「どうする、名前ちゃん」




止まり木




銀さんは優しい。
私が記憶の一部を無くしてしまい、この人との事をすっぽりとどこかに落として来てしまった。
どんな人なのかはまだいまいち分からない。
でも、ひとつだけ分かるのは私はこの人と恋人以上の関係だった事という事実だ。
つまりは、夫婦。

「前は、どうしてたんでしょうか…」
「一緒に寝てた」
「…お、お布団は…」
「一応二つ敷いたけど、まあ結局は一つの布団で寝ることになるよねー」
それは、やはり…夫婦なのでそう言う事になるのでしょうか。
私はまださっぱり状況が飲み込めていません。

「いやいや、そんな心配そうな顔しなくても何もしないからね?!銀さんそんな男じゃないからね?!」
眉尻を下げては弁解する目の前の人は、私にとってはほんの少し前に病院で会ったばかりの人だ。
色々話はしたけど、そんな人と今日からひとつ屋根の下…と言うか同じ部屋で布団を並べて寝ることになるなんて。

「俺、しばらくはソファで寝るわ」
「だ、大丈夫です!」
「え、な、なにが」
「同じ部屋でも全然気にしませんから!」
「いや、気にしてるよね?その顔はだいぶ気にしてるよね?」
「大丈夫ですから!本当に!」
「大丈夫って言葉がもう大丈夫じゃないよね!?」
「そんなこと…!」
「いいのいいの、気ぃ使わなくて、名前ちゃんはゆっくり休みなさい病み上がりなんだから」

そう言った銀さんは押し入れから毛布一枚を手にすると、寝室である和室を出ていってしまう。
戸を閉められる前に「おやすみ」と言って銀さんと一瞬だけ目が合った。
そして一人残された部屋はなんだかとても落ち着かなくて、寂しさだけが急に大きく膨れあがった。

「名前ー!一緒に寝るネー!」
先程控えめに閉められたはずの戸が今度は勢いよく開いたかと思うと、そこにはパジャマ姿の神楽ちゃん。
「銀ちゃんが向こうで寝るなら私が名前と一緒に寝るネ!キャッホー!」
「神楽ぁ、お前あんま名前に絡むんじゃねーぞ、ゆっくり休ませてやれ」

戸の向こうで銀さんがソファに寝転がっているのがちらりと見える。
しかしそれも神楽ちゃんのスパン!と扉を閉めたことによって見えなくなり、気を使わせている申し訳無さが心をよぎった。


「名前は銀ちゃんの布団に寝るアル、私は名前の布団で寝るネ!」
「え、あ、うん」
「銀ちゃんの布団はたまにしか干さないからだいぶおっさんの臭いがすると思うけど、まあ我慢するネ」
神楽ちゃんはそう言って布団に潜り、遠足の前日のようなウキウキとしている様子だった。

「神楽ちゃん」
「何アルか」
私も同じように布団に入る。
銀さんの布団はまるで私が来るのが分かっていたかのようにお日様の匂いがし、ふかふかでシーツも新品があてがわれていた。
それでも布団に染み付いているのか、少しだけ銀さんの匂いがした。

「私ってどんなだった?」
「別に今と一緒アル」
「え…」
思ってもみない、しかも即答の言葉に戸惑ってしまう。
そりゃ私自身、中身が変わってしまったとかそういうものではない。
考え方や性格は今まで通りのはずだ。

でも、ここで過ごした一年半の間に私に何か変化や考え方が変わるような出来事などがあったかもしれない。
ましてやこの一年半で銀さんと夫婦になってしまっていたのだから、色々あったに違いない。

「名前は別に何にも変わってないネ、初めて会った時から今まで名前はそんな感じアル」
神楽ちゃんの言葉は淡々としていてシンプルではあったけど記憶が失くなってから、多分、一番心に響いた。

私自身、一体今まで何を探していたのだろうと思うくらい。
それは真っ直ぐに心を打ち抜かれたような。
これが青天の霹靂?と普段は浮かばないような難しい言葉が頭に浮かんでしまう程に、私は結構衝撃を受けてしまった。


「みんな変アル」
「変…?」
「名前が記憶無くしてからみんな変ネ、名前に気を使ってるアル、いつも通りにしてたらいいのになんでそんなことするアルか」
確かに言われてみればそうだ。

私としても気を使われているのはよく分かってる。
この状況ではそれが普通と言うか、そういった流れだと思っていた。
でも物事を真っ直ぐに捉える神楽ちゃんにとって、それは違和感の塊でしかなかったのだろう。

「それより名前は銀ちゃんのことどう思ってるアルか?」
「どうっ…て…?」
「銀ちゃんは甲斐性もないしお金もないネ、でも名前のことはすごく大切にしてたアル」
「そう、なんだ…」
「別にまた銀ちゃんに惚れろとか言ってる訳じゃないアル、全然マヨラーとかドエスとかゴリラとかあんぱんに行ってもいいアル、ただ…ただ…」
神楽ちゃんはとても言いにくそうに布団に潜り込んでしまった。

「神楽ちゃん?」
「もう居なくならないで欲しいネ…」
“もう居なくならないで欲しい”神楽ちゃんのその言葉に思いあたる節はもちろん無い。
けれど過去に何かあったのかだけは理解できた。
私は一度、彼女や銀さんたちの前から姿を消したのか。
何も覚えていないのに、胸がチクリと痛んだ。

「居なくならないよ、神楽ちゃん…ありがとう」
その後神楽ちゃんは潜ったまますぐに眠りについてしまったようで、規則正しい寝息が聞こえてきたのだった。



「うーす」
「おはようございます」
「神楽は?」
「まだ寝てますよ」
少しだけ早めに起きて、私は朝ごはんを作っていた。
そこに寝癖をつけてパジャマである甚平を着て現れた銀さんは、あくびをしながら冷蔵庫のいちご牛乳に手をつけていた。

「洗濯するものあったら出しておいてくださいね」
「おー」
チラリとこちらを見た銀さんと目が合ってしまい、すぐに目をそらしてしまう。
なんだか全然慣れない。

この人と男女の仲だなんて、そんなこと急に言われても正直かなり困るわけで。
なのに銀さんはお構いなしにぐいぐい来るし、このままでは流れ流されてしまいそうな気がしなくもない。

「なー、名前ちゃん」
「はっはい!」
すっかり余所事を考えていたので銀さんのスキンシップに過剰に反応してしまう。
銀さんは私の腰に腕を絡ませるように、するりとお尻ギリギリのあたりを撫でる。

「なんかこういうの新婚みたいだと思わねぇ?」
近い近い!顔が近いです!銀さんっ!
私は心の中でそう叫びながらも、心臓はバクバクで何も言葉を発せれない状態だった。
「ああああのっ!銀さん!」
「んー?」
慌てて何か話題を振ろうと試みる。
そうでもしないとこのままごく自然にキスをされるのではないかと思ったからだ。

「わ、私!…明日から真選組のお仕事にっ…復帰しようと思ってるんですっ!」

「…………ハァァア?!!」




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