結論、総悟はオオカミではなかった。





駆け引きオオカミ





後ろから抱きしめられたかと思えば、耳に甘い言葉を囁かれ。
もちろん変な期待が心をよぎる訳で。
しかしそれは単なる私の取り越し苦労のようなものだった。

総悟は私の首筋に顔を埋めて、散々私の匂いを嗅ぐと満足したかのように呆気なく離れていった。
総悟の「優しくしまさァ」の意味がいまいち分からないまま、その日は本当に出した茶菓子を食べてさっさと帰っていってしまった。

部屋に取り残された私は、まだ微かに残る総悟の匂いやぬくもりなどに動悸がおさまらないでいた。
それと同時によぎる一抹の不安。
まさか、総悟に試されているのではないか。
私の性格をよく分かった上で、総悟は駆け引きをしているのではないか。

男に甘えることを知らない、と言うより甘え方を知らない。
媚びることも、機嫌を伺うこともない。
言ってしまえば女としての可愛気も、健気さも全くないのが私だ。
総悟のことだろうから、きっとそんな女の自尊心をズタボロにするのが楽しみなんだろう。
ギリギリまで追い詰めて、女から懇願させるのが彼のやり方なのか。

そして自他ともに認める“歪んだ性格”は一体どこまで適応されるのか。
恋人関係においてもそれは健在なのだろうか。
だとしたらかなり厄介だと思う。
今までは友人で、気心知れた仲であったために何とも思わなかった“ソレ”が、今この状況になって思っていた程深刻なものだと気付く。

そんな気持ちがグルグルと、疑問がどんどんと不安に変わって行くのが分かる。
しかしこれ以上勝手に考えて一人で早とちりするのもどうかと思ったので、その夜はなるべく考えないようにして布団に潜った。



「名前ちゃん、今日飲みにいかね?」
仕事先であるコンビニに現れたのは、いつもダルそうにしている銀さんだった。
コンビニスイーツの新作が出る度に買いに来てくれる銀さんは、フラリと顔を見せに来たかと思うと自然とこうやって飲みに誘ってくれるのだ。

「うん、いいよ、何時から?」
「え?!いいの?!」
「えっ?!」
驚かれたことに驚いてしまう。
いつもの流れのはずが、銀さんの反応がいつもと違うことに疑問を抱くとその理由はすぐに理解できた。

「こわーい彼氏に怒られんじゃないの?」
「か、彼氏って……」
まだ総悟とのその関係が始まって三日目だ。
彼氏と言われるにはまだ違和感があった。
しかしもちろんその三日間に何かあった訳でもなく、友人の頃と何も変わらない関係と生活が続いていた。

「別に飲みに行くぐらいいいでしょ、相手は銀さんなんだし……」
「おいおーい、それってどういう意味?銀さんが相手だから大丈夫だって?俺が安全パイだって?見くびってもらっちゃ困るよ名前ちゃん!銀さんだってねー!やれば出来る子なんだよ?!ただやらないだけでやろうと思えば出来る子なんだよ?!」
「じゃあこれから行かない」
「うっそ!うそだよ!何もしねーよ!今更何もしねーよ!名前ちゃんの信用なくすの一番ダメージでけぇから何もしません!だから行こう!お願い!」

銀さんはレジのカウンターに項垂れ、頼むから今晩どうよ?と念押しで誘って来た。
傍から見れば単なるコンビニ店員をひたすら口説いている人に見えかねない。
私は販売時間の過ぎた肉まんを三つ袋に詰めて銀さんに渡すと、仕事が終わったら万事屋に寄るね、と告げた。

「サンキュー、んじゃ待ってるわ」
「あ、今日は銀さんの奢りだからね!」
「任せとけ、今日は臨時収入が入ったからな」
ヒラヒラと手を振りながら肉まんを片手に店から出て行く銀さんに少しばかり思ってしまうことがある。
まるで彼氏のようなところがある銀さん。

比べてはいけないのだろうけど、総悟よりよっぽど私のことを理解してくれていると言うか、年齢の差もあるのか懐がとにかく広い。
何でもお見通しのように、私が元気がなさそうにしているとさりげなく飲みに誘ってくれたり、冗談を言って笑わせてくれる。
きっと銀さんとなら仲良しの友達夫婦みたいになれるのかな、なんて思ってしまう。

