「おかえり」





幸せとは





あえてそう言って総悟を出迎えてやった。
少しどんな顔をするか楽しみでもあった。
「っ…」
案の定、総悟は丸い目をいつもより更に丸くして玄関で突っ立っていた。

家の時計は夜の九時を回っていた。
秋の夜、ずいぶん涼しくなった外の空気がドアを開けたのと同時に肌を掠めていく。
「ただいま帰りやした…」
少し間を置いて中に入ってきた総悟がそう返すと、ドアがパタリと閉まる。
少し高い位置から総悟の腕が回され、すっぽりとその華奢なようで実は逞しい腕に抱きしめられた。

「……帰る場所があるっつーのも、いいもんだな」
「なんか、感傷的?」
総悟の背中をポンポンとして撫でてあげると小さな声で“子ども扱いすんな”と言われてしまう。

「俺はいつどこで野垂れ死にするか分かんねェ仕事してるんでね」
「討入りだったの?」
「まあな、……ちゃんと風呂には入って来たんで安心してくだせェ」
「別にうちのお風呂使ってもいいんだけどね、疲れたでしょご飯は?」
「食べて来やした」
「んじゃ、珈琲でも飲む?」
「カフェオレで」
「了解」

台所に立ち、牛乳を鍋に入れ沸かす。
このアパート暮らしにもずいぶん慣れたもんだ。
当初ここを探してくれたのは意外にも総悟だった。この江戸のかぶき町に来たばかりの頃に、私は銀さんに世話になり風呂なしのボロ長屋に住むことになった。
しかしその後すぐに総悟と出会い、真選組経由の知り合いにそこそこ綺麗なアパートがあるからそこに引っ越せ、と総悟に言われるがまま引っ越してきたのがここだった。

平屋のボロ長屋とは違い、このアパートは二階建てでまだそれほど築年数は経っておらず、もちろん風呂有りで冬も隙間風なんて入って来ず、充分快適な暮らしができていた。
紹介してくれた総悟が口利きをしてくれたのか、手数料一切なし家賃も長屋の時とさほど変わらないという好条件で住ませて貰っている。
沢山の人に世話になって今の私がある。そして総悟のおかげで私はここにいるのだと最近強くそう思うようになった。


カフェオレを作っている片手間にチラリと総悟の方を見ると、バッチリと目が合ってしまう。
「な、なに?」
「いや、テレビもなんも無いんで暇だなーって」
「あ…そうだよね、そろそろ買おうとは思ってたんだけどなかなか…」

コツコツ貯めて来たので買えないことはなかったものの、テレビのない生活に慣れてしまい今やテレビの必要性を感じずにいるのが現状だった。
総悟が今までにも何度か遊びに来たことはあったけれど、その度に暇だ暇だと言われ結局外に遊びに行くことが多かった。

「まあ、テレビがない方が事に集中出来るんでいいんですがねェ」
「……」
「下ネタはスルーかよ」
「その若いノリにはついていけません」
「なんだよ“若い若い”ってまだ二十代のクセして、んなこと言ってて三十路になったらどーすんでェ」
「そりゃそうだけど……」
「俺はお前にとっちゃァガキでしかねェってか」
「そんなことない、けど」
「けど?」
「総悟は年の差考えたことないの?」
「ねェな」

出来上がったカフェオレを簡易な安物テーブルに置くと、総悟はそれを持って一口すするように飲んでいた。
「正直私は考えるよ…」
総悟とはそれなりに歳が離れている。
これはかなりデカイ差だと私は思っていて、それだけが本当に引っかかっていた。
これが逆なら何も思わなかったような事が、私が女だからこそ深く考える問題なのだろう。

