銀さんと名前さんが別れたと気付いたのは一週間程前だ。




志村新八の憂鬱




十日前に沖田さんが来て、自分が余計なことを言ったので銀さんがブチ切れてるかもしれない、と言っていったあの雨の日。
ずぶ濡れになって夜遅く帰ってきた銀さんを僕と神楽ちゃんは心配して待っていたのだけれど、銀さんは予想していたより遥かに普通の態度だった。

沖田さんに何があったのかまでは聞いていなかったけど、今回も別に大したことないんだ程度の感覚で過ごしていた。
しかし、事は思った以上に深刻だった。
名前さんが万事屋にパッタリと来なくなったのだ。
またケンカしたのだろうと軽く見ていたのは四日。
次の日、銀さんにいつものように仲直りを提案した。
しかし銀さんはそこで思ってもみない一言を言ったのだ。

「あいつとは終わった」
ただその一言だけだった。
あまりに呆気なくて僕はその後、何も聞けなかった。
銀さんも何も聞くなと言う雰囲気を纏っていたし、声のトーンからして本気なのだと僕は感じ取った。
神楽ちゃんも何も言わなかった。
子供ながらに大人の事情には敏感な子だからか、下手に茶化すこともなく時だけが無情に過ぎて行き、名前さんの名前はこの一週間万事屋では一切出なかった。

僕はと言えば銀さんの居ない時を見計らってお登勢さんの店へ行き、事情を話してアドバイスを貰いに行った。
話を聞くなりお登勢さんは溜め息を付いて「そうかい…」と悲しそうにしていた。
名前さんはスナックお登勢でのバイトもここ最近来ていないらしい。
心配していたお登勢さんも事情を知って複雑な顔をしていた。
でもそればかりは当人同士の問題だからとそれ以上は何も言わず、タバコの煙だけが虚しく宙に舞った。

そしてまたいつものように名前さんの居ない一日が始まる。
名前さんと出会う前の僕たちの生活に戻った。
ただそれだけなのに大きな何かが無いことに僕はまだ慣れないでいる。
いつも何か足りない、そんな気持ちがずっとある。
これはきっと神楽ちゃんも銀さんも同じはずだ。

「定春の散歩行って来るネ」
神楽ちゃんはいつものように散歩に出掛ける。
名前さんの働いているコンビニに寄っているのかは分からない。何となく聞きそびれていた。
何よりこの万事屋で名前さんの名前を出すのはタブーになりつつあるからだ。

神楽ちゃんが散歩に出て五分程、僕も掃除を終えて買い出しに出ようと思っていると玄関の戸がガラリと開いた。
「ジャマしやすぜ」
玄関先でバッタリと遭ったのは十日ぶりの沖田さんだった。
「こんちには沖田さん、今日は何か?」
「旦那は?」
「奥に居ますよ」
ズカズカと上がり銀さんの居る部屋に入ろうとする沖田さんを見て、僕は何だか嫌な予感がした。

そして十日前に言っていた沖田さんのセリフが今でも気になっていた。
とんでもないことを言った、と言うのはどういうことなのか。
僕は買い出しに行く予定を変更して、沖田さんの後ろについて居間に向かった。

「久しぶりですねェ、旦那ァ」
「そんな久しぶりでもねーだろ」
二人の会話は思ったより淡々としていた。
「名前の家、行きましたかィ?」
あれだけ万事屋で名前さんの名前は出さないようにしていたのに、沖田さんはいとも簡単にそれを破ってしまった。
銀さんは案の定何も答えず、無表情だったので僕は真意が読めなかった。

「まぁ、行ってるでしょうねィ」
「あの、沖田さん…」
口を割って入っていいかどうか悩んだけれど、いても立ってもいられなくなってしまった僕は後ろから沖田さんに質問してしまった。
「名前さん…引越したんですか?」
そう、僕も名前さんの家には先日行ってきた。様子を見るつもりだった。
だけどそこに名前さんはもう居なかった。

名前さんの部屋である長屋の扉には“空室”と言う簡易な張り紙が一枚貼ってあったのだ。
それを見て僕の脚は震えてしまった。
これで本当に終わりなんだと。
でももしあのコンビニでまだ働いていたら?そんな希望も今は絶望感に満ちていた。
きっと名前さんはあそこにはもう居ない。
神楽ちゃんもそれを知っているかもしれない。だから何も言わないのかもしれない。
もう、本当に終わってしまったのだ。

「今回の火種は俺だ、それは旦那にも悪いと思ってまさァ」
「別に、もういいんだよ」
「…名前を返してくれて、感謝してやすぜ」
「元々お前のモンでもねーだろ」
この二人は何を言っているんだ?すごく会話が変だ。
名前さんが沖田さんの元に帰った?返してもらった?何の話なんだ。
僕は二人を目の前に一体何の話をしているのか分からなくなった。

