十年後のキミはまだ俺を思い出す日があるだろうか



ハッピーエンドとは限らない・十年後



「昔の女がみんな、まだ自分のことを想ってるなんて大間違いさ」
久しぶりに万事屋の旦那と呑んでいると、目の前のタバコをふかしている店主のババァにそう言われた。
ずいぶん長生きしやがるよ、この妖怪みたいなツラしたババァは。

あれから十年だ。
名前と別れて十年。
もうとっくに何とも思っていないし、夢にも出てこない。
俺の中の名前は十年前で止まっている。

スナックお登勢。ここにいる奴らも大してあの頃と変わってない。
「あのなーババァ!それでも男は夢見たいんだよ!思い出を美化して生きたいんだよ!まだ俺のこと忘れてなけりゃいいなーって、思いたいんだよ!」
「そんなだからまだ独り身なんだよアンタらは」
「うるっせー!好きで独身やってんだよコッチは!」
「はいはい、負け惜しみはいいからそろそろ店閉めるよこの酔っぱらい共」
店主が歳のためか長くは開けられなくなったこの店もずいぶんと年季が入って次は猫耳つけた妖怪と世代交代とかなんとか。どの道、ババァが妖怪と変わる程度で全くもって興味が無い。
隣に座っていた旦那と外に出るとまだ飲み足りないと言い出して、もう一軒付き合うことにした。


「総悟くんもそろそろいい歳だし、身固めないの?」
ヨロヨロと歩く万事屋の旦那の横で俺はネオンの光が眩しくて目を細めた。
「生憎、相手がいないもんで」
「またまたぁ、キミならいくらでも相手いるでしょー?」
「めんどくさいんですよ、色々と」
「わー、モテる奴だけが言えるセリフをサラッと言いやがったよこの子……」
「旦那こそいつ世帯持つんですか、本気でヤバイ歳じゃねェですか」
質問返しをしてやれば旦那は先ほど言っていた「好きで独身をやっている」と繰り返した。

「新八なんかまだ童貞だしー?神楽も年頃で目が離せねーし?」
「さすがにもう子離れしやしょうよ」
「バッカ!そんなんじゃねーよ!神楽のオヤジに見張っておけって言われたんだよ!命かかってんだよ!」
「お守りが終わったら、残された旦那一人で寂しい思いすることになりやすぜ?」
「まあアイツらが片付いたら次はお登勢のババァがいるからな、介護して見送ったらようやく肩の荷も降りるってもんよ」

旦那もつくづくお人好しと言うか、ここまでくると慈悲深すぎて泣けてくらァ。
若い頃の罪を償うように、この人は今を周りに捧げている。俺にはそんな風に見えた。


「昔の女……か」
ボソリと言った言葉に思いのほか反応したのは万事屋の旦那だった。
「忘れられない女でもいるわけ?」
あれから十年だ。
俺だっていろんな女を見てきた、中には顔も思い出せないような女もいるが人並みにそういった場数は踏んできたつもりだ。
その中で際立って忘れられない女がただ一人。
俺の事を唯一、捨てた女だ。
だから忘れられないのか、それとも他に何か理由があるのか分からない。

「旦那はもし、女に裏切られたらどうしやす?」
「女は裏切る生き物だよ総悟くん、恐ろしい程にあっさりしてるもんだよ女ってのは」
「なんかあったんですかィ」
「いや、まあ俺のことは置いといて、だ」
行きつけの居酒屋ののれんをくぐり、店の中に入ると俺達はまたビールから始めた。
店内は決して広くないがこの狭さが返って居心地がいい。

「俺はもう縁がなかったと思うようにしてんな、そういうのは」
「旦那は結構諦め早いんですねィ」
「まあな、過去のことあれこれ考えても済んじまったもんは変えられねぇし」
どこか遠くを見るような目を一瞬だけして、旦那は視線を俺に戻した。
「沖田くんはフラれたことねーだろ」
「ありやすよ」
「まじかよ、そん時どうしたの」

興味津々なのか、カウンターで隣に座っていた旦那はやたらと距離を詰めてくる。
十年前にこの事を唯一アンタに話したのに、当の本人は全く覚えていないようだ。
まあ、こっちとしては忘れてもらった方が有難い。