「いや、まあ俺も考えたことはありまさァ」
静かにそう言う総悟は、本当は言いたくなさそうな顔をしてポツポツと言葉を続けた。
「…俺じゃダメなのかって、相手にされてねェだろうと思ってた、てっきり土方さんに気があるもんだと思ってたんで」
「土方さんは、別に……」
「ま、それは取り越し苦労ってやつだったんでいいけど、俺のことはまぁ眼中にねェんだろうとは思ってやしたよ」

総悟の言う眼中にないとまでは言わないけれど、正直総悟のことを恋愛対象には入れてなかったのは事実だった。
しかし、やはりとでも言うべきか。
自分が総悟の大切な存在であると知ると、まんまとその気になってしまった。
元々自分は総悟に少なからず男女の情を抱いていたのではないかと思うようにもなった。


自分自身、男がいなければいけないようなタイプでもないし、焦っていたわけでもない。
来るもの拒まずというタイプでもない。
わりとガードは固い方だと思っている。でも総悟は簡単に受け入れてしまった。
恋愛対象ではなかったのに、総悟のことを本当は男として見ていたのだろうか。
自分でもその辺はよく分からなかった。

なので総悟に眼中になかっただろ、など言われたところで返答に困る訳で。
無かったと言えば無かったけど、今の現状を見るとそうでもなかったのかもしれない。と、あやふやな言葉しか出ない気がした。
そう思うとなんだか申し訳ない気もしてくる。

「過去の事をとやかく言う趣味はねェんでそれはいいとして、今は俺の事どう思ってんでェ?」
口角を上げてこちらを見据える総悟を見て、私は即座に“これは誘導尋問だったのか”と気付く。
総悟にしては弱音と言うか、えらく下手に出た会話だと思っていたのだが、やはりその少しの違和感は当たっていた。

「どうって」
「お前は何とも思ってねェ男とこんな事しちまうんですかィ」
「…っ」
ジリジリと詰め寄られて逃げ腰になっても、この狭い部屋ではすぐに追い詰められる。
総悟の綺麗な顔立ちが、目の前に来る。まつ毛が長くて瞳の色素が薄くてとても綺麗だった。

「あんまりジロジロ見ないで欲しいんですがねィ…」
「え…?」
「空気読んで目ェくらい瞑ってくだせェ」
「っ……」
ぎゅっと目を瞑るとすぐに総悟の唇の感触がした。
それは昨日とは違って更に生々しくも有り、恋人同士の行為だと言うことに照れも含まれていた。

「あー、ダメだ」
気の抜けたセリフに一瞬何か変なことをしたかと思考が巡る。
「眠くてヤベェ……」
そう言って総悟は頭をがくりと下げ、小さく“今日は無理っぽい”と呟いた。
「つ…疲れてるんだから、寝た方がいいよ」
私はドキドキを引きずったまま、総悟をベッドへ促すと不服そうにしながらも袴と着物を脱いで布団に潜っていった。

「ここに俺専用のパジャマとパンツ置いていい?」
布団から顔だけ出してまるで子どものようにそう問う総悟がなんだか可愛らしくて、ついニヤけてしまう。
「もちろん、いいよ」
「あと、俺の歯ブラシとマグカップ」
「うん」
「あと、コンドーム大量に買い置きな」
「早く寝ろ」
掛け布団を引っ張り総悟の顔に押し付け、そのまま立ち上がり風呂場に向かった。
私がゆっくりお風呂に浸かっている間に、きっと総悟は夢の中に堕ちるだろう。


お風呂から上がるとやはり総悟は規則正しい寝息を立てて、そのいつもは大きな瞳を閉じていた。
整った顔立ちに長いまつ毛が人工的な光に照らせれて影をつくり、女として羨ましく思ってしまう。

「お疲れさま」
小さい声で総悟に労いの言葉を掛けて、電気を消して私ほまだ湿ったままの髪で布団に入った。
二人分の重みに相変わらずギシリと音を立てるベッド。
総悟が私の気配に気付いたのか、モゾモゾと動いたかと思えば寝返りをうってまたすぐに寝息が聞こえてくるのだった。




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