ハッピーエンドとは限らない



「総悟って儚い感じがするよね」
とある女にそう言われた。
「女」と言ってしまうと他人行儀ではあるが、赤の他人なのは間違ってない。
その女の名前は名前という。
姉上の幼馴染みで、いわゆる俺と同郷でもある。だから全く顔を知らない仲ではない。

小さい頃には一緒に遊んだりもした。少々歳は離れているが、名前は姉上のように毎度俺に優しくしてくれた。
俺は名前を気安く名前で呼ぶ。名前も俺を下の名前で呼ぶ。
仲良しでは決してないが、それなりの関係ではあった。


「儚いって、表現が女子っぽいな」
「女子だからね」
「ああ、そうだったねィ」
二人して裸で布団に横になるこの状況はもう何回目……何十回目だろうか。
何度も名前を抱いていると言うのに、この縮まらない距離は多分俺たち二人がお互いにこれ以上深くは交わらないでおこうと線を引いたからだ。

名前の家であるこの狭いアパートに通うのも何年目になるだろうか。
名前と久しぶりに再会したのは皮肉にも姉上の葬儀だった。
たくさんの人ごみの中、目が合った。どちらからということもなくお互い近づいた。
昔話に花を咲かせることもなく俺たちは先に肌を重ねた。
俺は寂しさを埋めるために。
名前は何を埋めるために?



「そろそろ行きますかねィ」
そう言って俺はだるい体を無理矢理起こして身支度を整える。
「化粧付いてらァ」
床に落ちていた隊服の白いスカーフを拾うと肌色の化粧が付いていた。そしてそれは微かに女特有の匂いがする。
風呂に入る前にベッドになだれ込んだ俺たちはもう羞恥など無い仲で、割り切った関係だからこそできることもあった。
とにかく俺たちは誰から見ても廃れてる関係なのは間違いないだろう。

「シャワーくらい浴びてけば?」
そう問われてもそろそろ時間的にマズイ。
そのうち土方さんが探しに来るんじゃないかと少々嫌な予感もしていたし、この関係も薄々周りにバレていることも承知していた。
「いや、どうせ土方のタバコで消される匂いでさァ」
あの男臭いところに帰れば、名前の匂いはすぐに消えてしまう。
そして俺は消えた頃にまたここへやってくる。その繰り返しだ。

「総悟、そういや私」
別れ際にいう言葉なんて悪い予感しかしない。漫画でういうところの死亡フラグってやつだ。
「悪い話なら聞きたくねェんですが」
「どうだろうね」
間髪入れずにそう返されて、俺の嫌な予感は少々やわらいだ。
きっと大したことのない会話だと高をくくっていた。
「なんだよ」
そう聞いたのが間違いだったのか、でもこの話は遅かれ早かれ俺が知ることになるのに、遅いも早いもなかったのかもしれない。

「結婚するよ、私」
デジャヴだった。完全に。
姉上も、結婚が決まった時にこんな声のトーンで俺に言ったっけか。
もっと嬉しそうに言えよ、とあの時は心底思ったもんだ。
その時と全く同じ光景がここにあって、俺はまたあの同じ空間にいるのかと錯覚した。
腹の奥底から何かが上がってきて、吐くんじゃないかと思うくらいに嫌悪感に襲われた。

「は?」
俺のこの言葉は間違ってた。
俺たちは将来を約束した仲でもなけりゃ、付き合ってもいない。
宙ぶらりんの関係で、お互いそれでいいと割り切っていたし、今更コイツに対して愛だの恋だのと変な気を起こす気にもならない。
なのになんでこんなにイラつくんだろうか。





「そりゃ、自分のおもちゃ取られたからだろ」
突拍子もなく、女に対しておもちゃなんて例えを出した万事屋の旦那はやはり俺の思考と似たり寄ったりなんだろう。

夕刻、小腹がすいたので団子屋の前を通るとバッタリと旦那に出くわした。
何を言うわけでもなく隣に座って、それとなく話していると名前の話になった。
名前が近々結婚すると言うと旦那は驚くわけでもなく「そっか」とだけ言った。

俺たちのただれた関係を知っていた旦那は、よく俺に「その歳でセフレ作るとかやるねぇ」とからかうように言ってきたもんだ。
そんな俺らを否定するわけでもなく、人生色々あるし若いうちに色んな事経験しておけよ、とだけ言ってそれ以上は何も言わなかった。

「お前、アレだろ、名前ちゃんが自分のこと好きだとか思ってたんだろ」
「思ってねェですよ」
だから、俺たちはそんなじゃねェって。
何度もそう思ってきた。俺だってアイツだってこの何年間かずっとそんな仲にはなれないと思って関係を続けていた。

「裏切られた気分?」
「だから違うって言ってんでしょ」
「名前ちゃんいくつだと思ってんの、お前が先に結婚するまで彼女が結婚しないとでも?」
んなわけねェよ。ただこの関係が続いている限り名前は特定の相手を作らないと思っていた。
裏切られたとは思っていないが、この日がくるのが突然すぎてそれまで俺に何も言ってこなかったことに少々イラついただけだ。

「ちょうどいいじゃねーの、このままどうにもならねぇ関係続けるよりさ、名前ちゃんも幸せになれるってもんさ」
旦那の言うように俺が幸せに出来るわけもなく、そもそもその気だってないに等しい。
名前と結婚なんか考えられないし、それとない関係がもう少しくらいは続くもんだと思っていた。
アレだ、きっと俺から言い出すつもりだった終止符をアイツに先に言われてプライドが傷付いたってやつだ。

