうしようもなくなっていた。

「銀さんとはもう、ダメだよ…」
「は?お前急に何言って……」
「きっとこの先…絶対うまくいかないよ…」
「どうしたんだよ……あれだぞ、吉原のことは誤解だぞ?あれは月詠に店の屋根の修理を頼まれてだな、雨降るようになってから雨漏りするって」
「もういいの、それは…もういいの…」
正直半分はホッとした。
本当かどうかは別として、言い訳をしてくれた銀さんにホッとした。

けれど核心の部分はそこではなかった。割り切れないものがそこにはあった。
これから先、またこんなことがあったなら私はその度にこのドロドロした物が溢れ出るのだろうか。
醜い自分に吐き気を覚えるのだろうか。

「私がダメなの…」
「まさか、お前…高杉についてくのか?」
「違うよ…」
「あいつに、惚れたのか…?」
「……」
「冗談だろ?なあ?」
高杉さんを好きな訳じゃない。でも、一度ついて行ったらどうなるのだろうと想像はした。
高杉さんの隣に居て、高杉さんとの子供を産んで、高杉さんと夫婦になる。
そんな想像をしてしまったのは事実だ。

「おい!」
黙っていると銀さんに肩を強く掴まれたと同時に私の持っていた傘が地面に落ちた。
小さな雨粒が次々と私の着物に染みていく。
「いっ…痛い、よ…」
涙が出る。
泣く程にこの人が好きだ。坂田銀時が好きだ。
なのにダメだと思うのは何故だろう。
きっと私は真っ直ぐな恋愛をするには歳を取りすぎたのかもしれない。

もし私が十代や二十代始めなら、きっと真っ直ぐに銀さんを好きだった。
ヤキモチを焼いて怒って仲直りして。周りが見えない位に銀さんを沢山愛しただろう。
けれど今の私は経験が邪魔をする。知識が邪魔をする。
悪いことばかり考えてしまう。

「なあ、本気かよ…?」
「高杉さんとは何も、無い…」
「それじゃあ…」
「隠してた、ウソを付いてた…」
「それはマジで悪かったよ、言ったところでお前にいい思いさせないと思ったし面倒だったってのもある、黙ってて悪かった」
「……」
「お前のもそれと同じ感じだろ?ややこしくしたくなかったから黙ってたんだろ?だったらいいじゃねーか、今回はお互い様ってことで済ませようぜ、な?」

違うの銀さん。
私がダメだと思うのはそこじゃない。
私がウソを付いてたのはそこじゃない。
私がダメだと思うのは、気付いてしまった自分の醜さを、愚かさを、汚さをこれから銀さんに隠して生きて行くということだ。
もしものことが現実だったならば、私は銀さんを恨むのではなく…
月詠さんを殺したい程に憎むだろう。

そう思った自分にゾッとした。
汚いと思った。
醜いと思った。
恐ろしいと思った。
こんな感情で今後どうやってここで生活していけばいいか分からなくなった。
「銀さん…ごめ…」
「名前!言うな!俺は絶対認めねぇ…!」
「銀さ…」
再度掴まれた肩に力が入った。
私が大好きな銀さんの手が今は酷く辛く感じる。
冷たい手、濡れた髪。いつもなら、また風邪ひくよと言って彼に笑いかけれるのに。

「なんでこんなことで俺らが別れ話しなきゃなんねーんだよ?!」
「私が悪いんだよ…」
「うるせぇ!お前はなんも悪くねーよ!なのに、なんでっ…」
ごめんね銀さん。
私が全部悪いんだよ。

雨は降り続く。
それはまるで私と銀さんの今までを流してしまうかのようだった。




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