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蝮は夜明けの夢を視るか

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黒岩が目を覚ますと、視界には質素な天井が映った。頼り無い光を放つ、蛍光灯が僅かに揺れるのを見て、はてさて、此処は知らない場所であるが……等と脳内を過った。記憶ではポートマフィアが首領、森の部屋に居た筈だったのに。暫しの逡巡の後、異能力を発動し身体を起こそうとした時、鼻腔を微かに過った知った香りと、咳の音。

「ゴホッ――――目が覚めたのですか、涙香さん」
『……、龍、之介』

カタ、と小さな音を立てて隣室から現れたのは黒衣の男、芥川だった。

「ご気分は、」
『問題ないよ』

身体を起こしながら黒岩が答えると、そうですか、と芥川は静かに返す。そして、布団の脇に着座した芥川から黒岩が差し出されたのは水。目覚めの一杯には確かに有り難い代物である。

『ありがとう、龍之介』
「いえ、」

水を受け取りながら礼を述べるも、歯切れの悪い返答。なるほど確かに、芥川にしてみればこの状況は謎が謎を呼ぶようなものだろう。

『りゅ、』
「涙香さん」
『ん?どうした?』

黒岩が芥川に、今回の礼と詫びを述べようと口を開くと、被せるように芥川が呼んだ。

「やつがれの見立てではもっと短時間に目覚めるものと思っていました。其の異能力故に、睡眠中も広範囲、大量の音が聞こえて来てしまうのかと」
『――あ、ああ、そうだね。良くも悪くもこの異能は、僕の無意識下には働かないんだ』
「そうですか」

僅かに眉を寄せながらも、淡々とした返答の芥川。黒岩は思いもよらぬ問い掛けに拍子抜けした。
芥川は暫し沈黙しながら、黒岩を見詰めていたが、やがて思い付いたようにポツリと言葉を落とした。

「……首領から涙香さんを送っていくよう命を承けましたが、ご自宅に送るわけにも行かず、やつがれの部屋に来て頂いています」
『そっか、迷惑をかけてしまったね…』
「いえ、」

視線を下げた芥川。黒岩は僅かに苦笑して尋ねた。

『何か聞きたいことはある?』
「え……、」

驚きと戸惑いが入り雑じった何とも言えない視線が、黒岩を捉える。黒岩は芥川に向けて優しく微笑み、"迷惑料ってことで、出来る限り答えるよ"等と宣った。

「……、」
『ん?』

沈黙を貫いているものの、何か言いたげに揺れる視線。黒岩は優しく其の時を待った。

「涙香さん、」
『うん』
「以前、涙香さんは"異能力を常に発動している"と、そう云いました」
『そうだね』

穏やかな姿勢を崩さない黒岩を視界の端で伺いつつ、一音ずつ確かめるように芥川は言葉を続ける。

「太宰さんが此方側だった頃、涙香さんの事を"触ってはいけない人"と形容していました。貴方を知らなかった当時は"余程の危険人物"なのかと解釈していましたが、全くの検討違いでした」
『ふふ、』
「……太宰さんの異能力は、異能力を打ち消す力。……、やつがれは涙香さんの聴力は全て異能力で補われているのではないか、と推測しています」
『……うん、正解だね』
「、」

穏やかに返答した黒岩に対して芥川は僅かながら悲しいような、辛いような、形容し難い表情で顔をあげた。

『流石だね。因みに、余り表沙汰になっていない事だから、申し訳無いけれど他言無用で頼むよ』
「……勿論です」
『恩に着るよ』

布団の横に正座し、芥川はジッ、と黒岩を見詰めている。黒岩は其れに微笑みで返し、芥川の髪を柔らかく撫でた。

『何でも謂ってご覧』
「……、」

髪を撫でる優しい指先を受けながら、芥川はゆっくりと幾度か瞬きをする。そして息を吐くと口を開いた。

「涙香さん、…ポートマフィアに来て戴けませんか。そうすれば、今より安心した眠りを得られるのでは、ないかと。何より…首領もお喜びでは……」
『ふふ、此ればかりはね…。幾ら龍之介の提案でも首肯いてあげられないな』

御免ね、黒岩は眉尻を下げつつ、そう続ける。思い出に浸るように遠くへ馳せた視線のまま、黒岩は冗談目かして微笑んだ。

『森先生が喜ぶかは扨置き、エリス嬢は歓迎してくれそうだ』
「では…」

芥川は何故、と続けようとする。其れを優美とも言える指先で制して、黒岩は言った。

『大切なものはもう要らないから』

小さく、それでいて突き刺さるような声色だった。

「っ、」
『龍之介、今回は本当にありがとう。随分と長居してしまった様だし、そろそろお暇させて貰う事にするよ』

動揺しているらしい芥川を尻目に、黒岩は苦笑を深めて退散の準備を始める。

「涙香さん、」
『ん?』
「やつがれは、……否、何でも有りません」

芥川は何か言いかけたものの、開いた唇を引き結ぶ。黒岩は其の姿を見て、少しだけ何処かが痛くなるような気がした。

『そう、……それじゃあ、また会おうね』
「はい、お気をつけて」
『龍之介も、僕に会わない間に怪我しないようにね』

夜も深まった頃、黒岩は芥川の家を後にしたのだった。

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