「次探すかァ」
「うわ、キミ相変わらず最悪だな」
名前も俺じゃなく近藤さんや土方さん相手ならもう少しマシだったのかもしれない。
散々体だけ重ねといて心も情も何もねェ俺なんか選んだばっかりに。不憫な女だ。
自分のことを棚に上げといてなんだが、相手が悪かった。
俺はまた違う適当な女を探して寂しさを埋めるだけだ。





「よう」
インターホンを鳴らさずにノックをするのは俺の癖だ。
名前もそれをするのは俺だけだと知っている。だから何も言わず玄関のドアを開ける。

「これで最後にするんで」
ドアの前でそういう言えば名前は少しだけ笑っていつものように部屋に上げてくれた。
「今日はシャワー使ってね」
「はいはい」
そのまま一息入れることもなく風呂場へ直行して軽く汗を流す。
さっさと出てことを済まそうと部屋に戻ると、名前は俺の脱ぎっぱなしにしてあった隊服をハンガーに掛け消臭剤のスプレーを吹きかけていた。

「それ」
頭を拭きながらベッド脇に座る。
名前はハンガーを窓の方へ掛けるとすぐそこのキッチンへ足を運びコーヒーをいれ始めた。
「その匂い、一発でお前ん家行ったのバレるんだよな」
「タバコ臭いの気になるんだよね、これそんな強い匂いじゃないでしょ」
棚の端に置かれた消臭剤は青い容器をしていて、石鹸の香りなのか微かに洗いたてのような香りがする。

「私明日早いんだけど、泊まってくの?」
石鹸の香りの後はコーヒーの匂いで部屋が満たされる。
「いや、帰りまさァ」
「そう」
これで最後だと言うのに淡々としたその口振りは、もう俺なんか眼中にないといった風で腹が立った。
さっさと他の男に乗り換えて自分だけ幸せになんのかよ。

「俺とこういうことやりながら、他の男ともやってたとはなー、意外に抜け目ねェなお前」
「それは総悟も一緒でしょ」
「俺は何股も掛けたりしねェよ、めんどくせェ」
沈黙が続くと居てもたってもいられなくなる。つまんねェこと言ってしまったと後になって気付いたが、口を付いて出てしまったのだから仕方がない。

「帰るわ」
気分が変わった、と言うと名前は二つのマグカップをキッチンに置いたまま俺のところに来て、目の前に座った。
「今まで楽しかったよ、ありがとう」
「なんだそれ、別にそういう仲でもねェでしょ」
「元気でね」
どうして女はこうも強いのだろうか。
本当に俺のこと何とも思ってなかったんだろうか。
でもそんな事、死んでも聞けるもんか。

俺たちはこの先、会うこともなくそれぞれの人生を歩む。
全く別の、もう二度と交わることのない人生を。
今までのことなんかなかったかのように。

好きだったのか、好きじゃなかったのかと聞かれたらどっちでもない。
ただ流れでそうなっただけ。
長い人生の中の一つのハードルみたいなもんだ。寄り道みたいなもんだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
時間が経てばいずれ思い出になって薄れていく記憶でしかない。

ただ、甘えたがりの自分にとってこんな都合のいい相手はいなかった。
姉上の影を追って、辿り着いたのが名前だっただけだ。

そこに愛はなかった。
でも名前の腕の中はひどく安心できた。





「総悟、大丈夫か?」
「……近藤さん」
部屋から出てこない俺を見兼ねて、様子を見に来た近藤さんはコンビニの袋を下げて、申し訳なさ程度にふすまを開けて顔を出していた。

「すいやせん、まだ熱下がんねェもんで」
一昨日、名前の家から飛び出すように帰ってきた。
シャワーを浴びただけの体はすぐに冷えて、簡単に風邪を引いて熱を出したオチだ。
最後だったってのに、やらずに帰ってくるなんて俺らしくなかった。
最後くらい無茶苦茶に抱きつぶしてしまえばよかった。

「これ、プリンとかポカリ入ってるから食べれるもんあったら食べとけよ」
「はは、近藤さんが優しいや」
ヘラヘラと笑っていると近藤さんが部屋に入ってきて、心底心配した顔をしていた。
「当たり前だろ、総悟が熱出すなんて何年ぶりだ」
「普段働かせすぎなんでさァ」
また笑って返してやると、近藤さんからふわりとあの匂いがして心臓が高ぶった。

「近藤さん、何かつけて……匂いが」
「え?ああ、匂いするか?これ今流行ってるらしくてさー、お妙さんに教えて貰ってすぐドンキに買いに行ったんだ」
嬉しそうに笑う近藤さんの顔をまともに見れなくなる。
「トシのタバコの臭い結構うつるだろー?これやっとくと臭い取れるし、総悟も使う?」
「いや、俺は……」

いつになったら忘れられるのかと、これからのことを考えると気が遠くなって目の前が霞んだ。
「総悟、お前……泣くほどツライなら病院行くか?すぐ車出すぞ」
「いえ、平気でさァ……」
涙を熱のせいにして、俺は無理矢理眠った。

その夜、俺は名前と夢の中で会った。
そしてそれが名前の顔を見る最後の日になった。




end


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