逢うは別れの始め




沖田総悟は大きな月を見上げて嗤った。

十二月に入り寒々とした空気の中、沖田総悟は仕事のため夜の巡回に出ていた。
この街に来て何年目だったか。
ここは沖田が幼少期に過ごした静かな町とは似ても似つかないギラギラとした場所だった。
初めは慣れない眩しさに戸惑ったものの、その若さもあってか慣れてしまうのも呆気ないほど早かった。

良くも悪くも自由な街、江戸かぶき町。
そんな自由な街も言い換えれば単なる「無法地帯の街」と言う表現の仕方もある。
聞こえは悪いが実際そういった方が正解かもしれない。


現に仁王立ちしている沖田の足元には数体の絶命した人間たちが転がっていた。
先程まで動いていた人間が息絶えて横になっている姿は、もう見慣れてしまった光景でもある。

世間での自分の立ち位置が正義の象徴である警察官であることをいいことに、腕試しをしたい時やむしゃくしゃした時にたまにこうして攘夷浪士や犯罪者を粛清している。
もちろん世間的には斬られても文句の言えないような人間を選んでいるので誰も沖田を咎める者は居なかったし、彼がやっている事は真選組という組織内でも一部の人間しか知らず、その一部の人間にすら「黙認」という状態だった。
しかし沖田にとって、悪だとか正義だとかはあまり問題ではない。

ましてやこの行為を仕事の為にしている訳でもない。
総ては近藤勲という男のために自分は生きているといっても過言ではなく、その男の為に世の中の邪魔な者を少しでもこの世から粛清しているだけであった。
そして近藤勲こそが正義そのものだった。
あの男のためならば、と何度その手を汚したか。
どれだけ自分の手を汚そうとも近藤のことを恨んだことも憎んだことも、一度たりともなかった。

近藤勲が正義だ。そう思って今まで生きて来て、それが正解であったと今も信じて止まない。
近藤勲という男は三十路にもならないその若さで、すでに国を護るといった大義を任されている。
その事実が何より自分は正しかった、と余計に思わせていた。

ましてや自分のような一歩道を踏み外せば殺人鬼にでもなりかねないような人間を、見放すことなく家族のように接してくれたこと。
それが沖田にとって何より嬉しく、近藤を慕う最大の理由でもあった。


足元に転がっていた屍を軽く足蹴する。
生きていないものはただの無機質な物体にすぎない。石ころと同じだ。
流れ出た血は冷たい空気に晒されて直ぐにどす黒く固まっていく。
自分がバッサリと斬り捨てたその物体と化したそれらを視界にも入れず、今日も彼は目の前の怪しく光る月を瞳に映しては、白い息を吐いた。



「総悟」
花のような笑顔と鳥の鳴くような高い声で沖田総悟を呼ぶのは彼より少し年上の名前という女。
その女はここ何年かで知り合った中では一番人としてマトモな人間だ。

「また仕事サボってこんなところでお団子食べてる」
その愛らしい見た目とは逆で、なかなかの気の強さが沖田のお気に入りだった。
「一本分けてやろうか」
そう言ってまだ肌寒い店の外の長椅子に座っていた沖田は団子をこれみよがしに名前の目の前で振ると、彼女は眉間に皺を寄せて「要らない」と言ってさっさと通り過ぎて行く。

沖田は軽く慌てて店員に勘定を渡すと名前のあとを追った。
今まで自分のことをここまで蔑ろに扱う女がいただろうか。
自意識過剰だと言われればそれまでだろうが、沖田は生まれてこのかた女にはチヤホヤされて育ってきた。
美形だとか男前だとか小さな頃から言われ慣れた言葉に悪い気はしなかったが、さほど嬉しさも感じてはいない。

「悪かったって、ほら、やるよ」
渡し方が悪かったのか、と思った沖田は名前にすぐ追いつくと今度は控えめに団子を差し出した。
「あのね、何回言えば気が済むの?」
不自然にならないように隣を歩けば名前は睨むような横目で沖田をじっとりと見る。

沖田はすかさず、機嫌の悪そうな名前に向かって首を傾げて見せた。
だいたいの女は自分のこの仕草で喜ぶと相場が決まっていると踏んでいたからだ。
だが、やはり目の前の女にそれはあまり通用しないようでさほど効果がないのは毎度のことだった。

「ダイエット中なんだから、私に食べ物与えないでって何度も言ってるでしょ」
そう言って少し赤らむ顔は今時の女子と何ら変わりはない。
ずば抜けた美人でもなければ街で評判の愛嬌の持ち主という訳でもない。
そんな女にどんどん惹かれていくのは何故なのか沖田自身もよく分かっていなかった。

