「銀さん」




マルかバツか(後編)




「寒いんだから真っ直ぐ帰って来いよなー」
雨も降っていないのに傘を片手に銀さんはそう言って目の前に来て、青いマフラーを私に巻いてくれた。
その銀さんの体温と匂いが残っているマフラーはとても温かくてなんだか胸がキュンと締め付けられる。

「今日雪降るって聞いたから一応」
気になっていた傘を見せて銀さんはそう言うとごく自然に手を握ってくれた。
「手ぇ冷てーな」
「心があったかいからね」
「そのくだり、前もやったよな」
「うん、やった」
思い出して笑うと、銀さんも私を見て少しだけ微笑んでくれる。

ああ、この銀さんの眉を下げた笑い方が好きだ。
私にしか見せないようなその無防備に優しい表情が好きだ。

「あんまり体冷やすなよ」
「大丈夫…」
「ところで結果どうだった」
「へ?」
「まだしてねーのか、検査」
「………なっ!ななななんで知ってんの?!」
急な展開に頭がついていけない。
だいたいさっきから私は考えることが多すぎて、ただでさえいっぱいいっぱいだと言うのに。

「ババァがあの後意味深な言い方するしよー、そもそも名前ちゃん挙動不信すぎんだろ?さすがの俺もピンと来るって」
「そ、そっか…」
「まあお子様二人は分かってなかったみてーだけど、なんか落ち着かなくて迎えに来ちまったよ」
片手には傘を弄んではいつものように気怠げな銀さん。
彼はどう思っているのだろう。その核心を聞けなくて心の中がモヤモヤした。

「で、どうなのよ?」
「まだ…してない…」
「生理きてねーのかよ」
「うん…少し遅れてるくらいだけど…」
「ふーん」
心臓がバクバクする。
それは、あまりにも銀さんが淡々としているから。
私はこんなにも心ここにあらず、なのに銀さんはまるで私とは逆のようで至って冷静だった。
そりゃあまだ結果が出たわけではない。
それでも少しばかり動揺などしてもおかしくはないと思うのに、銀さんは予想より遥かに落ち着いていた。


「も、もし……その、で…できて…いたら、どうする…?」
恐る恐る聞いてみた。
しかし銀さんの歩く足は止まらず、二人して土手を歩き続けた。
時より冷たい風が吹いていく。繋がれた手だけが温かかった。

「さあな、そん時考える」
返ってきたのは思った以上に冷たい返事だった。
いや、変に濁されるよりいいのか、この方が。
私は銀さんに何を求めていたんだろう。出来てたらいいな!なんて満面の笑みで返してくれるのが望みだったんだろうか。

そのまま黙って万事屋まで帰り、私は無言のままトイレに入った。
銀さんはブーツを脱ぐなりそのまま居間の方へといつものように足を進めていく。
トイレから出て検査薬を見ずに銀さんのいる居間に足早に向かう。
一人で見るのは正直怖かった。そして銀さんがどんな反応をとるのかも気になったからだ。


「どうだった?」
ストーブの付いた部屋は温かく、体をじんわり温めてくれた。
それもあってか先程よりは緊張感が和らいでいく。

「これ」
銀さんに向けて検査薬を見せる。
「……これどっちだよ」
「線が出てたら陽性、出てなかったら陰性」
「ようせい?いんせい?」
「線が出てたらできてる!出てなかったらできてない!どっち?!」
「どっちって、お前見てないのかよ」
「み、見てない…だからどっち…?」
ソファに座る銀さんに向けて私は立ったまま検査薬をずいと見せる。
銀さんはそれをじっと見ては私の目を見て一言放つ。

「できてねぇ」
いつもの口調で、まるでいちご牛乳がない、と言うかのような口調で銀さんは淡々と言葉にした。
「そ…っか…」
なんだろう、この気持ちは。
残念なのか、それともホッとした?
頭の中では“そっか、できてないか…そっか”ばかりがリピートしていた。

「銀さん、安心…した?」
「元々期待してなかった」
沈黙が流れた。
確かにそれが一番賢いと思う。でも、少しくらい気持ちの揺れとか感情とかもっとあっていいと思う。
私ばかり、独りよがりしているようだ。実際、単なる独りよがりだったのだから。
銀さんはなんとも思ってなかったんだ。


「ーーっつーのはウソで!!」
銀さんの急な声のトーンの変わりようにビクついてしまう。
「内心めっちゃ期待した!ついに俺もパパ?!とか思っちゃったよ!なんか色々想像しちゃったよ!」
顔を覆って恥ずかしいと言わんばかりに多少オーバーリアクションの銀さん。