「すげェ……傷つきやしたよ普通に」
「え!意外!ムカついて殴ったりすんじゃないの?!」
「いや、いくらなんでも女殴ったりしやせんよ」
「ふーん、意外に普通に育ったなお前」
「親みたいなこと言わんでくだせェ」
「それってもしかして、名前ちゃん?」
急に出たその名前に、口へ運ぼうと箸で摘んでいたものが机に落ちた。
「あらら、分かりやすい反応」
ふふ、と笑った旦那を少し睨むとそれは完全に俺をからかっていたと後になって分かった。

「ずいぶん昔のこと引きずってんだなー」
「そんなずいぶん昔のことなんか忘れやしたよ」
「その動揺っぷり見ると今でも忘れられない感じだけど」
「まあ、唯一フラれた女なんでその点じゃ覚えてやすけどね」
悟られないように出来るだけ軽々しい口調で返した。

「なに、自分差し置いて結婚されたのが気に食わなかったわけ?」
「詳しく覚えてんじゃねェですか」
「はは、結構衝撃的だったからな」
ビールを飲み干したほろ酔いの旦那を横目に、箸を持つ手が震えそうになるのに気付いて俺も急いでジョッキに手を移した。
「あれから会ったりとかしてねーの?」
「してやせんよ」
「一度も?」
一度も会っていないと言えば旦那はそりゃもう驚いた顔をして、挙句の果てにはため息を付いた。

「マジかよ、会ってねーのに忘れらんねぇとか……そりゃアレだよ、思い出が美化されてんだよ」
そう言われてさっきの店で言われたことが頭に響く。
相手は俺のことなんてとっくに忘れてる。せいぜいあんな奴居たな、くらいだろう。そんなの分かってる。
女はそのへんに関してはあっけらかんとしてるもんだ。
微かな期待は捨てきれないが、もう十年だ。会わないにしても長すぎた。

別に四六時中ずっと思っていた訳じゃない。
ただ、一人になった時にふと思い出すのがアイツだった。
数ある女の中で、頭一つ出ているだけという存在だ。
言ってしまえば、アレ以上の女にまだ出会えていないだけで、そのうちアイツを超える別の女に出会えるんだろうと思ってここまできた。

「ああ、そういやァ……」
「ん?」
また違う記憶が頭をよぎる。今度は血にまみれたあの記憶。
「いや、明日は墓参り行かねーと、と思いやして」
「姉ちゃんのか?」
「違いまさァ」


***


一般的に墓参りは午前中に済ませる人が多い。なので俺はわざと夕時という遅めの時間に行く。
誰にも会わないその時間に行くことに意味があった。

「総悟、どっか行くのか」
「……あ、まあ、ちょっと」
出掛けようとして屯所の玄関で草履を履いたところだった。
仕事から帰ってきた土方さんと鉢合わせて舌打ちしたい気持ちを抑える。
「墓参りか」
この人も旦那と一緒でうんざりするほど勘がいい。

土方さんが言った言葉に対して俺が無言になると、俺が返答に困っていると勘違いしたのか土方さんは声のトーンを更に下げて深刻な顔をした。
「あれは事故だった……攘夷のテロに一般人が逃げきれずに巻き添いになった、気に病むことはない」
毎年嫌ほど聞かされたそのセリフ。だがあれは違う。
「何をそんなに気にしてるんだ、お前」

五年前に起きた攘夷の爆破テロ。
真選組が駆け付け応戦した。その中に一般人である人間が何人かいた。
長年この仕事をやってて血の気の多い攘夷かそうでない普通の人間かくらいは見分けがつく。
なのに俺は一般人である一人の男を躊躇せず斬った。
当時は身内で色々と問題になったが、不幸にも攘夷のテロ事件に巻き込まれたものと処理された。
ようは上がうまいこと揉み消したと言うことだ。

「分かってやすよ、現場ではよくあることでさァ」
一般人を装う攘夷の奴らもいる。怪しいと思ったら斬ってしまうのも一つの手だ。
自分の命を守るためには非道なことも仕方がない。だからか真選組が殺人集団と呼ばれるようになったのも随分前のことだ。
「別に気に病んでる訳じゃねェんでさァ」
そう言って俺が微かに笑ってみせると土方さんはまるで怖いものを見る目で、俺のことを見た。