「何回言えば気がすむんでェ、痩せる必要なんかねェよ」
間髪入れずにそう言えば名前は一瞬だけ迷った顔をした。
それを見逃さなかった沖田は団子を名前の口の前に再度差し出す。
「い、要らないってば!」
「食べとけよ、この団子もうすぐ食えなくなんぜ」
「……え、どういうこと?」
今度は名前が首を傾げてみせる。
それを一瞬可愛いと思って眉が自然と下がるのを感じた沖田は、悟られないように道行く人に目を移した。

「あー、まあ、おまわりの直感的な」
「何それ」
自分は明日の夜、この団子屋の主人でもあり裏の人間でもある男を抹殺する予定なのだと言えるわけもない。
名前自身もさっき団子を受け取った店主が裏でとんでもないことをしているとは微塵も思うまい。
それと同時に沖田自身も夜とは全く別の、この平和な日常を何気なく送っている自分にたまに可笑しさが込み上げる。
自分だって充分過ぎるほど裏の人間だと思うと妙な気分になり、少しだけ口元が笑ってしまうのだ。

「あのお店、潰れるの?……流行ってるのに」
店の方を振り返って見た名前を沖田は目で追うと、少し風が吹いて隣にいた彼女の揺れた髪にまた目を移した。
「裏では何が起こってるかは分かんねェだろうよ」
「やっぱ経営苦しいんだ……残念だな」
あそこのパフェ美味しかったのに、と言う名前をまるでどこぞの旦那みたいだ、と沖田は思いながら彼女が頑なに拒み行き場所を失っていた団子を自分の口に含んだ。



***



「好きだ」
と、少女漫画に幾度となく出てくる小っ恥ずかしいセリフを自分が口にするとは思ってもみなかった沖田は自分でもその感情に驚いた。
言うつもりのなかったその言葉はただ宙に投げ出されて彼女の耳に届いたかは定かでなく、もう一度言うべきか悩んだ。
「え、なんて?」
きっと風の向きだろう。
やはり沖田の発した一世一代の告白は本人には届いていなかったようで、聞き返されてしまった事に若干の苛立ちを感じてしまっていた。

昨日また人を斬った。
近藤さんの為、と何度も言い聞かせて何もかもを割り切った。
あの人の為にこの腕を磨き、この腕を使う。そして近藤さんの隣でこの時代を生き抜いて今この時代を切り拓く。
そればかりを思ってきた沖田にとって、腹に抱えたこの感情をどこに仕舞えばいいのか分からなかった。
相談する相手もいなければ、相談したいとも思わなかった。
ただこの気持ちの行方をそろそろ決めておかないと、自分が自分でなくなりそうで怖くなったのだ。

「好きだと言ったんでェ」
「え……あ、そう…」
「他に言うことは?」
「総悟こそ、他に言うことは?」
「こんだけ言えば充分だろ」
好きだと伝えたところでその後どうするのか、真っ当な恋愛などしたことが無かった沖田にとっては未知なる部分が多すぎて続ける言葉が見つからなかった。

「お前は?」
「私は……そりゃあ、まあ……」
満更でもない名前を見て、沖田は確信した。
そして手に入るならさっさと懐に入れてしまわねば、と。
「明日、近藤さんに紹介してやる」
「え?局長さんに?なんで?」
「なんでも早い方がいいんでさァ」
そういって微かに笑みを浮かべて、言葉より行動に移した方が自分らしいと妙に腑に落ちた。



「近藤さんはどう思いやすか……」
らしくない声色で質問してきた沖田に対して少々驚いた近藤勲は、すぐに真面目な話だと察して庭でしていた素振りを切り上げて縁側に腰掛けた。

「どうした、名前さんのことか?」
「俺にはまだ世帯持つのは早いですか」
昨日、沖田は名前を近藤と土方に紹介した。
顔合わせのようなものだったがまだ何も決まっていないし何をしようと言う訳でもない。とりあえず二人には知って貰うべきだと思った。
そして名前が簡単に逃げられないように、沖田は身内を巻き込んでおこうと思い立ったのだ。

近藤と土方は、沖田にいい仲の女がいることは薄々気付いていた。しかしながら、まさか色々すっ飛ばして結婚すると言い出すとは思いもよらず、その時は空いた口が塞がらなかった。
「まあ、いきなりで驚いたのは驚いたが」
早い事なんか何も無い。と悟ったように続けて言えば沖田は少し安心した表情をした。