「んじゃ、それだけなんで俺はおいとましまさァ」
沖田さんは来たばかりなのにもう帰るつもりのようだ。
「んだよ、お前そんなこと言う為にわざわざ来たのか」
「もっと旦那がヘコんでて死にそうな顔してんなら力になってやろうと思ってたんですがねェ」
「なんだよそれ」
「思ったより普通なんで必要なさそうですねィ、だから帰りやす」
そう言って沖田さんは万事屋をさっさと出て行ってしまった。


「ったく、謝りに来たのか冷やかしに来たのかどっちなんだよ」
沖田さんが居なくなった部屋で銀さんはボソリと愚痴った。
そんな銀さんを横目に僕はまだいまいち状況が掴めず、沖田さんの後を追っていた。

「沖田さん!」
「…なんでェ」
「一体どういうことなんですか……?」
万事屋の階段を降りたところで沖田さんを呼び止めた。
振り向いた沖田さんは怖いくらいに無表情だった。
「名前さんがどこにいるのか、知ってるんですよね?」
どうして名前さんの居場所を聞くだけなのにこんなにも言い出しにくいのだろうか。
別に僕は何も後ろめたいことがないのに。

「知ってどうするんでェ」
「どうするって…」
「旦那はあんなだし、もうヨリ戻すってのも有り得ねェと思うけど」
「もしかして…それを確かめに来たんですか…?」
「人聞き悪ィこと言うなよ、様子見に来ただけでさァ、これでも一応責任感じてるんでね」
「名前さんは…!名前さんは、なんて言ってるんですか…」
「なんも言ってねェよ、残念ながら旦那の話もお前の話も一切出てねェ」

聞かなければ良かった。
そしてまた僕は脚が震えてしまう。まるで本当に終わったことをひとつずつ確認しているような、そんな衝動に陥ってしまったのだ。
「まあそんな顔すんなよ、名前はうちに居るからよ」
「え…?」
呆気なく名前さんの居場所を聞かされたことと、その居場所に驚いた僕は空いた口が塞がらなかった。

「因みにチャイナは毎日のようにうちに顔出してんぜ」
「え?!」
「女子会だのなんだのとウルセーのが出入りしてコッチも迷惑こうむってんだよ」
ここでまさかの人物。神楽ちゃんが珍しく黙っていたのは裏でそんなことをしていたからだった。
どうりでおかしいと思ったんだ。
あれだけ名前さんに懐いていた神楽ちゃんが、忽然と姿を消した名前さんに対して何の執着も見せないなんて。

「神楽ちゃん…」
「味方する訳じゃねェがチャイナを責めんなよ、名前に口止めされてるみたいだからな」
「っ…」
名前さんのことだ、きっと僕に居場所が分かれば銀さんに言うと予想しての口止めだろう。
そしてそれを守っている神楽ちゃんに僕は少し感心してしまった。
僕ならやはり、真っ先に銀さんに報告してしまいそうだからだ。

「チャイナとお前が来るのは別に構わねェが、旦那となれば話は別だ」
沖田さんのその言葉の裏は“だから銀さんには黙ってろ”と言うように聞こえて仕方なかった。
でもそこで僕は怯まなかった。
「ああ見えて、銀さんはすごく気にしてると思います…」
「ハァ?どこが?どっからどう見てもいつもの死んだような目してダラけてただけだろ」
「いや、違うんです…それが、怖いんです」
「意味分かんねェ」
「銀さんは…名前さんとケンカすると、すごく分かりやすいくらい様子が変わるんです…」

そう、今までもそうだった。
明らかに何かあったと言う風に銀さんの態度は変わる。
機嫌が悪かったりあからさまにヘコんでいたり。
時には見ているコッチがハラハラするくらいだった。
「それが今回は普通すぎて怖いんです…何も変わらなくて、いつも通りすぎて、そんな銀さんは初めてで…」
「それほど旦那の中で冷めちまったってことだろ」
沖田さんのその一言で僕は何も言えなくなってしまった。

僕には恋愛とか大人の入り組んだ感情等は分からない。
先程まで仲良くしていた二人が、次の日急に離れてしまい顔すら合わせないなんて。
そんなの今の僕には全く理解出来ない。
あんなに幸せそうだったのに。どうして。
理由を知らない僕には余計に理解出来なかった。
だからどうしても二人をまた合わせたいと思ってしまうのだ。

例えそれが、僕の幼稚で安易な考えだったとしても。




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