「でもさぁ!こういうのってまだ決まってもないのに喜ぶと、できてなかった時にショックでけぇじゃん?!名前ちゃんにもプレッシャーな訳じゃん?!だから俺なりにクールぶってみたっつーか、平常心保ってたつもりだったんだけど名前ちゃん途中からなんかすげぇ泣きそうな感じでマジどうしようかと!」
「だからあんな感じだったの…?」

「だってババァがさー!ナイーブな内容なだけに先走ってヘマだけはすんじゃねーよってプレッシャーかけるからさー!でも俺男だろ?んなの分かんねーし!どうしていいか分かんねーし!正解とか分かんねーし!」
「ごめん、ぬか喜びさせちゃったね…」
「だーかーらー!そういう空気になるなって!俺は別に期待してたけどショックじゃねーから!」

銀さんが一生懸命になればなる程、なんだか悪い気持ちになってくる。
こんなに気を使わせたんだとか、期待してくれてたんだとか。
いろんな気持ちが混ざりあって、複雑でもあり幸せでもあった。

「アレだ、俺ら本気で子作りしてた訳じゃねーじゃん?ゴムは最近してねーけど」
検査薬を私から取ると、机にそれを置いた銀さんは隣に座れと促す。
「出来てたら嬉しいんだろうけど狙ってた訳じゃねーし、つーか俺が本気出しちゃったらマジで出来ちゃうけど、名前はそれでいいのかよ?」
「……うん」
「……マジか」
素直にこくりと頷けば、銀さんは結構驚いていたようだった。

「おま、急にどうしたよ、ちょっと前までは子供はまだ早いとか準備がまだ出来てないとか言ってたのに」
私にも分からない。
つい最近までは本当にそんなこと微塵も考えていなかった。
なのに、今回こんな事があって私なりに色々考えた結果が今のこの気持ちなんだと気付かされた気がする。

「銀さんとの子供…想像したら、すごく欲しくなっちゃったよ…」
今、この状況でうまく笑えたかは分からない。
それでもこの気持ちが少しでも銀さんに伝わって欲しいと思いながら言葉を放った。

「そんじゃ、早速頑張っちゃいますか?」
「なっ、何を急にっ…?」
「え、そういう意味だろ?そういう雰囲気だろ?」
腰を抱かれてがっちりとホールドされると身動きひとつ取れなくなる。

「今すぐとか言ってないし…!」
「銀さん本気出しちゃうからね?今まで以上に本気出しちゃうからね?」
「ま、間に合ってます…!」
「そう遠慮するなって」
ニヤニヤと笑う銀さんはすっかりいつも通りで、さっきの緊張感はどこへやら。

じりじりと距離を詰めては私に優しくも深い深い口付けを落とす。
「…ん、ぎ…んさ…」
「布団いこうぜ、布団」
「名前ー!銀ちゃーん!帰って来てるアルかー!?」
いつものドタドタと賑やかな足音と共に神楽ちゃんの声。

「くっそ!またこのパターンかよ!」
盛大に舌打ちした銀さんは机に置いてある検査薬を持ち、ゴミ箱に捨てる。
「神楽に見つかるとややこしいから証拠残すなよ」
「あ、うん…」
そういえば、と思い出した時には神楽ちゃんは居間に突入してきていた。

「名前!体調はどうネ?」
「大丈夫、ほんとに単なる食べ過ぎだから」
「薬は飲んだネ?」
「今から飲むよ」
そう言って私は台所に向かう。
なんとなく気まずかったのか銀さんも、いちご牛乳を飲むと言いながら台所についてきた。

「そういやお前、箱はどこにやったんだ」
「それが急いでたからトイレの中…」
言うが早いか、トイレから出てきた新八くんとバッタリ遭遇してしまう。
その手には私が先程トイレに忘れていった代物が握られていた。

「あ…新八く…」
「あの!これ!すみません!入ったら…落ちてたので…その…かっ、神楽ちゃんには黙っておきますんで!」
そう言って私に空の箱を押し付けるように渡すと、早歩きで居間に向かって行ってしまう。

「ありゃ完全に勘違いしてんな」
「どうしよう…」
「言いふらされる前に阻止しとかねーとなぁ」
「だね…」
「いっそのこと本当の事にしちまうか」
「っ…」

するりと指を絡ませられ耳元でそう囁かれる。
私は銀さんの方を見上げるとそこにはいつも以上に柔らかく微笑む姿。
そして私はまた、この男に惚れ直すのだった。



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