「俺たちは仕事中に命を落とし兼ねん、それは明日かもしれないし十年後かもしれない」
近藤がいつも隊士に言うことだった。
だからいつ何時もできるだけ全力で生きろ、と。
「ただ、俺より先に世帯持っちゃうのは複雑だなー……」
先程の凛とした佇まいとは真逆で脱力して半ばショックを受けている近藤を見て、沖田は今日初めて心からの笑顔を見せた。


「俺は、単なる人殺しにすぎねェ」
縁側に座った二人を初夏の日差しとまだ冬の名残りであろう涼しい風が肌を撫でて過ぎていく。
「総悟には色々汚れ仕事もやってきて貰ったからな……」
「いや、それはいいんでさァ」
沖田は仕事に対して不満はなかった。
自分の実力を評価してもらい今この座にいる。上に土方がいる事のみ気に入らないだけでその他に対しては何も不満はなかったのだ。

「ただ、こんな殺人鬼みたいな俺が人並みに幸せになってもいいもんかと引け目感じてんです」
「柄にもないこと言うじゃないか」
わはは、と豪快に笑った近藤を見てそんな笑うことじゃねぇと言わんばかりの顔をしつつ沖田は静かに目を閉じた。

「足元に転がってる死人に対しても、もう何の感情も湧かなくなってきてんですよ」
そんな自分がまさか一人の女を愛すとは思ってもみなかった事と、今後世帯を持ち子供なんかできた日には一体どうすればいいのかと色々想像をしては魘された事を近藤に話した。

「全ては俺の責任だ、お前は何も悪くない」
全ては俺のためにやってくれたことだと言われれば沖田は少しだけ肩の荷が軽くなる。
それでも自分は一体何十何百の屍の上に居るのかと思うと、鬼にでもなったのかと錯覚してしまう。いや、実際自分は既にもう鬼なのだとさえ思う。

「自分のやったことが、報いが、もし名前に向いてしまうと思うと、気が気じゃねェんです」
「お前は昔からそういうとこあったな」
ふわりと優しく微笑まれて、沖田は昔を思い出した。近藤が昔から与えてくれたこの笑顔と優しさで自分を保ってこれた。

何度自分を、人間味を失いかけても、近藤の元に帰れば引き戻された。
自分は生きていていいのだと。自分という存在が必要とされているのだと。そう思わせてくれるだけで充分だった。

「姉上の事も、もしかしたら俺への罰なんじゃねェかと……何度も考えやした……」
「総悟……」
初めて言葉に出した本音は、名前ではなく近藤に向けてだった。
こんな事を言ったら上司である目の前の男が困り果てるのは分かっていたが、沖田はこの気持ちの捌け口をいつかどこかで少しでも吐き出せる機会が欲しかった。
ずっと心に閉まっておいたそれを、いつか溢れそうになるであろうそれを、いつ誰に言うかずっと悩んでいた。

「でも、俺はもう元には戻れない……」
そんな覚悟めいた事を言うと、近藤は少し心配そうに沖田を見つめた。







沖田は葬式に来ていた。
分厚い雲の張った空。薄暗い空気に重く暗い葬式の雰囲気。簡易なパイプ椅子が並びそこに座る満目の黒尽くめの人々。
人間が一人死ぬとこうやってその人に関わってきた沢山の人間が葬式にやってくる。名前は、きっととても慕われていたんだと沖田は葬式に来て初めて知った。

心の整理がつかないまま来てしまったためか、重い空気とは真逆で足が地についてないのか変にふわふわした感覚に陥っていた。
それならばいっその事、このまま自分もこの世からいなくなればいいのに、とさえ思う。

せっかく見付けた生きがいでもあった名前という存在を亡くした沖田総悟は、ドン底というにはあまりにも簡単すぎる言葉で、もし地獄なんてものがあの世にあるのなら間違いなく生きている今ここで、自分は一生抜け出せない地獄にいる。
もう二度とあんな事は繰り返すまいと、あんな気持ちは味わいたくないと思っていたのに、沖田総悟はそれを二度繰り返してしまったのだ。

自分が名前を嫁に貰うなんて言い出さなきゃこんな事にならなかったのか。
名前に好きだと言わなければ、こんな事にならなかったのか。
あの時自分が名前に声を掛けなければ、出会うことすらなく今頃名前は普通の生活を送っていたんだろうか。

そうか、全部、俺のせいだ。
そんな後悔ばかりが脳内を占めて頭がおかしくなりそうで、極力何も考えずに居たのに名前の遺影を見た瞬間、沖田の感情は溢れ出てしまった。

ボロボロと目からこぼれる落ちる涙は止まらなくなり、コントロール出来なくなっているのがわかった。
泣きすぎて頭痛と目眩がしていよいよ立っていられなると膝を着いてしまい、土方と山崎が駆け寄って腕を掴んでは大丈夫かと声を掛ける。
それでも沖田の耳には届かず、ただひたすら涙を流して己を恨んで名前に申し訳なかったと謝罪するしかなかった。