「あの時、お前が真っ先にビルの上の階に行ったってのは……なんでだ」
「ゲームでもそうでしょ、強いやつは大概上にいるもんでさァ」
「……茶化すなよ、一体上に何が……何をしに行ったんだ」
五年も前の話に、ここに来て土方さんにそんなことを聞かれるとは思ってもみなかった。
何しに行った、なんて質問…まるで俺が誰かに狙いを定めていたみたいな言い方だ。

多分、五年前からあの時の俺の行動がこの人はずっと気になっていたんだろう。
そして俺は今もその男の命日には毎年墓参りに行く。
普通に考えたら俺が一般人を斬ってしまい、その罪の意識に苛まれていると周りは思うだろう。
しかし土方さんは俺がそんなことを気にして生きているような人間だとは思っていない。

「その男を狙ってた訳じゃ……ねぇよな」
「命を狙って殺した男なら、毎年律儀に墓参りなんて行きやせんよ」
その否定の言葉に少しながら安心した様子の土方さんは、きっと俺を試したんだろう。
あれは俺の不注意でもあったが現場ではたまに起こりうる事故だった、と。
そう再確認して俺が少しでもまともな人間であることに確信を持ちたかったのか。

でも残念ながら、土方さんの鋭い勘はよく当たる。

まるで用事でもあるかのように俺はあの事件の日、あの時真っ先に向かったのはある男の元だった。
そう、土方さんが予想した通り、俺はその男の事を殺しに向かったのだ。



***



「悪いな……」
墓に向かってそう呟く。
初夏の夕方は西日がキツく、もう少し遅くに来てもよかったなと思わせる。
墓石に水を掛けるとすぐに温まった水がむわりと湿気を纏い不快にさせる。

名前も知らない俺が殺した男。
実際は名前を聞いているはずだが忘れてしまったし思い出したくもない。
線香を供えて手を合わせる。死者を弔う気持ちはあるが、自分がこの男の命を奪ってしまったことに関しては正直反省とか申し訳ない気持ちはそこまでなかった。
ただ、人の命の儚さに少しの哀しさだけがそこにあった。

「でも、アンタが悪いんですぜ……」
手を合わせながらも俺は墓石を睨んだ。
十年前のあの時、俺から名前を奪った、この名も思い出せない男がどうしても許せなかった。

当時俺はあらゆる手を使って調べあげ、男の生い立ちや住所、職場がどのビルで、そのビルの何階で働いているのかなど徹底的に調べた。
そしてテロ事件がその男の職場で、偶然に起きた。その時チャンスだと思った。
過激派が起こした事故に巻き込まれたと見せかけて殺してやろうと思った。
五年もチャンスをうかがっていたのに、いざその場に立つと俺は衝動を抑えきれず、真選組の職務を放棄して真っ先にその男がいる階を目指してしまった。
なんの躊躇もなくその男だけを斬り捨て、舞った血飛沫は今でも覚えている。
床に転がるその男を見て、俺は自然と上がってしまう口角を抑えるのに必死だった。
斬った瞬間を誰も見てなかったのが幸いで、その後は一般人を巻き込んで斬ってしまった、と処分を受けた。
しかし俺は何日かの謹慎が終わると、またいつもと同じ毎日をなんなく過ごしていた。


名前は事故で夫を亡くし、未亡人になって五年が経った。
そろそろ心の傷も癒えて一人で居ることに寂しくなってきた頃だろう。
人肌恋しくなってきた時が頃合だ。

「五年か……そろそろですかねィ」
墓を見据えてニコリと笑ってやる。
名前の元旦那さんよォ、俺からアイツを奪おうとするから死ぬことになるんだよ。
ほんの少しの罪悪感を覆い包むのは、圧倒的な優越感。

明日、名前に偶然を装って会いに行こう。
どんな顔をするだろうか。
俺はまたあの時みたいに無意識に上がってしまう口角を抑えた。

そしてまた、あの続きをしよう。
あの居心地の良かった日々に戻って、あの日からまたやり直そう。


end



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