そして当の銀さんも冗談ではあるのだろうけど、「俺はいつでも名前ちゃんを受け入れてあげるからいつでも銀さんの胸に飛び込んで来なさい」と酔っ払った時によく言っている。
私も真に受けてはないけど、そんな銀さんにたまに心が揺らぎそうになるのは女の性だと思う。


「いつものくれ」
ドキリとする程の声に先ほどの思考が止まる。
顔を上げると、そこには更にドキリとする程の顔を持った人物が居た。
「い、いらっしゃいませ、土方さん…!」
「おう」
いつものタバコを二つレジに通し、お金を貰う。

それなりに土方さんとは話したことはあっても、こうも急に現れると心臓が大きく反応してしまうってもんだ。
しかも銀さんに続いてタイミング良く現れるなんて。それと同時に犬猿の二人がバッタリ合わなくて良かったとも思う。

「お前……」
お釣りを渡す際に、実に言いにくそうに土方さんが口を開いた。
「はい?」
「近藤さんに聞いたが、その、あいつと……」
「あ、ああ……そうです、はい」
言いたいことが分かったのでこちらまで意識してしまう。身内のそんな事を口に出すのは土方さんも照れくさいだろうに。

「あいつの一方的なやつじゃねーだろうな……?」
「え?」
「勝手に奴が強引にそう決めて、お前が断れなくて……と言うか、まさか弱みとか握られてないだろうな?!」
「な、ないですよ?」
「合意の上、でいいんだな?」
「は、はい!」
土方さんは珍しく顔面蒼白といった感じだったが、私が返事をするとどことなくホッとした顔をしていた。

総悟が何をやらかすか分からない人間だと言うことは多分土方さんが一番よく分かっているのだろう。
心配事が尽きないのは見ていて少し可哀想になる時もあるくらいだ。

「そもそも、お前はアレでいいのか?」
いいのかと聞かれても、なんと答えていいのやら。
言ってしまえば“実はまだ返事はしていない”が正しかったりするわけで。
気付いたら恋人にされていました、なんて周りに言えるわけもなく。
あまりに現実味が無くて、ただ言葉だけの約束のような気がしていたり、どこかフワフワと宙に浮いている関係にも感じていた。

「あんな厄介なモンに掴まったら最後だぞ」
「さ、最後って……おどかさないでくださいよ土方さん」
「だいたいアレが女とちゃんと付き合えるのかってところから問題なんだよ……」
「心配には及びませんぜ土方さん」
「うおっ!!!」
「総悟!?」
「お前っ!どっから湧いて出た?!」
入り口から入ってきたら分かりそうなものの、総悟は本当にどこから入って来たのか分からない程に全く気配を消していたようだ。

「どいつもこいつも、昼間っから人の女口説かねェで貰えますか」
「べ、別に口説いてねぇよ」
「それに、アンタに心配される覚えはねェんで、変な事コイツに吹き込むのやめて貰えやせんかねェ」
ギラリと目を光らせるように土方さんを睨むと、当の土方さんは少し溜息を付いて“あんまり入れ込みすぎて仕事に支障きたすなよ”とだけ言い、タバコが入ったコンビニ袋を下げて去って行ってしまった。

「ったく、油断も隙もねェ奴らばっかでさァ」
「心配してくれてるんだよ土方さんは」
「何に対しての心配だってんだ」
「総悟に対してでしょ?まぁ主に仕事をちゃんとやって欲しいって意味でだと思うけどねー」
「どうだかなァ、あいつも油断してると何しでかすか分かったもんじゃねェんで気をつけろよ」
土方さんに限ってそれはないよ、と笑って言いたかったけれど、また総悟の機嫌を損ねるといけないのでそこは軽く頷いておいた。

「名前」
「ん?」
「今晩空いてるか?」
「……あ、いや、今日は……あのー、ちょっと用事が…」
「お前さんが用事とはねェ、いつまで経っても女友達が出来ねェお前さんがねェ、一体どこの誰と夜な夜な会うんだろうなァ?」

「そう言えば総悟、いつからお店に居たの……?」
「“名前ちゃん今日飲みに行かね?”のとこから」
「最初っから聞いてたんかいっ!!」




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