「今日からよろしくお願いします…」




志村新八の観察




名前さんが万事屋にやってきた。
これは奇跡なのだろうか。
今日の朝、銀さんが珍しく朝早く起きていて出かける支度をしていた。
そして僕を見るなり“ちょっと病院行ってくるわ”とだけ言い残して一人で出掛けてしまったのだ。

その後神楽ちゃんが起きてきたのでそれとなく言うと、置いていかれた!と地団駄を踏んで怒り心頭の様子だった。
病院に行くと言ったものの、今日は名前さんの退院日だ。それを銀さんももちろん知っているはず。
なのに行くということは…
僕の心の中に湧いたのは“期待”のふた文字だった。

お昼前、やっと銀さんが帰ってきた。
そしてその後ろには控えめに名前さんの姿があった。
僕は自分の期待が現実になったと心の中でガッツポーズを盛大にした。
本当なら大きな声で「やりましたねっ!銀さん!」と叫びたいくらいだった。

しかしいつもの名前さんなら銀さんの隣を歩き、ごく自然に他愛ない話をしたりして銀さんと笑いあっているはずなのに。
今は全くの別人と言っていい程に、その姿は控えめで何かに気を使っているように見える。

「おじゃま、します…」
「何言っちゃってんの、今日から名前の家なんだからただいまって言いなさい」
銀さんは名前さんの頭をポンポンと撫でては愛しそうな目で見つめていた。
僕はそれを見て何だかとても切なくなってしまって、これは手放しで喜んではいけないのだと思わせた。

愛する人に自分と言う存在を忘れられるなんて、一体どれだけ悲しいことなんだろうか。
恋愛すらまともにしたことのない僕では到底その気持ちにはたどり着けない。
想像する事すら困難で、考えただけでも心が痛んだ。

「キャッホーー!!やっと名前と一緒に住めるアルか!?やったアルな銀ちゃん!!」
オイィィィ!!僕のさっきの遠慮は?センチメンタルな気持ちはどうしてくれるんだよ!?空気読もうよ神楽ちゃん!!


「そー言えば、よく沖田さんとかに反対されませんでしたね…」
一番気にかかっていたのはここだ。
なに食わぬ顔で帰ってきた銀さんだったけど、きっとあの名前さん依存症の沖田さんあたりには連れて帰ることを猛反対されたはずだ。
話を聞かなくても想像がつくくらいだ。

「あー、それは大丈夫大丈夫」
何が大丈夫なんだよこの人は。
銀さんはそんなこと大したことじゃないと言わんばかりにヘラヘラとしていた。
「どう大丈夫だったんですか?」
「そうネ、あの名前大好きドエス野郎がよく名前を手放すなんて事できたアルな、銀ちゃんまさか…ついにやってしまったアルか?!アイツを海に沈めてやったアルか?!でかしたアル!!」
「する訳ねーだろ!アイツ一応おまわりだからね?!」

ソファにどかりと座った銀さん。その隣に名前さんがこれまた控えめに座る。
なんだか調子狂うなあ。
いつもの名前さんならあえて僕の隣や神楽ちゃんの隣に自然と座ったりするのに。
僕はそんな名前さんのいつもの行動と伴わない感じが、妙に違和感で。
まるで別人のようにも見えてしまう。

「鶴の一声ってやつだよ」
「ゴリラの一声アルか?」
「鶴だよ!鶴!ゴリラの一声てなんだよ!あんな汚ねー声で誰が動くんだよ!」
「名前さんが何か言ったってことですか?」
「そ、沖田くんに名前が一言“記憶が戻るまで銀さんにお世話になりたいんです”とだけな」
「それで納得したんですか沖田さんは」
「すげぇ気に食わねーって顔はしてたが、今の名前にゃ強制とか無理強いはダメだってゴリラの大将が最後の念押しで言ったら諦めてたみてーだけど、まああそこはゴリラの一声だったな」
「やったナ銀ちゃん!ついにあのドエス野郎が名前離れする日が来たアル!ざまあみろネ!ゴリラでかしたアル!」
「神楽、おめーは個人的な恨みで喜んでるだけだろ」
やたらと沖田さんの不幸話なると喜びが隠せない神楽ちゃんは、それと同時に名前さんと一緒に生活できる喜びも爆発させていた。

