桜散る頃、その事件は起こった。




坂田銀時と志村新八の災難




「え、なに?は?どういうこと?」
いつものソファに座っていた銀さんは、僕の出したいちご牛乳のパックをもう少しで落としそうになっていた。

「いやァ、ほんと申し訳ねェと思ってやすよ」
口では謝罪をしているが見るからに反省の様子が伺えない沖田さんは、銀さんの真向かいのソファに座ってお茶をすすっていた。
当の僕はと言えば、ここに神楽ちゃんが居なくて本当に良かったと、心底思った。

「俺からもこの通り、申し訳なかったっ…!」
豪快に頭を下げたのは沖田さんの隣に座っていた近藤さんだった。
真選組の一番お偉いさんがこんなにしてまで謝罪をしている。
それには大きな理由があった。

「いやいやいや、ぜんっぜん分かんねーよ!分かるように説明してくれよ」
銀さんは頭の整理が付かないのか、珍しくうろたえていた。
実は先程から三度ほど近藤さんと沖田さんが一部始終を説明してくれていると言うのに。
僕はさすがに理解してこの先どうしたらいいのだろうかと、頭をフル回転させていた。

「旦那ァ、何度も言わせねーでくだせェよ」
話を聞くところによると、当事者である沖田さん。
なのに彼は未だに事を理解出来ずにいた銀さんに少しばかりイラついているように見えた。

「おい、テメェ…お前が名前をこんな目に合わせたんだろ…ぶっ殺すぞ」
一気に殺気立った銀さんに僕はビビってしまった。
そんな僕とは逆に、近藤さんは立ち上がった銀さんを宥めながら謝り続けた。

「万事屋、本当に申し訳なかった…悪いのは全て俺だ…俺の責任だ…!」
「何もアンタは悪くねぇだろ、悪いのは民衆でバズーカ打ちまくってるこのバカなクソガキだろ」
銀さんは立ち上がったまま、座っている沖田さんをただただ睨んでいた。

「あ、あの…名前さんは無事なんですし、とにかくすぐに病院に」
「ああ、行くぞ新八」
二人を置いてさっさと出掛けようとする銀さんは明らかにイラついていた。
そりゃそうだ。
沖田さんがいつものように土方さんに向かってお遊びで打ったバズーカが、名前さんに流れ弾として当たりそうになった。

かろうじてよけきれたものの、足を踏み外した名前さんは河川敷の土手を転げ落ちて頭を強く打ったらしい。
外傷はほとんどなかったが打ちどころが悪かったそうで、一時は意識不明にまでになったそうだ。
しかしすぐに意識は戻った。
ここまでが近藤さんと沖田さんの話だ。
そして、何より銀さんが信じきれないのが…

「記憶がねぇって…どういう事だよ…」
玄関を開ける銀さんが聞こえるか聞こえないか言ったその言葉は、確実に僕の耳に届いた。
心配や不安、恐怖と暗闇。そんなものが一気に体を埋め尽くすような感覚。
僕は銀さんの原付きの後ろに乗って、ただその恐怖と闘っていた。


教えてもらった病院に着き、聞いた病室を探す。
その足取りは僕だけかもしれなかったが、酷く重く感じた。
記憶がないって一体どういうことなんだろう。
どこまでの記憶がないのか。名前さんは一体どうなってしまったのか。
そんなことが頭の中をいっぱいにして、色々考えたいのに余計に頭の中はぐちゃぐちゃになってしまった。

昨日まで集中治療室にいたらしい名前さん。
今日の朝一で一般病室に移されたそうだが、なんでもっと早くに僕たちに知らせてくれなかったんだろうか。
昨日の事故が起こった時にすぐ連絡してくれるべきだったんだ。
だからなのか、僕たちの動揺も大きかった。

軽くノックをすると、土方さんの返事が微かに聞こえた。
銀さんはガラリとドアを開け、個室である病室になんの躊躇もなく入っていった。
「万事屋…」
少し驚いて、すぐに立ち上がった土方さんは銀さんと僕に向かって頭を下げた。
「…すまなかった」
「お前の部下は一体何考えてんだよ」
「いや、俺が悪い」
「はあ?あんなガキ庇う余地もねーだろ、とっとと切腹でもさせろよ」
「ぎっ銀さん!!」
さすがに言い過ぎだと思い、発言を止めにかかっても銀さんは容赦無く言葉を放ち続けた。

「部下の責任は上司の責任ってか?そうやって仲間内で庇いあって甘やかしてっからこんなことになっちまうんだよ!じゃれ合いなんぞやりたきゃ勝手にやってろ!でも名前を巻き込むんじゃねーよ!!」
「銀さん!名前さん寝てるんですから、静かにしないとっ…」

さすがの怒号に寝ていた名前さんは目をうっすらと開けこちらを見た。
点滴に繋がれたその姿は酸素マスクを付けていて、思った以上に痛々しい姿をしていた。
目を開けた名前さんはいつものようでまるで変わった様子はなかった。
ただ少しの違和感は、その瞳は土方さんを見ていた事だけだった。

「おお、悪い…起こしちまったな、体大丈夫か?」
「はい、よく眠れました…これ、外してもいいですか…」
「ああ、念の為だったからな」
酸素マスクを取ってやっと煩わしさから開放されたような顔をした名前さんは、本当にいつもと変わらなかった。

「あの…」
チラリとこちらを見られ、何故かその視線にドキリとしてしまう。
その視線は多分、いや絶対に銀さんも感じ取っているだろう。
一年半、名前さんと一緒に過ごしたから良く分かる。この目は、この仕草や雰囲気……

「あー、こいつらは…あのー、あれだ、俺の知り合いでだな、万事屋やってるからお前がなんか困ったこととかあったら力になってくれると思って…」
「そう、ですか…はじめまして、苗字…名前です」
弱弱しいその口調、落ち着かない目線。
名前さんは少し人見知りの部分が出るときがある。
それを僕たちは知っている。
今、まさにその目は僕たちの事を初対面の人物として見ていた。

「おい、名前ちゃんマジで覚えてねーのかよ」
「やめろ万事屋……」
「なあ、なんかの冗談だろ?銀さん騙そうったってそうはいかねーよ」
「銀さんっ」
僕も土方さんと同じように銀さんを止めた。
だって、名前さんが明らかに戸惑った表情をしていたからだ。

「すみません…きっとお知り合いだったんですね…本当にすみません……私…何も覚えて、なくて…」
決定打だった。
“何も覚えていない”それが全てだった。

僕は正直期待していた。
奇跡とやらを期待していた。
銀さんの顔を見れば思い出したりするんじゃないかと、少なからず期待していたんだ。
でも名前さんの中の銀さんも神楽ちゃんも僕も消えてしまっていた。
楽しかった一昨日までの思い出が。昨日で全部消えてしまったのだ。

「名前さんっ…」
何故か涙が溢れた。
あの明るくて気さくで可愛らしい名前さんが。
今はとんでもなく遠く感じて。
今日初めて会ったかのような他人行儀な視線でこちらを見ているのが、僕はたまらなく悲しかった。





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