名前は死んだ。
あんなに毎日幸せそうに過ごしていた時間が突然ぷつりと無くなった。
もうこの世に名前はいない。昨日までは確かにいた存在が、どこを探しても、この世に存在しない。
声を出して泣き喚けば、どこか違う世界にいる名前に届くだろうか。



「総悟、大丈夫か……」
別室で休んでいた沖田に小さく遠慮がちに声を掛けたのは意外にも土方だった。
近藤も名前の死を哀しみ、とてもじゃないが安易に沖田を慰めれるような状態ではなかった。ならば自分が行かねばいけないと使命のようなものを感じつつも心配した土方は部屋のドアを開けるなり沖田の今後に対して憂慮した。

「心配してくれてんですか土方さん、こりゃあ明日は雪ですねィ」
いつもの本調子ではないがかろうじて軽口をたたけるほどには落ち着いているようで、土方は少々安堵する。

ただ、昔からの馴染みでもある関係上、この不安定な男の考えることはいつも定かではない。
ショックのあまり自害するんじゃないか、もしくは気が狂って暴走するのではないか、など色んな想定をしていた土方にとって目の前の少年に対して信頼などはなく、大人しくしているのが逆に怖くもあった。

「バチが当たったんですよ、きっと……」
随分昔に、子供だった頃に見たきりだったその泣き腫らした目は真っ赤に腫れ上がり、明日の朝にはもっと酷いことになるだろうと土方は安易に予想できた。

この年齢になってこんな沖田の弱った姿を見ることになるとは正直思っていなかった。土方は沖田の姉であるミツバがこの世を去った時もここまで人前で泣き腫らしたところは見なかったからだ。

「俺なんかが人並みに幸せなっちゃァいけなかったんですよ」
精神的に限界なのだろう、そう思って土方は沖田に少しの休暇を渡そうと思っていた。しかしこの状況で沖田を一人にさせる時間を設けるのは些か危険だとも感じた。

「背負うのは勝手だが、近藤さんの許可無しに勝手な事はするなよ」
一見冷たいような、突き放すような言い方をした。変に気を使って余計に目の前の男のを追い詰めるようなことになってしまいそうで土方は躊躇したのだ。
勝手な事をするな、それは一人で単独行動など暴走をするなという意味合いもあったが、もしかしたら万が一、この男が姿を消したりするんじゃないかと思って釘を指したつもりだった。

冷たい部屋の空気。
一生続きそうな、地獄のようなこの世界はもう誰にも優しくない。
この先の人生で居なくなってしまった名前を想って生きていくなんてつらすぎる。
考えれば考えるほど苦しくてつらくて、全てが憎くて世界などすぐ無くなってしまえばいいとさえ思った。

「俺はもうこの先、誰も愛さない……」
沖田の真っ直ぐな視線の先には何も無い。
途方もないどこかに向けられた視線に土方は酷く困惑した。

自分が経験したよりもっと深く傷付いたであろう、目の前のまだ少年に近い男を、ボロボロになった沖田を、どこかに行ってしまいそうな沖田を、胸にきつく抱き締めた。
少しすると沖田はまた肩を揺らして、土方の胸の中で子供のように大きな声をあげて泣き始めた。

「総悟……ここにいろ……どこにも行くな」
それは何かに囚われてしまいそうになる沖田を引き戻すかのように、必死に出た土方の精一杯の言葉だった。


いつしか自分の足元に転がった屍たちの中に、名前の姿があるんじゃないか。
そんな夢を見て魘される日が来るんだろう。
覚めることのない地獄の日々はこれから永く永く続くんだろう。

未来なんかない。永遠の地獄だ。
それでも自分はこの人たちがいる限り死ねないのだろう、と沖田は泣き疲れてギリギリと痛む頭の中の片隅でそう考えた。
止まらない涙と声にならない叫びを土方の腕の中で続けてこのまま消えてしまいたいと思っても、明日は無常にもやってくる。


名前、俺はどうしたらいい?
何度問いかけても一生出ないその答えに遠い未来を想像しても、やはり名前はそこには居なかった。









end....








2020/12/16

すみません、すごく途中っぽいですがこれ以上書けないのでここで載せました。
もしかしたらまた書き直すこともあるかもですが、とりあえず終わります。
読んでいただきありがとうございます。

西島



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