「やっぱり総悟…には悪いことしてしまったんでしょうか…」
銀さんの話を聞いてか自信なさげに名前さんは俯いてしまう。
気にすることはないと言ってあげたいけれど、沖田さんだって責任を感じているはずだ。
本当なら自分が面倒を見てあげたいと思う気持ちは僕にでも分かった。

「いーや全然悪くねーよ、名前はここに来て当たり前なんだよ、俺が名前の世話しなくて誰がすんだっつーの」
「っ…あ、ありがとうございます…」
銀さんもかなり一生懸命なのが見ててバレバレだ。
多分、銀さんのことだから平気で今までのことを名前さんに言ってしまったんだと思う。口止めされていたのに。
だから名前さんのこの反応。
明らかに口説かれて口説かれて、ここにいる感じだ。

「じゃあ新八!私は名前と買い物行ってくるネ!」
「え、ちょ、名前さん病み上がりなんだからっ…」
「私なら大丈夫です!体は元気だったので入院中もその辺散歩してたりしたので…記憶以外は全然問題ないんです」
やはり僕はその笑顔にも違和感を感じてしまう。
いちいち反応するのはよろしくないことくらいは分かってる。
でもやっぱりいつもの名前さんではない、僕らに遠慮している彼女はもはや別人と感じても仕方ないのかもしれない。

「歯ブラシとか色々買い揃えるモノがあるネ!女子は物入りアル!そんなんも分かんないからお前はモテないね新八ぃ!空気読めないメガネは捨てちまえよォ!」
「そこ眼鏡関係ないし!捨てないから!普通に見えなくなるから!」
「気をつけて行ってこいよー」
銀さんは神楽ちゃんにいくらか持たせてソファにもたれたまま二人を見送っていた。


「銀さん…これからどうするんですか」
「どうって、何を」
「名前さんをずっとここに置いておくんですか?」
「別に構わねーだろ、そもそも早く一緒に住むべきだったんだよ、今までタイミングとか諸々あって逃してたけどいい機会なんじゃねーの」
「そりゃそうかもしれませんけど…、もしも…もしもの話ですけど、名前さんの記憶がずっと戻らなかったら…?」
僕がその質問をした瞬間、腑抜けていた銀さんの目が少しだけ揺らいだ気がした。

「別に、そんときゃそのままずーっと変わらず生活していきゃいいだけの話だろ?」
「名前さんがもしも他の…人を…選ぶなんてことあったら…」
「んだよぱっつぁん、今日はえらくもしもの話が多いじゃねーの、メガネの調子でも悪いのか?ネジでも緩んでんのか?」
「メガネはすこぶる調子いいですよ、ただ僕は…心配なんです」
僕はソファにゆっくりと腰掛けると、膝に握った手に力がこもってしまう。

「また、同じように名前さんが銀さんを好きになる保証なんてどこにもないじゃないですかっ…!」
考えれば考える程、そこにしかたどり着かなかった。
名前さんは別人ではない。
ここに来る前の記憶はあるらしい。
だから、名前さんは僕たちと出会う前の名前さんであって決して性格が変わってしまったとかではなく、中身が入れ替わった訳でもない。
正真正銘の名前さんなんだ。

でも今回は色々と置かれている状況が違う。
あの時は僕たち万事屋を頼って来てくれて、名前さんは僕たちしか頼る人が居ないと言ってずっと万事屋と共に生活を送ってきた。
しかし今の状況はどうだろうか。

真選組で働く名前さん。
沖田さんと言う家族同然の存在がいて、男所帯に身を置き毎日土方さんと顔を合わせ、側近として傍に付き仕事をする。
この二人以外でも真選組には男の人は沢山いる。
彼女はこの大勢の人達に囲まれ、慕われて生活しているんだ。
取り巻く環境があの時とは違いすぎる。
そんな中で名前さんが銀さんを選ぶ確率なんてどのくらいあるのだろうか。

「だから連れて帰ってきたんだろうが」
その銀さんの言葉に、僕と同じような事を考えていたのかと察知してしまう。
きっと銀さんもこの状況に少なからず焦りのようなものを感じていたのかもしれない。



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